アンデス2007 の想い出!

2007年  6月〜7月の 遠征記録。


我々が2年前と同じ「コンチネンタル航空」に乗って、 「アメリカ」「ヒュー ストン」 経由で 「ペルー」の首都 「リマ」に到着したのは,日本を出て約20時間後の、 「2007年6月20日」の夜10時過ぎだった。
今回の遠征では「参加隊員」は前回の「7名」 から 「4名」と、少なくなったが、「若手が2名」 入ったことで 「登攀力」の高い登山隊になったと思う。
我々は前回(2005年)の経験を生かして、先ず 「ワスカラン 国立公園内のトレッキング」をする事で充分な 「高度順応」を進め、その成果の上に「ピスコ(5752m)」へ の全員登頂を試み、その後 「マチュピチュ」遺跡の見学することを計画した。 そのため 「ぺルー」国内の滞在は延べ17日間となった。

後半は「エクアドル」に移動し、2年前に果たせなかった 「コトパクシ山」に再挑戦することと、更に「エクアドル」の最高峰「チンボラ ソ山国立公園」を散策する計画を建てた。
「エクアドル」では更に現地在住の「W氏」の経営 する 海抜150mの「熱帯農園」を訪問し、 「赤道の暑さと植物、樹木、鳥、蝶」などに触れ合うことで 「想い出を創る旅」にしたいと念じた。
加えるにこの 「遠征隊」「全 員60歳代のシニア」であり、今から40年以上昔に「同じ大学の山岳部」に所属した 「先輩、後輩」と言う充分に気心の知り合った山仲間であり、「エクアドル」 で 現地参加の「W氏」もやはり40年近く前は同じ大学山岳部の仲間である。
今回の旅行計画は全て「自分達の手作り」であるため、パック旅行には無い「計画のフレ キシビリティ」もあり、しかも結果として予算内に抑える事が出来て,大いに「満足」のゆくものでであった。  


第1部ペルーでの 活動記録


「ペルー」の首都「リマ」 に深夜到着の翌日、我々は「リマとインカ」「文化、歴史」 を学ぶ気持ちで「サン、フランシスコ教会」
旧市街「セントロ」 を訪れ、ついで「黄金博物館」「天 野博物館」 を見学した。 
 その夜、夜行バスで「ブランカ山群」の山への登山基地となる 「ワラス市」 へと8時間かけて移動し、翌早朝6時に標高3000mの
「ワラス、バスターミナル」
に到着した。 「ワラス」の街から懐かしい「ワスカラン山群」 を見て、やっと「アンデス」に帰ってきた!
実感が湧き出たのである。


「ワラス」に入った日に現地ガイドの 「ソル、アンデノ社」(Solandino S.A.C) サウル君(Sr. Saul Angeles Cruz)と 今後の
日程、行動の打ち合わせをした後、市郊外の市営墓地を訪れ、 そこにまつられている「岳友、K君とT君」の御霊に合掌した。

翌日から「高度順応化プログラム」が始まり、先ずワラス より700m高い 「コフップ谷」にバンガローを経営している 「三 井さん」
宿に今シーズン最初の客として一泊し、近くの丘を散策した。
因みにこのバンガローの予約は以下のHPから可能である:
http://homepage3.nifty.com/cojup-sansou/myweb7_002.htm

この時見た看板には面白い「注意事項」があったので紹介す る。
1. Take nothing but pictures.
2. Leave nothing but footprints.
3. Kill nothing but time and mosquitos.

翌日(24日)、我々は次の「高度順応(Acclimatization)」としてバスで「オリンピカ峠 (Punta Olimpica,4890m)」 に向かい、
そこで1時間散策した。

 

2年前と同じ、「ワスカラン国立公園」内 でトレッキングをするに当り、
我々は前回のコースの「逆周り」を企画し 「サンタ、 クルス谷」から入り、
「ヤンガヌコ谷」へ3泊4日で 回った。
この 「トレッキングコース」の回り方の方がは前回よりゆっくり 「高度」
上げて進むため、 「高度順応」も達成しやすく、 最終目的である
「ピスコ峰」 登頂にも適していると考えた。

幸いなことに今回は毎日「雲一つ無い、好天」が続き、 「サンタ、クルス峰」、 「タウリラフ」峰「チャクララフ峰北面」 などを完璧に鑑賞出来、感激
毎日であった。


トレッキングの「初日、二日目」「体調」 が伴わない人には苦しいものであるらしい。 
事実、「隊長のS氏」と若い「M氏」 「高山病の症状」が出て食欲も進まず、苦しい行動であった由。
私とK氏は体調もそこそこで、大いに「景色を楽しみ」、「ビデオカメラの撮影」に忙しかった。

