アパラチアン,トレイルのハイキング!

2014年6月の記録。


第1部 ニューハンプシャー州の踏破記録。

[序]

その夢は数年前から心の隅にあった。スペインの次はアメリカの自然の森 アパラチアン、トレイルの中を歩いて
豊かな自然を楽しみ、 アメリカ人たちと交流しながら山歩きを楽しもう!


そもそもアパラチアン、トレイルとは出発は南部のジョージア州 スプリング、マウンテン(1,153m)からゴールは
北部のメイン州マウント、カタディン(1,605m)まで 14の州を越えて続く、延べ2200マイル(3,500q)に及ぶ
長大なハイキング、コースのことであり、通常これを踏破するには健脚の人でも6ヶ月以上を要する
大プロジェクトなのである。

このアパラチアン、トレイルは設立されてから既に100年以上の歴史があり、その自然保護が徹底されている
ことでも有名である。 トレイル上では指定された場所以外の露営は禁止されており、殆どの場所で
食事付山小屋等の設備は無く、テントかシェルターと呼ばれる屋根付き建物内で自炊、露営が必須である。
従って、これら装備一式と食糧を常時、背中に担ぎ歩き続けなければならないので、その過酷さから途中で
断念するハイカー も多々あり、見事最後まで歩き通したハイカーは「スルー、ハイカー、Through Hiker」
呼ばれ多くのハイカーから尊敬を集めるとの事である。
そのトレイルの一部で、全ルートの僅か7%相当の240qしかないが、厳しい山岳コースである北部ニュー、ハンプシャー
州をハノーヴァーからゴーラム(NH)までを、先ず1人で歩こう!と決めた。
この区間は装備、食糧等が重くなるのでしっかりと二週間を掛けて歩き、もしそれが達成できたら、
次年度以降に残りのトレイルに挑戦しようと考えその準備を始めた。

「ガイドブック」「地図の入手」

ネットで調べ アマゾン、USA に直接注文し、三か月前に全て入手出来た。 何しろこれが無いと 「キャンプサイト」
「HUT」(山小屋)等」
の場所が解らないので全体の日程、計画が立てられない。

「ハイキングの携行必需品」

全体の重量を15s以内に抑えることを目標とし、60リットル、ザック(1.7s)、登山用テント(一人用ゴアライト1.5s)、
夏用ダウン寝袋(0.5s)、床用エアマット(0.4s)、羽毛防寒着(上下で0.6s)、燃料ボンベ、ストーブ(0.7s)
サブザック(0.4s)、食糧(4日分、2.0s)、水ろ過装置(0.3s)、着替え(1.5s)、医薬品、サンダル
ヘッドライト、雨具、デジカメ、携帯電話、予備電池、食器、杖、タオル等を詰めるとザックは一杯だ。

役立った文献:

  • 1. 2013年度版トレイルガイドブック(AMC アパラチアン、マウンテン、クラブ発行 $15:95
  • 2. White Mountain Map (Water Proof) $9:95
  • 3.「メインの森をめざして、アパラチアン、トレイル3500キロを歩く」加藤」則芳 著、平凡社2011年版。
  

「出発。」

6月10日。 成田を出て12時間後にボストンに着き、空港からバスに乗ってトレイル、ハイキングの出発地 ハノーヴァー(NH)
に夕方着いた。 この小さな町は私立大学では名門として知られたダートマス大学のキャンパス、タウンである。
6月11日。はこのハノーヴァーの町でバスボンベや必要食糧を購入し、トレイルの最新情報、地図 などを入手して全ての
準備を終えた。

「キンズマン、ノッチまで」(52.7マイル=84.3q)

6月12日(第1日)。,は朝から生憎の雨だが、いよいよアパラチアン、トレイルに入り ゴーラム(Gorham,NH)に向かって出発した。
町から約15分歩いたガソリン、スタンド横からトレイルに入る。雨は次第に小降りになり,夕方3時過ぎにこの日のキャンプサイトの
ムースマン、シェルターに着いた。 そこには1人北から歩いてきた先客がいた。彼はまだ若い大学生でメイン州立大学で
環境学を学んでいるとのこと。 大学が夏休みの間に出来るだけ南に向かって歩くと語り、既に カタディンからの
440マイル(約700q)を踏破してきたとの事。 少し遅れてセント、ピータースブルクから来たロシア人が着いたが
ひどく濡れており、寝袋も濡れてここのシェルターでは夜は寒くて寝れないと忠告を受けて更に5マイル先の高度の低い
次のシェルターーまで歩くと言って去って行った。
本日の歩行距離=10.9マイル(17.5q)



