MAZDA 737C
(1985−1988)
737C-No.000 | 737C- No.001 | 737C- No.002 | ||||||
ShakeDown | 1985.5? | 1985.2 | 1985.2 | |||||
'85/4 ALL JAPAN ENDURANCE Rd.1 SUZUKA 500km |
#85 MAZDA 737C
(8th) |
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'85/5 ALL JAPAN ENDURANCE Rd.2 FUJI 1000km |
#85 MAZDA 737C
(4th) |
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'85/5 WEC Rd.2 SILVERSTONE 1000km |
#85 MAZDA 737C (R) |
#86 MAZDA 737C (16th) |
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Monocoque changed(1985.5) | ||||||||
(press release) | ![]() MAZDA 737C |
― | ― | |||||
'85/6 LeMans 24h |
― | ![]() #85 MAZDA 737C (Overall : 24th) (Gr.C2 : 6th) |
![]() #86 MAZDA 737C (Overall : 19th) (Gr.C2 : 3rd) |
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'85/7 ALL JAPAN ENDURANCE Rd.3 FUJI 500mile |
― |
![]() #85 MAZDA 737C (7th) |
![]() #86 MAZDA 737C (R) |
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'85/8 ALL JAPAN ENDURANCE Rd.4 SUZUKA 1000km |
#85
MAZDA 737C (11th) |
![]() #86 MAZDA 737C (10th) |
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'85/10 WEC FUJI 1000km |
![]() #85 MAZDA 737C (DNS) |
#86
MAZDA 737C (DNS) |
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'85/11 ALL JAPAN ENDURANCE Rd.6 FUJI 500km |
#85
MAZDA 737C (R) |
#86
MAZDA 737C (8th) |
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'86/7 ALL JAPAN ENDURANCE Rd.3 FUJI 500mile |
#85 NWB 737 MAZDA (8th) |
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'86/10 WEC FUJI 1000km |
![]() #85 NWB 737 MAZDA (30th) |
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'86/11 ALL JAPAN ENDURANCE Rd.6 FUJI 500km |
#85 NWB
737C MAZDA (11th) |
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'87/5 ALL JAPAN ENDURANCE Rd.2 FUJI 1000km |
#85 NWB MAZDA 737 (11th) |
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'87/7 ALL JAPAN ENDURANCE Rd.3 FUJI 500mile |
#85 NWB MAZDA 737 (12th) |
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'87/9 WEC FUJI 1000km |
![]() #285 NWB MAZDA 737 (22nd) |
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'87/11 ALL JAPAN ENDURANCE Rd.6 FUJI 500km |
#85 NWB MAZDA 737 (R) |
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'88/3 ALL JAPAN ENDURANCE Rd.1 FUJI 500km |
#230 NWB737 LENOX (14th) |
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'00 NOW... |
×No Exist (Crushed at FUJI) |
×No Exist (Burned out at SNETTERTON) |
(Unknown) | ×No Exist (Burned out at FUJI) |
◆更新履歴◆ ●12/20/03 No.000、No.001の履歴を大幅に修正
なんと、当時のメカニックのN氏から、「737Cのシャシーは4台あったはず」という驚きの新証言をはじめとする貴重な情報がメールで寄せられました。\(^o^)/
氏によると、’85年のシーズンはイギリスと富士で2台の737Cが焼失したそうで、それぞれの代わりを製作したために合計台数が4台とカウントされています。ただし、ル・マン直前に英国・スネッタートンで起こった車両火災では、急遽スペアモノコックを使用して「001」のマシンとして仕立てたそうなので、ここではあくまで同一シャシー内での部品変更として扱うことにします。(※シャシーの定義が曖昧になりますが、「737Cは3台存在した」というH.N氏情報との整合を取りました)
そしてもう1台、富士で焼失したというマシンについては、ゼッケンの流れから「No.002」と仮置きしました。ここで、N氏の「85年ル・マンのTカーは727C(=717C改)である」という情報から、その存在が謎めいていた「No.000」は、この002に代わって急遽投入されたマシンと推定しました。よって、その後の最終戦で空を飛んでクラッシュしたのがこのマシンということになります。(旧000は717Cのページへ移動)
以上の変更により、プライベーターに放出されたマシンは、737Cとして唯一生き残ったことになる「001」へ訂正しました。●12/20/03 国内耐久のリザルトを追加
海外サイトで見つけたレースリザルト情報から、’85〜’88の国内戦のリザルトを追加しました。英語表記のため、いわゆる「マシン名」までは掲載されていないのが残念ですが、’88年まで737が実戦参加していた事実が判明しました。
●3/23/03 No.001の’85WECの写真を入替え
予選日のものと思われる走行写真を掲載しました。ルーフ部分を赤くしたカラーリングは、国内耐久戦の資料等には見当たらないため、WEC専用バージョンであったと思われます。
●3/23/03 737の公式発表写真を追加
’85年のル・マン直前に、ラッキーストライクのスポンサードが決定した時の写真を掲載しました(当時のAUTOSPORT誌より)。本番カラーとは微妙に違う暫定バージョンとなっています。
号車は不明ですが、イギリス遠征時期とタイミングが近いことから、日本に残っていた(と思われる)No.000と推定しています。●12/19/01 NWBマツダ737の画像を追加
’86年から静岡マツダが走らせた737Cの画像を追加しました。’87年はIMSA−GTPクラスからのエントリーのため、お馴染みの200番台のゼッケンとなっています。(当時ステアリングを握った岡本金幸氏のHPから貴重な画像を拝借)
●12/16/01 No.001/002の’85シーズン後の足跡を追加
H.N氏が当時の関係者から得た最新情報によると、ラッキーストライク号は’85年の国内耐久最終戦FUJIでクラッシュし、残るNikon号はイギリスに渡ったそうです(←翌年のWEC参戦のため???)。もしNo.001がル・マン後も国内のレースでずっと#85・ラッキーストライク号だったとすれば、クラッシュで消えたのはこのマシンとなります。また、私が別の関係者から聞いたところによれば、717〜737のいずれかのマシンが寺田選手のドライブ中にFUJIのメインストレートで突然リアウィングが飛び宙を舞ったことがある(!)そうなのですが、この話と737Cのクラッシュとの関連について調査中です。
さらに、’86年〜87年の国内耐久で、静岡マツダがプライベータとして737Cを走らせていたことが判明。マシンがNo.000か002かは不明ですが、例によって(?)古いマシンから放出したと仮定し、一旦No.000とします。●7/21/01 国内耐久の写真を追加
レース専門誌から85年の全日本国内耐久およびWECの写真を入手しました。また同誌のマツダスピードの広告ページから、85年ル・マンのTカーの写真を発見。ラッキーストライクのカウルから#85のTカーかと思われますが、これが737CのNo.000なのか、あるいは前年の727Cなのかは不明です。
それと、ル・マンでの#85の画像を青ハチマキでライトカバーのないものに変更しました。●5/29/01 シャシーNo.000を追加
師匠のH.N氏が当時の関係者から得た情報により、737Cは3台存在していたという新事実が判明しました。しかし、「000」の製作経緯や用途、実戦経験の有無については依然不明であり、引き続き探偵団で調査する予定です。皆さんからの情報もお待ちしています。m(__)m
●5/9/01 PolePosition誌の記述をもとに新規作成
【お断り】
本ページの掲載画像は、下記より引用させて頂きました
◆Racing On /AUTOSPORT 誌◆
◆POLE POSITION 誌◆
◆JSPC公式パンフレット◆
◆マツダ潟zームページ◆