キャンプ地「タウリパンパ」標高約4200mに 位置するが
これほど美しいキャンプ場を 私は他に知らない。
 「ウニオン峠」500m下にあり、正 面に 名峰(宝?)
「タウリラフ峰」、少し下って 回り込めば「アルパマヨ」
「キタラフ」 「アルテソンラフ」等の峰を夕 陽、朝焼けを
眼の前に眺め、写真に 撮り尽くせない 美しさをただ、
ただ嘆くのである。


アンデスの「トレッキング」を語る時に 「ロバ」(スペイン語でブーロ)の事を先ず話さなければならない。 
今回も「ロバ君達」には大変お世話になりました。 日本では動物園でもなかなか見られない「ロバ」 であるが、
まさに「従順で、力持ち」のしかも親しみ易い 「友達」といった感じがする動物である。
「ウニオン峠」はやはり「感激」 の場所であった。 出発地の「カシャパンパ」から三日間かけて 2000m近 くを登って
到達した峠に我々は暫しの休憩に「至福の時」を 感じたのであった。

「ウニオン峠」から 「ワリパンパ谷」へ下り、この日の
キャンプ場も近くなった所で我々は 「チャクララフ峰」
北面を明確に遠望できる地点に達した。
 2年前は天候が悪く、全く見えなかった 「チャクララフ
北壁」
の鋭い切り立った岸壁に言葉も無く、 ただ圧倒
されて、見入るばかりであった。
二日後には反対側の南壁の麓に近づくことができるが、
2年ぶりに観る「チャクララフ」 の 遠望に涙ぐんだのは
私だけでは無かった。 

「友よ!」
もう直ぐ会いに行くぜ!

遠く合掌。


「ワリパンパ」で一夜を過ごした我々は、先ずはこの 「トレッキング」の終着地「バケリ ア」 を目指して谷を下った。
途中インディオの村を通り過ぎたが子供たちが 「キャラメル、、、、」 と食べ物をねだるのは、多分欧米からのトレッカーが
キャンディーをばら撒くためか?とも思われた。 一度、最低鞍部に下ってから、再度「バケリア」の車道まで登り返すの
高度に慣 れた 我々には差ほどきついことではなかった。


この「パノラマ」が素晴しいんだよ!!!
「ヤンガヌコ峠」からは谷を隔てた正面に「ワンドイ」「東」「西」「北」 「南」 の各峰が聳え、それから尾根が右に続いて
「ピスコ」
「ピラミデ」「チャクララフ」を 並んで遠望した。
 今回の「ペルー」での登頂目標である 「ピスコ西峰(5752m)」を 我々はじっくり観察した。
 振り返れば「ワスカラン南、北峰」も真近に眺められる。 「チョピカルキ」を観るには後ろの岸壁が邪魔なため、峠の
向こう 側に歩いて戻り、そこから観察することができた。

前半の「トレッキング」 「バケリア」で終えた我々は
「ヤンガヌコ峠」 を車で越え、「ピスコ登山口」である
「セボヤパンパ」
に露営した。 
翌日、35年前この難峰で遭難した、岳友、 「K君とT君」
 
の 眠る「チャクララフ南壁」 を望める高台にある
「慰霊ケルン」を 訪れ、花を供え、昔歌った「山の歌声」
限りに歌を歌い、呼びかけた。 

合掌。


我々は更に登って「レーク69」に到着し、そこで紺 碧の湖の色と 真っ白い氷河のコントラストを堪能した。 
我々は「チャクララフ」に 別れ告げ、高度4800mに達する巻き道を使って夕刻に「ピスコ」の 登山口に到達し、
キャンプした。
しかし翌朝、隊員の中で「M氏」の体調が悪化した。 完全な「高山病」症状である。 
「隊長の決断」で 残り3名の隊員のみの「ピスコ」登頂は断念することになり、計画を変更して 急ぎ麓の
「セラボパンパ(3900m)」に降りることとなった。
「セラボパンパ」で車を手配し、そして夕刻遅くに、6日ぶりに 「ワラス」の街に帰った。 
その後、マイクロバスを使って、 再び「ヤンガヌコ谷」「サ ンタ、クルス谷」 の間の谷に入り、「パロン湖」
 散策し、 「ピラミデ」が正面に、そして右奥に「チャクララフ」西峰の壁の眺望を楽しんだ。


「ワラス」に戻った翌日、我々はペルーの民族料理である 「パチャマンカ」の宴席に招かれた。 これは、広い庭で
1)子供の頭ほどの石を火で焼く、
2)独特の味付けソースに漬けた 羊肉、牛肉、川マス等をアルミフォイルで包み、芋類、そら豆、玉蜀黍等と
  一緒に 焼けた石の間に詰める、