6月13日(第2日)。  夜中はずっと風雨が強く最悪の天気を予想していたが、夜が明けると霧が濃く、風は吹いていたが、
小雨だったのでほっとして7時過ぎには出発した。 この日はスマート、マウンテンまで登りが続く。 昼前から 雨は激しくなり、
雨具を通す強い雨と靴の中もビショビショで何とも歩き難い状態となった。 昼前にトレイルが自動車道と交わる地点(880ft) 
に人家があり、ハイカーに「自家製のアイスをごちそうする」のサインで寄ってみたが、生憎不在であった。
雨はさらに強くなり、風も吹付け悲惨の状況の中を頑張って登り、17時にスマート、マウンテン(3237ft)の頂上
を越えしばらくして無人のキャビン(シェルターが数年前に火災で消失。)に入った。 既に先客の二人組が休んでいた。
キャビンの中でテントを張って濡れた衣類を着替え、暖かな夕食を食べて寝る。
本日の歩行距離は12.4マイル(19.9q)


6月14日(第3日)。  朝、外を見ると雨は殆ど止んでいた。前夜の濡れた衣類は生乾きだが、再び雨具を上に着込んで6時半に
出発する。 午前中に雨は完全に止み、空は明るくなるものの依然として霧が残り遠くの山は見えない。 しかし、雨具を脱いで
歩けるのが嬉しい。 一度1450ftの鞍部に下りてから再びMt.Cube(2911ft)に登り昼食を取る。  再度915ftの自動車道を
横切ってから1883ftのテントサイトを目指して登る。 午後トレイルの脇にアツモリソウの群落に遭遇する。 何と、丁度満開で、
ラッキー!を叫んだ。 通りかかったハイカーに聞くとこの時期十日間だけ見られる花なのだそうだ。
夕方は17時前にOle Hill Campsiteに到着するが、自分以外の宿泊者は無く, 設営し夕食後に10mの高さの枝に 熊から食糧を
守る為のラインをかける。本日の歩行距離=12.8マイル(20.5q)
 
6月15日(第4日)。  朝6時半に出発したが、トレイルに戻る道が判らなくなっていた。 昨日夕方は落ち葉の上の踏み跡
が解り難いとは感じていたが、朝見ると全く分からなくなっていた。 慎重に地図と磁石で方向を探りながら捜索する
こと40分近くでやっと見つけた時はほっとした。 でも出たら如何しようかと冷や汗が出た。
昼ちかくになって車の音が大きくなり、州道25号線に飛び出した。 車道を東へ500m程あるいて、Glencliff村 のハイカー用の
ホステルに到着してチェックインした。 ここは名前もHikers Welcome Hostelの通り歓迎してくれた。
シャワーを浴び、洗濯をして夕方まで同宿者達と歓談、休養し、夕方オーナーの車で近くの町、Warrenのスーパーへ
買い出しに出た。 明日は宿に荷物を預けて、サブザック一つでMt. Moosilaukeの向こう側の下山口 (Kinsman Notch)
まで車で送って貰い、そこからこちらへ向けて一気にこの巨大なMt.Moosilauke の山越えをしてGlencliffに戻る(この手法を
Slackpackと呼ぶ)を狙おう。 本日の歩行距離は7.3マイル(11.7q)
 
