
スキーうんちく
ノルディックスキーとアルペンスキーはいつころ分かれたのか????
いったい、踵が固定されるようになったのはいつのことか????
【スキーの歴史上の人物】
近代スキーの重要人物を3人あげると..。
●フリチョフ・ナンセン
※動物学・海洋学者、スケート・スキー・ソリ選手、極地探検家。
1861年ノルウェー・クリスチャニア生まれ。
1888年スキーを使ってグリーンランド横断に成功。
1891年「雪靴でグリーンランド横断」を出版。スキーの技術史と用具に
ついても解説あり。この本によって、それまで、北欧でしか知ら
れていなかった“スキー”が全世界に広がった。
●マチアス・ツダルスキー
※教師、画家・彫刻家、技術者、思想家。アルペンスキーの開祖。
1856年オーストリア生まれ。
1891〜96年ナンセン本の影響を受けて、ウイーンの郊外リリエンフェルト
にてスキーの研究を行なう。
アルプス地方の山岳に適応するスキー技術を確立。長い1本杖で制動し、
テールの開きだし突っ張って回転する“シュテムボーゲン”が基本。
急斜面でも、安全確実に低速回転でおりることができた。
1896年 スキー技術書「リリエンフェルト・スキー術」を出版
注)1911年、日本にスキー技術を伝えたレルヒはツダルスキーの弟子で
リリエンフェルト・スキー術の大家であったようです。
しかも、ノルウェーにもいって北欧のスキー術も身につけていたようです。
※リンク情報:レルヒ少佐については「上越市のホームページへ」へ
●ハンネス・シュナイダー
※スキーの天才、世界初のプロスキー教師。
1890年オーストリア生まれ。
1921年シュナイダーの出演した映画「スキーの驚異」が公開。
1930年(昭和5年)来日し各地でスキーを指導。
ツダルスキーのシュテム系の技術を発展させ高速回転可能にした。
アールベルグ・スキー術といってる
そのあとも、シュナイダーの技術はさらに発展。
滑降時には踵を固定する方向にすすむ。
【スキーの歴史年表】
- 850年ころ文献にノルウェー北部の戦争にスキー部隊の記述
- 1500年代スキーと戦争の記述あり
- 1710-1718年大スカンジナビア戦争でスキーが重要な役割を果たす
- 1750年以降軍隊においてスキー競技会開催
- 1790年頃よりジャンプがおこなわれるようになる
- 1814年最初のスキー競技会
- 1843年初めて?組織的なスキー競技会(トロムソにて)
- 1861年ノルウエーのトリシルで世界初のスキークラブ発足
- 1862年上記クラブにより、組織的に開かれた世界最初?のスキー競技会(ジャンプと滑降)
- 1877年首都のクリスチャニア(現在のオスロ)にクリスチャニア・スキークラブ発足。このころの締具は踵の上がるフィットフェルト式。
- 1888年ナンセンがスキーを使ってグリーンランド横断に成功
- 1891年ナンセン「雪靴でグリーンランド横断」を出版。スキーの歴史と技術についても記述。
この本によりイギリス・中欧へスキーがひろがる。これに影響を受けて、ツダルスキーがウイーンの郊外リリエンフェルトにてスキーの練習をし、アルプス地方に適応するスキー技術を確立した。
- 1896年スキー技術書「リリエンフェルト・スキー術」を出版
※長い1本杖を持ち、テールの開きだして突っ張り回転する(シュテムボーゲン)。山岳にあうように締具を改良(リリエンフェルト式締具)
- 1901年からツダルスキーがスキー講習会を開く
- イギリスでノルウエー・スキー技術が発展
- 1902年八甲田山で青森歩兵連隊の兵士200名が遭難。ノルウェー国王よりスキー2台送られる。
- 1908年オーストリア・ハンガリー軍にスキーを導入・ツダルスキーはスキー手引き書作成
- 1911年1月レルヒ少佐高田師団に赴任、スキーの講習会を行なう
- 1911年4月レルヒ、クラッツアーと富士山にスキー登山を試みる(登頂ならず)。
- 1911年5月レルヒ、高田師団員と妙高山にスキー登山。
- 1921年シュナイダーの映画「スキーの驚異」が紹介される。
- 1930年シュナイダーが来日、各地でスキーを指導。
※ナンセン以降、北欧系のスキーと中欧系のスキーが独自の発展、そしてそのあと論争と対立。
シュナイダーの出現によって、山岳におけるスキー技術は、中欧のアルペンスキーが絶対的に優位になった。
<参考文献>
※「スキー技術の歴史と系統 ターンへの挑戦」
中浦皓至 著、北海道大学図書刊行会
※「日本スキー事始め レルヒと長岡外史将軍との出会い」
長岡忠一 著、ベースボール・マガジン者
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