TOMICAとモータースポーツ

 

NISSAN SKYLINE GT-R (JTC&N1)
 〜 No.40-2/40-3 NISSAN SKYLINE GT-R RACING 〜 



 ’90年代のツーリングカーレースをこのクルマ抜きに語るわけにはいきません。2.6リッター・ターボエンジンにトルクスプリット4WDというハイテクで武装し、満を持して復活したスカイライン”GT−R”(BNR32)は、1990年3月18日、西日本サーキットで行なわれた全日本ツーリングカー選手権(JTC)開幕戦で、観客の度肝を抜くような異次元の速さをいきなり披露したのです。
 注目のデビュー戦「オールジャパンツーリングカー300kmレース」では、ニッサン陣営のニ枚看板とも言える星野一義選手(カルソニック・スカイライン)と長谷見昌弘選手(リーボック・スカイライン)の2台が、序盤からフォード・シエラやトヨタ・スープラといったライバルを全く寄せ付けない展開で、3位以下を周回遅れにする圧倒的な勝利を、見事なワン・ツー・フィニッシュで飾りました。
 これ以降、JTCおよびN1耐久ではスカイラインGT−Rは無敵の連勝街道を驀進し、「スカイラインGT−Rでないと勝てない」時代となっていったのです。JTCでは93年までの29戦で全勝、N1でも94年までの29戦で28勝という圧倒的な戦績を残しており、観客の注目はもはやスカイラインの勝利そのものではなく、同じGT−Rを擁して戦うチーム同士の激しい優勝争いへと向けられていったのです。ドライバー交代のタイミングなどのレース戦略、とりわけタイヤチョイスとその性能・使い方がレース展開の大きな鍵を握っており、複数のタイヤメーカーが凌ぎを削ったこともレースをより興味深いものにしました。

 トミカでは古くからスポンサー契約を結んでいる長谷見昌弘選手のJECSスカイラインGT−Rを92年にNo.40−2としてレギュラー化しました。翌年にNo.40−3としてユニシアジェックス仕様にチェンジしています。 これらをベースに、特注品として様々なスポンサーカラーのJTC仕様/N1耐久仕様のモデルがR32・GT−Rには存在しています。

 もしも私がニッサンのファンで、本気でバリエーション収集に励んでいたら、間違いなくこの数倍のコレクションになっていたことでしょう・・・。とくに、ゼッケン1のカルソニックGT−Rなんかは絶対に外せないでしょうね。

(詳細写真はまた後日・・・)