6月16日(第5日) 朝は快晴。 6時にオーナーに車でキンズマン、ノッチまで送って貰う。天気は快晴 、6時に準備して
車の前で同行者と一緒に運転手を待つ。 シャトルは30ドルだが、二人でシェアーして半額の15ドルで済むのは嬉しい。
30分程走り、Kinsman Notch1,(870ft)の駐車場に着く。 ここから一人で南の方角に向かって Beaver Brook
の沢を登る。 荷物が着替え、雨具、昼食、水だけだから軽い(!)ので登る速度も速い。 前夜ビーバー、ブルーク、シェルター
に泊まり、北へ向かって下って来る年配のハイカーと出会う。 9時半にMt. Moosilauke頂上(4,802ft)に到着する。  頂上到着の
15分位前に頂上から北に向かって下って来る4人組ハイカーは昨夜ホステルで同宿した若者グループだった。 早い!。 
20s近いバックパックを軽々と担いで走るように進んでいった。 頂上で一人眺望を楽しみ、昼食を食べて下りに
掛った。 順調に下山したが、12時前にGlencliff村に出る道が判らなくなった。分岐点でサインが全く無い!
2,3年前に大雨でトレイルが流れ、臨時の道なのでサインが極端に少なく、エイヤーと左の道を取ったらこれが間違いで1時間近く
歩いて、村の反対のハズレの人家に出て、道を尋ね、ついでに車で送って貰うことになった。 1時半にホステル帰着。
本日の歩行距離は8.4マイル(13.5q)、迷い道は計算不能。

「キンズマン、ノッチ」から「クロフォード、ノッチ」まで(44マイル=70.5q。)

6月17日(第6日)。 朝6時にハイカーズ、ウエルカム、ホステルのオーナーに車で昨日と同じ キンズマン、ノッチ(1,870ft)まで送って貰った。
新しく5日分の食糧を入れたのでバックパックは40ポンド(=18s)にまで増えて最高に重くなったが肩が少し慣れて
ゆっくり歩けば我慢できる状態になったのは嬉しい!。 朝から登り続けてMt.Wolf(3,478ft)を越え、 Elisa Brook(2,408ft)
下り再びきつい登りで South Kinsman Mt(4,358ft)を越えた。 そして夕方7時前にキンズマン、ポンド、シェルター(3,763ft)に着いた。
実はこの日小さなトラブルがあった。 Mt.Wolfからの下りでトレイル、マーク(樹木の3m位高い場所に白ペンキの標) が見えなくなり、
道を間違えてかと不安になり、荷物を置いて少し先を調べていたら後ろから一昨日にホステルで同宿した若いハイカー
インディアナのハッチが追い付いてきて声を掛けてくれた。 道は間違っていなかったのだ。
彼は早くあっという間に私を追い越して行って姿が見えなくなった。
このハッチ君にはその後しばらく逢えなかったが、8日後の25日にゴーラムホステルで再会することになる。
今日からWhite Mountain Nat'l Forestに入ってので宿泊は有料となりシェルターの管理者レンジャーに8ドルを払った。
本日の歩行距離=11.5マイル(18.4q)

6月18日(第7日)。 前夜は20時頃から続々とハイカーが到着して、合計6人がシェルターに泊まる賑やかさであった。 今日は再び
稜線から下のFranconia Notch(1,443ft)まで下り、高速道路の下をくぐって向こう側の登りを Liberty Spring(3,910ft)まで登る
事になっている。 距離は比較的短いが起伏の激しい一日である。 フランコニア、ノッチではトレイル は川沿いの小道となり、そのまま
高速道路の下を抜けるのだが、例によって標識(サイン)が無い中を不安一杯で進んだが無事通過出来た。 11時前に
リバティ、スプリング、トレイルの入口に着いて、登りに掛った。 約2時間半の登りで今日のキャンプ地 Liberty Spring Campsiteに到着
し久しぶりに陽の高い内に設営した。 これまで炊事、飲料用は全て川か湖からとったものを ソイヤー社(Sawyer)製
メンブラン、フイルターでろ過して使ったがここは名の通り、泉から湧き出した場所で取水出来、そのまま飲むと冷たくて実に
美味しかった。 しかし山ではアルコール抜きであり、少しだけウイスキーが欲しいところだったが、じっと我慢の子であった。
昨日からホワイト、マウンテン、ナショナル、フォレストに入ってテントサイトは有料の8ドルとなったが、メリットとして、トイレ が完備し、熊対策の
ベア、ボックスが備え付けられて便利で,安心して睡眠できるようになった。 デザインが珍しいので写真に撮って記録した。
本日の歩行距離=7.5マイル(12.0q)




