あのマツダ787B・55号車の勇姿が
再びTVに登場!


 11月14日(火) NHK・プロジェクトX 挑戦者たち 
 RE第2話 
「ルマンを制覇せよ」
 〜ロータリーエンジン 奇跡の逆転劇〜

      (番組内容はこちら

 11月4日(土) カーグラフィックTV (テレビ朝日)
  新型ファミリア&新型RX−7紹介と
  マツダ787B試乗記


 21世紀を目前に控えても、いまだに沈黙が続いているMAZDAワークスのモータースポーツ活動への復帰。MAZDAのステッカーが世界各地のモータースポーツフィールドで生き生きと躍っていたあの頃の光景は、一体いつになったら再来するのでしょうか・・・。

 そんな思いを巡らしていた中、私達は、1991年にル・マンで総合優勝を勝ち取ったメモリアルマシン、
マツダ787B・55号車の勇姿を、TV放送で再び目にする機会を突然得ることになったのです。しかも今回は、91年当時の映像を再生するだけではなく、実際に787Bがマツダの三次テストコースを走行する新しい映像が付け加えられた内容であることがとくに注目されました。

 
その番組とは、2000年11月上旬に相次いで全国的に放映された、NHKの「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」と、テレビ朝日系列の「カーグラフィックTV」でした。

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 NHKのプロジェクトXは、戦後の画期的な事業を実現させてきた先達者たちの「挑戦と変革の物語」を描く人気番組です。ここで2回にわたってマツダのロータリーエンジンが取り上げられました。
 1回目の放送では未知の技術・ロータリーエンジンを初の量産化に漕ぎ着けるまでの開発の歴史を、2回目の放送ではロータリーの復権をかけたル・マン24時間レースへのチャレンジの歴史が紹介されました。


 
その2回目の放送、スタジオには元マツダスピード技術部長・松浦国夫氏と元ワークスドライバー・寺田陽次郎氏がゲストとして出演。初の完走に涙した1982年(RX−7 254)と、最後の出場チャンスにマツダ全社を挙げて勝負をかけた1991年(787B)のドラマを、当時の映像と再現映像と交えて振り返るという番組内容でした。インタビュー映像の中には、1991年のレース戦略について語る
大橋孝至監督の元気な姿もありました。

 
圧巻はNHKのスタジオに持ち込まれた栄光のマシン、レナウンマツダ787Bの55号車。番組の終盤には寺田氏がスーツ姿そのままで颯爽とコクピットに乗り込み、なんとエンジンを始動! あの狭いスタジオに轟くレーシングREの咆哮・・・無論全開にはほど遠い回転数ですが、傍らに立っていたアナウンサーが絶叫する様子は十分に納得がいくものでした。
 マシンを降りながら満面の笑みで開口一番、「ロータリーっていいね!」と寺田氏。続けざまに、「ロータリーってね、なんか、泣くような音が聞こえるんですよ」と付け加えました。
 FISCOのメインスタンドで幾度となくその「叫び」を体感した私は、思わず「そう、そう!」と、TVの前でひたすら頷いていました。(^^)


スタジオ収録風景(ゲストの松浦氏・寺田氏)
(NHK・プロジェクトXホームページより)
1/10 NEW!!

 そして番組の締め、「ル・マンで優勝できた一番の理由は何ですか?」との問いに、「何回も何回も、挑戦し続けたからですよ」と寺田氏。「何度も何度も、他人の胸を借りてね…、挑み続けてきたから、最後に風が吹いたんですね」 まさにMAZDAのレース関係者にしか語れない、なんとも重みのあるコトバではありませんか!

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 一方、洒落た映像と音楽でクルマ好きに人気の高い「カーグラフィックTV」で放映された787B試乗の模様は、CG・TV編集室長の田辺憲一氏の永年のリクエストがようやく実現した待望の収録だったようです。
 それだけに、同時取材の新型ファミリア&新型RX−7の試乗インプレッションを隅に追いやり、30分番組の半分以上を割いて787Bの走行する映像を紹介するという「力作」となっていました。


 
それでは番組の模様を現地レポート風に・・・(笑)

 整備場から自走で取材陣の前へその姿を現わした鮮やかなチャージ・カラーの787B・55号車。「この音を聞いてるだけで、もうたまらないなぁ・・・」
とつぶやく田辺氏。マシンの扱いについて一通りレクチャーも終わり、あらためてコース脇でR26Bエンジンに再度火が入る。

