アンデス2007 の想い出!2007年 6月〜7月の 遠征記録。 |
![]() 我々が2年前と同じ「コンチネンタル航空」に乗って、 「アメリカ」の「ヒュー
ストン」 経由で 「ペルー」の首都 「リマ」に到着したのは,日本を出て約20時間後の、 「2007年6月20日」の夜10時過ぎだった。 後半は「エクアドル」に移動し、2年前に果たせなかった
「コトパクシ山」に再挑戦することと、更に「エクアドル」の最高峰「チンボラ
ソ山国立公園」を散策する計画を建てた。 |
第1部ペルーでの 活動記録 |
![]() ![]() 「ペルー」の首都「リマ」
に深夜到着の翌日、我々は「リマとインカ」の「文化、歴史」
を学ぶ気持ちで「サン、フランシスコ教会」、 |
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![]() ![]() 「ワラス」に入った日に現地ガイドの
「ソル、アンデノ社」(Solandino S.A.C) のサウル君(Sr. Saul Angeles Cruz)と
今後の 翌日から「高度順応化プログラム」が始まり、先ずワラス
より700m高い 「コフップ谷」にバンガローを経営している 「三
井さん」の この時見た看板には面白い「注意事項」があったので紹介す
る。 翌日(24日)、我々は次の「高度順応(Acclimatization)」としてバスで「オリンピカ峠
(Punta Olimpica,4890m)」 に向かい、 |
![]() 2年前と同じ、「ワスカラン国立公園」内
でトレッキングをするに当り、 幸いなことに今回は毎日「雲一つ無い、好天」が続き、 「サンタ、クルス峰」、
「タウリラフ」峰、「チャクララフ峰北面」
などを完璧に鑑賞出来、感激の |
![]() ![]() トレッキングの「初日、二日目」は「体調」
が伴わない人には苦しいものであるらしい。 |
![]() キャンプ地「タウリパンパ」は 標高約4200mに
位置するが |
![]() ![]() ![]() アンデスの「トレッキング」を語る時に
「ロバ」(スペイン語でブーロ)の事を先ず話さなければならない。 |
![]() 「ウニオン峠」から
「ワリパンパ谷」へ下り、この日の 遠く合掌。 |
![]() ![]() 「ワリパンパ」で一夜を過ごした我々は、先ずはこの 「トレッキング」の終着地「バケリ
ア」 を目指して谷を下った。 |
![]() ![]() この「パノラマ」が素晴しいんだよ!!! |
![]() 前半の「トレッキング」を
「バケリア」で終えた我々は 合掌。 |
![]() ![]() 我々は更に登って「レーク69」に到着し、そこで紺
碧の湖の色と
真っ白い氷河のコントラストを堪能した。 |
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![]() ![]() ![]() 「ワラス」に戻った翌日、我々はペルーの民族料理である
「パチャマンカ」の宴席に招かれた。 これは、広い庭で |
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第2部 エクアド ルでの活動報告。 |
![]() 「エクアドルの首都、キト市」は「ペルー」 から到着 |
![]() 7月9日、朝8時にガイドの「ロマノ君」と
運転手の |
![]() フィンランド製、SUUNTO社高度計(VECTOR)のデータをグラフ化した図 「頂上アタック」の日は風も穏やかで星空が見え、好天が
予想された。 ![]() ![]() |
![]() ![]() 我々は「コトパクシ山」登山を終え、「チンボラソ
山」
の散策にでかけた。 |
![]() ![]() ![]() 「赤道」で海抜150mはどれくらい 「暑いか」を体験するため、我々は「W
氏」の
所有の 「農園」を三日間に渡り訪問し |
![]() 7月17日、「W氏の農園」に別れを告げ、
我々は午後に 「キトのホテル」 今回もお世話になったガイド会社は: |
第 3 部 ギャラ リー |