6月19日(第8日)。  風は強いが、晴天の朝、6時15分出発する。 すぐ稜線に出てから Mt.Lincoln(5,089ft)へ登る。
いよいよ森林限界を越えたのでトレイルでは風が強いので注意が必要となった。 朝、雲が無かったのにまた出てきて視界が
妨げられる。Mt.Lafayette(5,291ft)はこのあたりでは最高峰であり、雲の切れ間にその雄姿を見て感動を覚える。
これらの山々は歴代の大統領の名前が付いているのに、その頂上に「山名看板」が無いので確認が取れないが記念写真だけ
はセルフタイマーで撮る事にした。 私にはラファエッテ山は大きく、高く、堂々とした風格のある山で南アルプスの赤石岳 の感じがした。
昼ごろから天候は回復し、晴天となる中、一度鞍部に下ってからMt.Garfield(4,500ft)に登り、 ゲイルヘッド、ハット(Galehead Hut)
に 3時頃着いた。 今日の露営地はまだ先なので、腹ごしらえをして、Soutu Twin Mountain(4,902ft) までしっかり登る。
夕闇がせまる頃、18時30分に予定通りGuyot Shelter,(4534ft)に到着した。 疲労困憊であるが設営だ。
本日の歩行距離=13.1マイル(21.0q)


6月20日(第9日)。  テントサイトが林の中で夜は静かだったが、朝6時半に出発して Zealand Mountain(4,260ft) に着くと
風の強いのが実感できた。 ここはZealand Falls Hut を回るのが正式トレイルだが、途中から Zeacliff トレイルを使って近道が
可能と判断し地図を頼りに急坂を下る。 一気に1,500ftを下るのだが、途中にきれいなお花畑の場所があり、写真撮影を
した。 さらに15分程歩いた地点でポケットにカメラが無いことに気が付いた。 途中で落としたのか? 思い出せないので、
上部のお花畑に引き返す。 足元にカメラを探しつつ歩き、結局お花畑でカメラを発見出来た。 ポケットに入れそこなって
落としたようだ。 何と馬鹿な! 重いバックパックを担いで戻って来た。 下に置いて空身で登れば良いものを、、、余程動転
していたのか? しかしカメラが戻って助かった。 予備のカメラは無いので、発見出来なかったらと考えると恐ろしい。
この後は順調にEthan Pond トレイルに戻り、快適にクロフォード、ノッチを目指して歩く。 ここで再び「あつもり草」の群落に遭遇して、
撮影に没頭し、幸福な時を過ごす。 エタン、ポンド、キャンプサイト(2,874ft)から一気に Crawford Notch(1,277ft)まで下り302号線
に3時過ぎに出て、3マイル西のHighland Center(宿舎併設)までヒッチハイクするため指を上げて車に 合図するが、直ぐには止
まってくれない。 15分位でやっと1台のピックアップトラックが泊まって乗せてくれた。 予約はなかったが、スルーハイカー
と言うことで2食付で80ドルで宿泊OKが出た。 ここはAMC(アパラチアン、マウンテン、クラブ)の経営なので 二日後に宿泊予定の
Madison Spring Hut(4,800ft)の予約を依頼して承諾を得た。 何と一泊135ドルもした。
夕食はカフェテリアで久しぶりのブッフェ形式で腹一杯、ビール付、デザート付で楽しんだ。
本日の歩行距離=11.9マイル(19.0q)


「クロフォード、ノッチ」から「ゴーラム」まで(47.1マイル=75.4q。)

6月21日(第10日)。 もっと早く出発したかったが、トレイル、ヘッド(登山口)へは8時30分発のシャトルしかなかった。
8時40分に前日ヒッチハイクした場所(1277ft)からウエブスター、クリフ、トレイルを登りだして Mt.Webster(3,910ft)を通過してMt.Jackson
(4,052ft)
には12時50分に着いた。 この道は文字通り崖の淵を登るもので、度々左側に高度差で1,000m近く切り立った崖
の下には豆粒のように車が走っていた。 ちょっとした高度恐怖症を感じるトレイルであった。前後には家族連れで日帰り
ハイキングを楽しむ人たちが多く賑やかであった。 水平になった道を歩くと前方林の中に目標のMizpah Hut が見えている。
しかし楽しみにしていたMt Washington(6,288ft=1,917m)は厚い雲の中で見ることは出来ない。  明日は必ず晴れて欲しいと
願う。 14時10分、Mizpah Hutに着き、その隣のNauman Campsite で露営の登録をした。 ここはやはり人気のスポットであり
キャンプ客も多く、1台のプラットフォームに最低でも3〜4張のテントを張る混み具合であった。 一段落した所で、Mizpah Hut の見学と
炊事用水を貰いに出かけた。 以前にNHKの放送番組で見た時の印象より小さかったが、明るい雰囲気で快く「ろ過水」
を分けてくれた。 本日の歩行距離=6.4マイル(10.3q)


