― 序 章 ―
丸ハンドル&独立キャビン車の登場
(1957年)

 1931年(昭和6年)に3輪トラックの製造を開始し、いち早く量産体制を確立して3大メーカーの一角に名を連ねる存在となった東洋工業は、終戦後、斬新なカウルデザインに数々の先進機構を盛り込んだCT型オート3輪の発売(1951年)を機に、一躍業界のリーダー的存在となっていきました。市場の大量輸送ニーズに応え、業界初の1t積車、2t積車を相次いで投入するなど、積極的な商品展開によって、1955年には市場シェアを40%にまで伸ばしました。
 オート3輪の総生産台数がピークを迎えた1957年、東洋工業は相次いで新型車MAR/HBRを登場させます。これらは、従前のバーハンドルスタイルからの完全脱却を図る意欲作で、いわば近代オート3輪の決定版というべきものでした。独立鋼製キャビンや丸ハンドル等、後に登場する最終進化形・Tシリーズの主要機構をほぼ備えていたという意味で、とても存在意義のあるモデルといえます。


●1957年8月  HBR新発売 【1t〜2t積】
 2t積のCHATB型の後継車として、東洋工業のオート3輪では初となる丸ハンドル車として登場。キャビンと荷台が完全に分離した。フロントウィンドゥは曲面タイプの安全強化ガラスで、吊り下げ式の2ワイパーを採用。サイドドアには通風に優れる三角窓が設置された。エンジンをシート下に搭載し、コラムシフトを採用することによって3人掛けを実現している。サイドドアのショルダーラインが斜めになっているのが特徴。
 空冷V型2気筒の1400ccエンジンはCHATB型から採用したオートクール(自動強制冷却装置)付きを踏襲。クラッチ操作にはオイルプレッシャーコントロールシステムを採用した。荷台長さは8尺から13尺まで幅広く揃えている。



1958年式・HBR81

●1957年11月  MAR新発売 【1t〜1.5t積】
 HBRの登場から3ヶ月遅れで、1t〜1.5t積のCMTBも丸ハンドル化される。独立キャビンはHBRと別設計のもので、車体寸法もやや小さい。サイドウィンドウは上下昇降式を採用している。エンジン搭載位置は従来車通りキャビン前方であるため、フロアシフトで乗車定員は2名となる。
 主な機構はHBRと共通だが、後軸懸架には新型式のオイルダンパーを追加採用している。エンジンは前モデルのCMTB型と同じ空冷V型2気筒・1005ccのオートクール付き。荷台長さは7尺と8尺の2種類。







1958年式・MAR81

●1958年10月  MBR / HBR(後期型)発売  
 HBR型のキャビンをベースに、MAR型で採用していた上下昇降式サイドウィンドウを取り入れた改良型キャビンが登場し、両車のキャビンは共通化された。変更点はウィンカーランプがカウル上部に移動し、ワイパー取付位置がフロントウィンドウ下側へ移ったこと。長年続いたツートーンカラーを止め、新しく薄茶色のボディカラーを採用したのもこの新キャビンの特徴のひとつ。

 このキャビン変更に伴い、MAR型(1t〜1.5t積)はMBR型へ呼称が変更された。コラムシフトが採用されたため、HBR型と同様に3名乗車が可能となった。また、1.5t積用として新たに
1105ccの空冷2気筒エンジンが追加されるとともに、燃料タンク容量が28Lから40Lへ増量された。トランスミッションは2〜4速がシンクロメッシュ式に進化した。荷台長さは、従来の7尺/8尺に10尺を加え、全3種類となった。

 一方、HBR型(2t積)は型式名称に変化はなく、後期型と呼ばれるに留まった。MBR型と同様に、トランスミッションは2〜4速がシンクロメッシュ式となったほか、MAR型で先行採用した後軸懸架のオイルダンパーが、このモデルから2t積にも展開された。













1959年式・MBR81


1959年式・HBR82

― 第1章 ―
水冷エンジン搭載のT1100/T1500登場
(1959年)

 早くから4輪車市場への本格進出を狙っていた東洋工業は、1958年に初の小型4輪トラック・ロンパーを発売し、着々とその基盤づくりを進めていました。さらに翌年には、新開発の2種類の水冷エンジンを搭載して商品力向上を図り、新たにD1100/D1500として発売します。エンジン出力アップと静粛性向上を求めるユーザーの声に応えるためのものでした。
 この水冷エンジンがオート3輪の主力モデルにも搭載されることになり、この時にT1100/T1500という新呼称が与えられました。ついにTシリーズが誕生します。


●1959年10月  T1100(TTA) / T1500(TUA)発売
 先々代モデルにあたるCLY型/CHTA型の時代から搭載してきた空冷V型2気筒エンジンが、新開発の水冷直列4気筒エンジンへ換装される。
 まず1t〜1.5t積クラスには、TA型・1139ccエンジン(46PS)が搭載され、排気量に因んだ「
T1100」という新ネーミングが与えられた。また、2t積クラスにはUA型・1484ccエンジン(60PS)が搭載され、ネーミングは「T1500」となる。それぞれ旧エンジンに対して、13.5PS〜18PSの大幅な出力アップを果たした。
 キャビン外観に大きな変更はないが、ノーズ部分に新しくフロントグリルが設置されている。ボディカラーは青色(リバーブルー)に一新された。
 メカニズム面では、T1100/T1500ともに、マツダの小型3輪で初の
フロントブレーキを採用(1t積はクラス初)。全輪ブレーキ装着により安全性を著しく向上させた。
 代表機種である2t積・T1500では、8尺・低床一方開(標準車)のほか、8尺・低床三方開、10尺・低床一方開、10尺・高床三方開、13尺・高床三方開と、豊富な荷台バリエーションを揃えた。

