「・・・ヴァン!!」

 
その瞬間、想像を遥かに超える大音量が周囲に響き渡り、百戦練磨のはずのTVカメラマンも思わず画面を揺らしてしまうほど。
 まずは塚原副編集長が乗り込んでコースイン。まだ慣熟段階で回転数は低いものの、その迫力あるエンジン音はどこまで行っても健在だ。とりあえず、高速周回路の彼方へとマシン(の姿だけ)は消えていく・・・。

 やがて来る自らのドライブのチャンスを前に、興奮を必死に抑えている田辺氏の心境が画面越しに十分に伝わってくる。自ら気を引き締め直すように、「フォーミュラのエンジンとは違って、下からの立ち上がりが凄いですよね?」と質問を繰り出す田辺氏。その問いに「3000回転くらいから使えるトルクはありますヨ」とにこやかに答える関係者らしき人物。
 …私は覚えている。この人は91年のあのル・マン総合優勝の時に、実際にこの55号車を担当されていたメカニックご本人であることを!


787Bを囲む関係者の皆さん(田辺氏撮影)

 「そうですかぁ・・・」 と、田辺氏が次のコトバを発しようとしたその時、遠くに「キィーーーン!」という懐かしい金属音が微かに聞こえた。瞬時に反応するTVカメラマン。勿論その方向には、遠く陽炎の彼方からやって来る、あの787Bの姿がしっかりと捉えられている!
 その音量は、ファインダーの中でその姿が次第に大きさを増すよりも遥かに早く、まさに爆発的に増大していく。そしてその音源の塊はあっという間に目の前を通過していき、やがて
「ババババッ」と、アクセルオフとともに炸裂するアフターファイアの音が・・・。



 プロジェクトX、そしてCG・TVの番組の中で幾度となく映し出されたこの787Bの走行映像。私は無意識のうちに、FISCOの最終コーナーからメインストレートにかけてのシーンとダブらせ、灼熱のスタンドからMAZDAのマシンを見つめ続けたあの夏を思い出して、TVの前で思わずアツくなっていました。高周波のREサウンドをサーキット中に轟かせ、トヨタ・ニッサン・ポルシェのターボマシン勢に負けない存在感を示しながら堂々と戦いを挑んでいたMAZDAのマシン達。

 それは、マツダの三次テストコースの周回路を単独で走行する姿よりも何倍もカッコ良いものでした。ましてや、それがMAZDAのチャレンジスピリットの実証の場であり続けたル・マンのユーノディエールだったら、どんなに世界中のファンの心を打つものでしょう・・・。

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 ル・マン制覇から10年近い歳月が流れた今、こうして再びあの興奮と感動が蘇る・・・たしかにそれは嬉しいことではあります。

 
1991年の5月、ル・マン直前の富士1000kmレースで初めて787Bの走りを見た時、私は正直その速さに驚きました。世界選手権に比べターボ勢が優遇されていたJSPCレギュレーション下において、プライベータ―の最強格である王者・ポルシェ962Cを完全に凌駕したその速さは、過去に同じ場所で応援してきた767Bや787とは明らかに一線を画すものでした。
 そのマシンが、世界の桧舞台で、夢にまで見た総合優勝という栄冠を勝ち取る瞬間を、私は遠く日本でTVにかじり付きハラハラしながら中継映像で見守ったものです。そして深夜に一人で祝杯をあげたあの夜・・・。
 振り返れば、私が大のMAZDAファンになったのも、当時のMAZDAがこうしてリアルタイムで我々に感動を与え続けてくれていたからです。私は決して過去の史実だけに惹かれたわけではないのです。



 
突然の55号車のTV登場によって、再度人々の話題にのぼることになった91年のル・マン24時間レース制覇。MAZDAが成し遂げたことの偉大さは、その後他の国産自動車メーカーが大金を注ぎ込んでもついに達成できなかったことで十分に実証されています。MAZDAには勝利(WIN)に向かう崇高なチャレンジングスピリットと、それを継続する強い意志(WILL)が存在したからに他なりません。

 
こうして広く人々の意識の中にあの輝かしい記憶が鮮烈に蘇った今こそ、MAZDAが次のチャレンジに向けスタートを切る絶好のタイミングではないでしょうか? …いや、この放映がじつはその予告編なのかも?


 そんな思いを馳せ、我々の期待は思わず膨らんでいくのでした。



The WILL for WIN を再び!