警告! アパラチアン、トレイルを歩くと色々面白いサイン警告 が見られる。 面白いものとして、下の写真を紹介する。
左はトイレの扉に張られており、要はバイオ、トイレは乾いた状態で分解が進むが、濡れすぎるとダメなので小便は森の中でする
ように! 右は熊が夜、ハイカーのテントに近づいて食糧を奪えないように高い樹の枝に下げるように指示し、詳しく説明している。
大事な警告として守ることが求められている。


英語の表現と新単語:ここでアパラチアン、トレイルでよく聞く英語で、理解しにくい単語を
解説し、誤解のないようにして置きたい。
1. Hut :公営で夕食、朝食付の山小屋。 予約制で50人位が泊まれる。 一泊は130ドル位で高い。
2. Lodge &/or Hostel; 民間の経営で多段式ベッドの相部屋で食事は無い。 有料のシャワー、ランドリーが使える。1泊は25ドルから。
3. Shelter; キャンプサイトで屋根、床、3方の壁の付いた小屋。 原則利用は無料。 水など無い場合もある。
4. SOBO /NOBO; ATを南向き(South Bound) か北向き(North Bound)に歩くハイカーを意味する。
その他の単語はこの他の旅行記文の中でその都度説明しよう。

6月22日(第11日)。  朝3時半、暗いうちに起床、炊事に掛る。 今日は高度差、距離とも厳しい一日になる為、5時に出発
した。 高度3,800ftのキャンプサイから薄暗い中をひたすら登る。 麓は雲が無いがワシントン山 は雲の中で見えない。
森林限界の上に出て、一気に見通しが良くなる中、Mt.Eisenhower(4,780ft), Mt.Monroe(5,372ft) をそれぞれ頂上には
登らずに東側斜面をまいて通過し、8時40分に頂上直下の湖、Lakes Of The Cloudsに到着した。 湖畔のハットでしばしの休憩
をとる。 この頃から雲が切れ始め、時々頂上の観測用アンテナが見えてきた。 登る途中でボストンから来た 老年夫婦(?)と抜き
つ,抜かれずの状態で話が弾む。 Kenは67歳とか、私と同じ齢の兄がいるとか、、。 彼等は湖畔のハットに昨夜は泊まり朝に
出発したばかりである。 私が5時にMizpahを出て来たとは信じられないと。  10時10分にワシントン山頂に到着し記念写真を
撮りあう。 折しも、西側山麓から登ってきた始発の蒸気機関車が押す「COG Rail」が山頂駅に到着し、 これも写真に収める。
実にぴったりのタイミングであった。 この後登ってくる列車は全てディーゼル機関車でSLは始発の1便に限られているそうだ。
山頂駅のレストランで休憩後、Ken達と一旦別れて5マイル先の宿泊地、Madison Spring Hutに向かう。 目前にはMt.Jefferson
(5,712ft)
Mt.Adames(5,774ft) の大きな山塊が横たわっており、しっかり歩かなければ夕方までに宿に着けない。
1mを超す岩のごろごろしたトレイルの上り下りを越えて16時過ぎにようやく目指すハットに到着し、チェックインをした。長い一日だった。
初めてのハット宿泊だったが、3段ベッドの下段が与えられた。 充電用のコンセントはハイカーのスマhpの充電で賑やかだ。
意外だったのは「酒」は全く販売しないことであった。 しかしPinkham Notchから 登ってきた10人位のハイカー達が持参して
来たワインボトルを開けてパーティを開いて楽しむのを横目で見つめる他の客達は寛容であった。 夕食、朝食は全員食堂で同じ
メニューでの食事が腹一杯振る舞われ、スタッフ達の寸劇を見て楽しいひと時を過ごす事が出来た。
本日の歩行距離=11.8マイル(18.9q)11時間行動。