1960年式・T1100



1960年式・T1500


― 第2章 ―
排気量拡大によりT2000新登場
(1962年)

 1960年9月に日本の小型自動車の規格が変更され、排気量の上限が1500ccから2000ccへ引き上げられると、東洋工業はこの動きに合わせて、排気量1985ccの新エンジン・VA型を開発し、2t積クラスの小型商用車へ展開しました。これによって登場したのが、小型4輪トラックのD2000、そして、小型3輪トラックのT2000でした。
 新しい2t積・T2000の登場と同時に、それまでの2t積クラスに搭載されていた1484ccのエンジンが、1クラス下の1t〜1.5t積へ受け継がれました。すなわち、積載量クラスで見ると、T1100がT1500に、T1500がT2000にそれぞれ移行したことになります。


●1962年4月  T1500(TUB) / T2000(TVA)発売
 小型車の排気量枠が拡大されたことに伴い、Tシリーズのラインナップも強化される。
 まず、1t〜1.5t積のエンジンが、それまで2t積に搭載されていたUA型・1484cc(60PS)に格上げされ、新たに「T1500」を名乗ることになる(UA型はのちにUB型に名称変更される)。荷台は8尺の低床タイプのみで、一方開と三方開があった。
 そして2t積には、UA型に代わって新開発のVA型・1985cc(81PS)が搭載され、「
T2000」の新ネーミングが与えられる。T2000は旧T1500譲りの豊富なバリエーションを持ち、8尺(低床一方開/三方開)、10尺(低床一方開/高床三方開)、13尺(高床三方開)の荷台と、ダンプ・バキューム等の多彩な特装車をラインナップしていた。
 パワーユニットが刷新された一方で、外観の変更は最小限に留まるが、キャビン周りでは、フロントオーナメントが三角図形から「MAZDA」ロゴとなり、ワイパーの向きが対向タイプから平行タイプへ変更されている。
 その他のメカニズムでは後輪ブレーキが複動2リーディングタイプに変更された。また足廻りが強化され、後車軸はT2000が全浮動式、T1500が3/4浮動式となった。



















1962年式・T2000



1962年式・T1500

― 第3章 ―
圧倒的シェア、そして終焉
(1970年)

 東洋工業のオート3輪史上で最大の排気量を持つT2000は、最高出力81PS、最高速度100km/hと、まさにオート3輪の最終進化形と呼ぶに相応しい、堂々のスペックを誇りました。'60年代に入り、小型4輪トラックに小口輸送の主役の座を奪われ、オート3輪の市場が急速に縮小していく中で、圧倒的な商品力を誇るTシリーズはシェアを拡大していき、'60年代末には80%超という驚異的な数字を達成します。
 また、かつてのオート3輪優遇策により、小型車扱いながら寸法無制限だったことで生まれた全長6メートル超の13尺車は、材木商などの一部業界から根強い支持を受けていました。
 こうした背景から、1970年に一旦生産を終了したTシリーズは、その後も受注生産というカタチで1974年まで供給が続けられました。

 

●1970年  生産中止となり、受注生産に移行
 1962年に登場したT1500/T2000は、オート3輪の最終完成形と称される通り、大きな仕様変更を受けることもなく、ほぼ同じ外観を維持したまま、8年間にわたって生産が続けられた。

 1965年6月には生涯唯一ともいえる大掛かりな仕様変更が実施された。コラムシフトのシフトパターンが改良され、T2000のブレーキが全車
ハイドロマスター(真空倍力装置)付となった。装備面はフェンダーミラーが「小判型」と呼ばれる大きなものに変更され、室内では運転席サンバイザーやフロアマットが新設された。また、3人掛けのシート座面を2分割式とし、メンテナンス性を大きく向上させている。
 1969年以降の最終型では、
安全対策を中心とした改善が加えられ、サイドマーカーや運転席ヘッドレスト、シートベルト等が随時追加装着されていった。

 1970年に一旦生産中止となるものの、一部業界からの強い要望に応えるため、1974年まで受注生産によって販売が続けられた。


1966年式・T1500


1966年式・T2000









積載量クラス別に見た
モデル変遷
  1t〜1.5t積クラス 2t積クラス
1957 (S32) MAR型
(1005cc)
HBR型・前期
(1400cc)
1958 (S33) MBR型
(1005cc/1105cc)
HBR型・後期
(1400cc)
1959 (S34) T1100
TTA型
(TA・1139cc)
T1500
TUA型
(UA・1484cc)
 
 
1962 (S37) T1500
TUB型
(UA・1484cc)
T2000
TVA型
(VA・1985cc)
 
 
 
 
 
 
 
1970 (S45) (受注生産化) (受注生産化)
 
 
 
1974 (S49) (生産中止) (生産中止)






さいごに(お断り)


当ページの内容は、以下の資料や書籍の記載情報を元に、私の個人的推測を交えて作成しております。従い、事実と相違する記述となっている可能性もありますので、どうかご容赦ください。

--- 参考文献 ---

●カタログで知る 国産三輪自動車の記録。(小関和夫氏・著)
●カタログで見る 日本車なつかし物語。(高島鎮雄氏・著)
●懐旧のオート三輪車史(GP企画センター・編)
●自動車ガイドブック Vol.5〜Vol.18
●Old -timer誌 No.70
●東洋工業五十年史