私の好きなドライバー達です。






 



Nelson PIQUET (BRA)

ネルソン・ピケ  

 第一にカッコ良いじゃないですか。 顔立ちもホリが深くて神秘的で・・・。
 セナ、マンセル、プロスト、ベルガー・・・、スターひしめく近代F−1界の中にあって、ベテランであってもピケには十分な存在感がありました。 私はF−1を見始めたのが1989年の後半からなので、ブラバムやウィリアムズでの彼の全盛期の活躍は全く記憶にありません。いやむしろ、不振のロータスに手を焼き、その凋落ぶりがささやかれ始めた頃でもありました。
 しかし、翌’90年、彼は見事に復活しました。イエロー一色のスーツをブルーベースの鮮やかなスーツに着替え、とびきりカラフルなベネトン・フォードB190のマシンを駆り、若くて速いチームメイトのナニーニとも遜色ないスピードを披露したネルソンは、毎レース毎レース、マムシのように入賞を続けてポイントを積み上げていきました。
 見事なワン・ツー・フィニッシュを決めた日本GPに続く2連勝を成し遂げた最終戦オーストラリアGP。ファイナルラップのブラバムストレートエンドで、無理を承知でインへ突進してくる2位フェラーリのマンセルの鼻先をかすめるように、スパッとベネトンのマシンをターンインさせた切れ味の鋭さは、まさに鳥肌モンでした。

 かつての3度のワールドチャンピオンという記録だけだったら、私にとっては、ただ突出した高性能マシンに恵まれただけのドライバーという印象が拭い切れなかったかも知れません。でも彼は違いました。ホントに速い、超一流の「レーサー」なんですよね。本当にカッコ良かった・・・だから私のヘルメ ットも’90年当時の「涙の雫」タイプなのです。
 メカニズムへの関心が薄くてワガママな○ンセルを馬鹿呼ばわりしたり、同郷の○ナをホモ呼ばわりしたり、その言動には目を覆いたくなることもしばしばですが、これは仕方ありません。「自由人」ピケなのですから。

 もうひとつ印象に残っているのが’91年のオフシーズン、モータースポーツ専門誌「レーシング・オン」の特集記事で、地元ブラジルでのビジネスマンとしてのピケの横顔が紹介されたことがあるんですが、なんとその当時の愛車が赤のマツダRX−7!(私と同じ)。きっと、メカに造詣の深い彼のことですから、ル・マンを制覇したばかりの東洋の「Rotary_Rocket」を指名買いしたのではないでしょうか。


ベネトン・フォードB190

 


 



Johnny HERBERT (GBR)

ジョニー・ハーバート

 その’91年ル・マンで記念すべきチェッカーをくぐったのが787Bを駆る彼でしたね。F3000で怪童と呼ばれ、将来も約束されていた矢先での突然のアクシデント。多重クラッシュで両足に重傷を負ってしまった彼のその後の苦労は並大抵ではなかったですよね。F−1デビュー戦でいきなり4位入賞するも、足の回復が思わしくなく再びF3000に舞い戻ってしまいました。しかし、持ち前の明るさでそれを乗り越え復帰、95年にベネトンで悲願の初優勝を成し遂げたとき、おそらくパドックの全員が当代きっての「ナイス・ガイ」を心から祝福してくれたんではないでしょうか。フラビオとミハエル以外はね。
 
 私が彼を初めて見たのは’89年のJSPC富士1000km。おりからの豪雨で水浸し状態のピットロードシケインを、武富士ポルシェを4輪ドリフトさせながら派手に通過して行き、メインスタンドの観客の度肝を抜いた男がジョニーでした。シュパン監督の方針でチームメイトは大ベテランのB.ウォレック。スポーツプロトでの耐久レースはイチから「勉強中」の身の彼でしたが、まだまだ自分の速さをアピールしたくてウズウズしている若者という感じでした。

 もうひとつ、強く印象に残っているのが’91年夏のJSPC富士500マイルレース。ちょうどマツダのル・マン制覇直後の凱旋レースにあたり、優勝ドライバーコンビのジョニー&ガショーが駆るワークスカラーの787B・202号車は観客の注目を集めていました(当然私も)。
 ところがレース序盤の7周目あたりでアクシデントが発生。和田孝夫選手駆る伊太利屋ニッサンがストレートエンドで突然スピン、後ろ向きに滑走したマシンは空高く舞い上がり転倒、マシンは大破し、二転三転しながらグラベルに着地したモノコックが炎に包まれるという凄まじいものでした。壮絶なクラッシュに息を飲む観客、多くのマシンがその悲惨な光景を目にしながら現場を通過していきました。しかしその中でただ一人マシンを止め、自分のレースを捨ててドライバーの救助に走っていったのが、他ならぬ足の不自由なジョニーだったのです。
 幸い、彼が駆け付けたと同時に和田選手が自力で這い出してきて事無きを得たのですが、本当に賞賛されるべき勇敢な行為でした。

 ライバルマシン達はそんな救出劇の間も淡々と周回を重ねていったので、ジョニーが再びコクピットに戻った時点で既に数周遅れに。さらに、一度外したハーネスを締め直すために緊急ピットインをしたので、レース序盤にして早くも勝負権はなくなってしまい、マツダ787Bの活躍に期待していたファンは少々ガッカリさせられたのも事実でした。
 でも、ただアクセルに自分のフラストレーションを爆発させていた頃から2年、一回りも二回りも大きくなって帰ってきてくれたことがとても嬉しかったですね。


ロータス・フォード107B