6月23日(第12日)。 ハットの朝は静かであった。 朝食は7時からなので6時過ぎから人は起き出した。 天気は無風、快晴
なので朝の散歩を少しして食堂に行った。 7時40分出発して直ぐは700ftの急登でMt.Madison(5,366ft) の頂上を越える。
昨日登ったワシントン山は遥か遠くに見え、昨日の苦闘が忍ばれる。 昨日は夕刻6時半にハットに着いた ボストンKenと
Bonnie
夫妻とは今朝、カードを交換して別れたが、これからのPinkham Notch(2、050ft) までの急な坂を彼等は無事下れるか
等と考えながら岩場の道を下る。 Osgood Tentsiteへの分岐点から水平道に入り約5マイルのトレイル を歩いて途中ワシントン山
への自動車道を横切り、14時過ぎにピンカム、ノッチビジター、センターに到着した。  程なくあのGlencliffのホステルで同宿して以来
知己となった二人のスルーハイカー、「SISU」と「SUWAYED」(共にトレイル、ネーム)が追い付いてきた。 ここから麓の町、 ゴーラム
White Mountain Logde & Hostelへ電話して車で迎えに来てもらう交渉をした。 待つこと30分で黒の アウディが到着。
幸いにして、宿泊可能でシャワー、洗濯、朝食付、シャトル付で一泊35ドルとのことで有りがたい。 後で知ることになるが
オーナーの奥方、マーニーの朝食が絶品で皿一杯に量も豊富に盛り付けてくれ、頗る評判が良かった。
夕方同宿者達と車で街の繁華街に出かけ、夕食用サラダ、サンドイッチ、ピザ、ビール、ワイン等を買い込んで来た。
本日の歩行距離=7.8マイル{12.5q)



6月24日(第13日)。  昨夜、一泊だけの食糧、テント等の軽装備のバックパックを作り、約10sの重量に減らして
残り21マイル(33.7q)二日で歩く計画を立て、約5sの荷物を宿に預けて朝、ピンカム、ノッチ まで送って貰うことにした。
宿を8時に出たが、途中立ち寄る郵便局が8時半まで開かない等、遅れが出てピンカム、ノッチを9時に出て、 Wildcat Mountain
を目指して登り続けた。 荷物が軽いので休まずに歩き、11時20分に4,000ft地点、13時45分にCarter Notch Hut に到着。
ここで昼食を食べたが、天候が恐れた通りに悪化し、小雨と霧が濃くなる。 兎に角やたらとUp/Downが激しく時間が掛る。
15時にCarter Dome(4,832ft)を通過し17時半にMiddle Carter Mt.(4,610ft) を越えて Imp Campsite(3,344ft)に到着
したのは暗くなる前の18時45分になった。ここにもレンジャー(ケア、テイカーと呼ぶ)が待っていて8ドルが徴収された。
ここはシェルター が充分に広く、またあまりに遅くに着いたのでテントは立てずにシェルターの2階で寝た。
本日の歩行距離=13.1マイル(21.0q)


6月25日(第14日)。  いよいよ今回のトレイル、ハイキングの最終日、ゴールの日である。  天気は何とか落ち着いて曇りだ。
7時にシェルターを出発したが、他の同宿者は南向きのハイカーばかりで自分一人でMt.Moriah(4,049ft) へと向かう。
前日の雨で木道の部分は滑り易いので慎重に進む。 尾根からRattle Riverに沿った谷道に入り、 一気に高度を下げる。
谷の途中から蚊が多くなり、刺されたりしていらいらするが、辛抱が大切とひたすら歩く。 12時30分、ついに自動車道US 2
に飛び出した。 ここから西へ150ヤード歩けば一昨日泊まったWhite Mountains Lodge & Hostelである。
宿に着いたら早かったな!と皆で誉めてくれた。 そして、サプライズ!はあのインディアナのハッチ君 がここに泊まっていた。
17日のEliza Brookで追い抜かれてから8日ぶりの再会であった。 彼は若く、あまり金銭の余裕がないので 所処で旅費を
稼いでいるらしい。 とにかくこの宿が気に入ったので、2泊連泊の手続きを取り、26日は完全休養を実行した。
この日は13時頃から土砂降りの雨に変わる。 しかし今日飲むビールの味は格別であった。
  本日の歩行距離=8.0マイル(12.8q)。



