<旧車シリーズ 810>


MAZDA PB型


 
戦後のオート3輪業界ではある時期、各メーカーが貨物車から乗用車への転換を積極的に試みたことがあった。業界の二大勢力だったダイハツと東洋工業では、ダイハツがBeeという本格3輪乗用車の開発に着手したのに対し、東洋工業はGB型3輪トラックをベースに乗用ボディを架装する方法を採った。時は1950年頃のことである。
 こうして生まれたPB型は、6人乗りボディの架装によって車両重量がGB型から約250kg増加したが、エンジンはGB型と同じ単気筒SV・701ccで、最高出力は僅か15.2HPであった。当初は手作りだったボディが後にはプレス製となり、PB型/PB-1型からPB-5型までの6タイプのボディ仕様が存在したが、1952年に生産中止されるまで、総生産台数は僅か690台に止まった。
 こうした3輪乗用車の出現の背景には、終戦後の自動車生産統制による乗用車不足に困窮したタクシー業界からの熱烈なリクエストがあり、東洋工業のお膝元の広島市内では、従来の輪タクに代わる「90円均一タクシー」として活躍したとされる。
 写真のモデルは当時の資料を元に忠実に復元されたものである。


 
資料によると、1951年当時はこの手の3輪乗用車の保有台数が1,000台を超えていたそうです。最も有名な存在であるダイハツBeeも結局は200台余りしか生産されなかったので、あるいはこのPB型が最大勢力だったのかもしれません。そのPB型にしてもかなりの試行錯誤があったようなので、できることなら、その他の3輪メーカー勢が送り出した苦心の作の数々を集めて見比べてみたいものですね。ただ、どれも乗心地は全く期待できないでしょうけど。

推定年式:1950
撮影時期:1990年1月
撮影場所:東京都港区東新橋汐留 '90ニューイヤーミーティング会場にて