6月26日(第15日)。 朝、同宿者が次々とトレイルに向かって出発して行く。 自分は完全休養日だ。
洗濯もして、明日からの後半戦、メイン州Mt.Katahdin登山に向けて資料の勉強も必要だ。 絵葉書も書いて出そう!
午後、散歩を兼ねて宿から北の方角のAndroscoggin川に掛る橋を越えて、アパラチアン、トレイル の次の入り口、Cenntenial Trail
を見に行った。 昨日、ハッチ君が消えて行った所で、ゴールカタディン山 はこの先、298マイル(477q)にある。
ここを歩く日があるのかは今の自分には解らない。 日本に帰ってからゆっくり考えることにしよう。

第2部 マウント、カタディン登山記録。

アパラチアン、トレイルのゴール、カタディン山へ。

6月27日(第16日) 朝7時過ぎに宿のシャトルでバス停のガソリン、スタンドに送って貰った。
乗ったConcord Buslineの大型バスは4時間掛けて一旦ボストン南駅 に戻る。 そして、2時間後に別のバスで北に向かい
3時間掛けてBangorの町に着く。 そこでバスを替え、更に北へ1時間走り Medwayという小さな町に着くと時間は
既に夜8時過ぎで太陽が地平線に掛っていた。 バスを降りるとそこにアパラチアン、トレイル、ロッジオーナージェイミー
待っていてくれた。 同じバスで着いたミシガンRory と言う若者と一緒にシャトルに乗り、20分でやっと宿に着いた。
チェック、インの後、Roryと隣の酒場に出かけて、遅い夕食とビールを楽しんだ。

6月28日(第17日)。  当初の計画ではこの日夕方にBaxter State Parkの中の Abor Campgroundにシャトルで送って
貰ってテントを張るために事前にネットで予約を入れて置いた。 ここはMt.Katahdin への最短登山ルートの出発点だから
なのだ。 しかし日本から出発前の5月に「このシーズンはAbolトレイルは閉鎖された」との連絡を受けた。
現地に入って詳細を聞くと、この冬に雪崩が起き、登山路が破壊され補修のための閉鎖との事。 しかし隣の Katahdin
Stream Campground
はもう予約が取れない由。そこで提案として、Roryは29日のキャンプ場予約を持っているので彼と組んで
29日に朝、ロッジを出発して、Mt.Katahdinに登り、下山後に彼の予約したサイトテント を張らせて貰う事になった。
と言う事でこの日もロッジで泊まり、食糧の買い出しをしたり、荷物の整理をすることにした。 因みにこのロッジの宿泊
条件は27日はMedwayまでの迎えのシャトル、バンクルーム(Bunkroom,複数人がベッドを並べて泊まる)使用料、それから
Mt.Katahdin登山口までの送りのシャトル代を全て入れてSOBO割引パックとして70ドルとなっている。

6月29日(第18日)。  朝6時から開く近所のカフェーで朝食を取り、Roryと他に2名の若者を乗せて、シャトルは
カタディン山の登山口へ出発した。 約1時間程の運転で登山口に到着し、レンジャーの事務所内に荷物を置かせて貰って
サブザックでHunt Trailよりカタディン山へ登りだす。 今日は日曜日なので、 日帰りで登る登山者も多く、ワシントン山を思い出す。
8時前から登り始め、次第に高度を上げて、2時間程で森林限界を越えて大きな岩の繋がる難しい箇所に達した。
ボルト、鎖も有り危険は感じないが、兎に角ルートが長い。 岩の坂を越えたらテーブル状山らしく殆ど平坦な台地
が2マイル以上続く事になった。 今日が初日のRoryは足に軽い痙攣を起こし頻繁な水休憩を取る。
若手2名は先行して、私とRoryはゆっくり登り続け12時30分に頂上に到着した。  天候は最高で、遠くカナダも
見える気がしたが、帰りの時間も考え、食事後速やかに来た道を引き返して下山に掛る。
私には一応これが終着点だが、Roryはこれから始まる南行の6ヶ月に及ぶ2,200マイル(3,500q)の旅の初日である。
二人は全く異なる立場だが、Mt.Katahdinに登った満足は共用出来たはずだ。 うまく下山出来て、レンジャー事務所の
閉鎖前の16時45分に着いてテントの登録をして。 二人はそれぞれのテントでそれぞれの食事をして気持ち良く睡眠をとった。
本日の歩行距離=10.2マイル(16.3q)




6月30日(第19日)。  朝6時にRory40ポンド(18kg)以上のバックパックを担いで一人で100Mile Wilderness へと
消えて言った。 彼から終着点のジョージア州、スプリング、マウンテン着の報がとどくのは11月頃だろうか?
私は1時間後にテントを撤収し、レンジャー事務所の前で迎えのシャトルを待つ。 程なく、オーナーのPualが今日の登山者を
送るため到着した。 シャトルでロッジに戻ったのは9時過ぎだったが静かなロッジの部屋でサッカーのワールド
カップの試合を見ることにした。  これで私のアパラチアン、トレイル旅は一応の結末となった.

7月1日(第20日)。 朝9時前に宿アパラチアン、トレイル、ロッジシャトルで20分の距離にある Medwayの町に送って貰う。
いよいよ3週間に及んだアパラチアン、トレイルから離れる日である。 3回バスを乗り継ぎ、乗り換えて ボストン空港への長旅である。
午後3時半、予定通り空港に着いたところで宿泊先のホテルから迎えのバスの手配を電話で頼む。 30分待ってバスが来て、
ホテルにチェックインする。

「ボストンにて」

7月2日(第21日)。 以前からボストンの美術館は世界中から優れた美術品を収集している事で有名であり、是非訪れたい
と希望していた。特にこの美術館は東洋美術品の収集が多く、特に江戸時代の絵師「曽我蕭白」(しょうはく) の作品で、
巨大な「雲竜図」を所有していることが知られていた。 これを鑑賞する事が目的てだったが、見られるとの確証はなかった。
そこでまずは出かけて聞いてみようと地下鉄に乗って出かけた。 所が、これまた幸運にも、近年その修復が完了して、
常設の鑑賞室も一般に開放されじっくりと味わうことが出来たのだ。 
この美術館は65歳以上の入場者にはシニア割引もあり、25ドルが22ドルにして貰った。 またフラッシュを使わなければデジカメ
で撮影も許可されていた。 他にも日本から明治時代に流出した数々の名画、仏像等も展示され、時間も忘れて楽しい時を
過ごした。 翌日、予定通りに帰国の途に就いた。



「ホステルのURL」

  • http://www.hikerswelcome.com/
  • http://www.whitemountainslodgeandhostel.com/
  • http://www.appalachiantraillodge.com/

「総括と反省」

  • 今回は装備の検討不足で、結果としてバックパックは重くなり、常時35ポンド(16kg)近くあり、体力を落とす結果に
    繋がった。特に、テント、キスリング(60リットル)は登山仕様の古いものでもっと軽量のものを探すべきであった。
  • アメリカは今日、地方の小都市では携帯電話は圏外と出て使えない所が多い。 WiFiが広く普及しておりiPhoneが
    広く使える。従って、次回は海外で使えるスマホが必携である。
  • 軽量の保存食として、アメリカでもNISSINのラーメンが広く普及しており、安くて美味しいので積極的に採用すべきで
    あった。その他の乾燥携行食を十分調査、研究が必要。
  • 飲料用の水ろ過器は有効だった。 事前にAmazonからSawyer製品を購入して持参したが、ろ過速度も速く、
    装置も軽く、メンテ、耐久性等も問題なかった。 日本で災害時に使えて有用と思われる。
  • ATを全行程を踏破する計画は半年にも及ぶ長期戦なので、ある程度若さのある年代である必要があるが、
    部分(セクション)を歩くなら高齢者でも可能であり、じゅうぶんに事前調査、研究して行きたいものだ。
以上。

第3部ギャラリー

  
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