3)生木の葉を被せ、更に灰を乗せて密封し、
4)約30分蒸し焼きした後、取り出して皿に盛り付けるというものである。
これは通常の焼肉ではなく、高温で蒸し焼きされた肉にアンデス特有のハーブの味が絡んでとても 美味で、我々は
大いに満足し、楽しみ、そして感謝したのである。

ここで我々を案内してくれたガイドの会社を紹介しておく:
Solandino Expedition
Av. Gamarra 815, Huaraz- Peru
Tel (051)43-422205
solandino.peru@terra.com.pe


「リマ」に戻った我々は 「クスコ」経由で「マチュピチュ」 へ と向った。
空路、「クスコ」に入った我々は、先ずこの「インカの首都」の観光にガイドの「フェリペ」君の案内で出かけた。
翌日、早朝5時前に起床した我々は6時発の「観光汽車」に乗った。 「マチュピチュ」入口駅である 「アクアス、
カリエンテス」
には3時間半近く掛かって着いた。
汽車を降りるや、一目散にバス乗り場へ、そして、急なヘアピン、カーブ続きの道を30分のドライブで公園入口へ。
トイレを済まし、急ぎ「ワイナピチュ山」登り口の「順番待ち の列」へと飛び込む。 「間に合った!」一日400人までの
許可制の 中を 「367番」「OK]と なる。
ゆっくり登って、40分位で頂上へ到着する。 そこは人、人の満員でした。 しかし眺めは 「最高!」でした。
下山後、「マチュピチュ遺跡」200%堪能し、ガイドと別れ て、麓の町のホテル「マチュピチュイン」へ向ったのである。
翌日、また早出で汽車に乗り、途中の「オリャンタイタンボ」で汽車が打ち切り と なるので、予め迎えを頼んであった
ガイドと車
を見つけ、「クスコ」 の空港へ飛ばす。 
午後飛行機で「リマ」に戻って、これで我々の 「ペ ルー」での活動は全て終了した。

第2部 エクアド ルでの活動報告。

「エクアドルの首都、キト市」「ペルー」 から到着
すると、その清潔さと明るさで「安らぎを感じる街」で ある。
今回は2年前に知己となったガイド会社「Campus
Trekking」
の 代表「M婦人」 と我らが旧友、「W氏」
出迎えを受け、お互いの「元 気な再会」 を祝い合った。
その夜、「W氏」宅での心温まる「歓迎パーティ」
招待を受 け、 久しぶりの日本食に心身共完全充電した。
翌日(8日)、曇り空ながらキトの新しい名所である
「ケーブル」 による「ピチンチャ山(4794m)」に労せず
して登り、その後、定番の 「パネシージョ」の丘で
マドンナ像に再会し、キト旧市街を望むレ ストランで
 昼食を楽しんだ。
既にペルー、ワラスで十分「高度順応化」を積んだと
自負する我々は 「コトパクシ」登頂を確信し、心は
「コトパクシ」に飛んでいた。

7月9日、朝8時にガイドの「ロマノ君」と 運転手の
「ネルソン君」の出迎えを受けていよいよ「コトパクシ」
へと出発したのである。
10時過ぎに「コトパクシ国立公園」の入口で「一人10ドル」 の入場料を支払い、我々は公園に入った。
今回の「ベースキャンプ」はホテル形式の 「タンボパクシ」
であり、チェックイン後、早速付近の標高4000m近い丘で
歩行トレーニングをした。
2年ぶりの「コトパクシ山」を目の前にして、我々大いに
意気軒昂であり、 幸い「天候も良さそう」なので、
「吉報!」が期待出来そうだっ た。
我々は4800mの基地「ホセリバス」に上がった時、そこで
 「好天で多くの登頂成功者」
が出ているとの情報を得た。
しかし、隊員の中の2名は初挑戦であり、また隊員の
「年齢」
も考慮すれば「安易な楽観論」は慎むべきと
気を引き締めた。  


フィンランド製、SUUNTO社高度計(VECTOR)のデータをグラフ化した図

「頂上アタック」の日は風も穏やかで星空が見え、好天が 予想された。
 午前0時過ぎに「ホセ、リバス小屋」 を出発した「ガイド二人と隊員4人」のパーティはゆっくり氷河の入口に向っ た。 
 1時過ぎ、氷河入口に着いたところで、真っ暗闇の中で各自が 「アイゼン」をつけた。 
「ガイドのロマノに K氏とM氏」 「ガイドのスーコとS氏と私」がそれぞれ「ザイルパーティ」を組み 「ピッケル
を左手に」
氷河に入る。 約1時間した時「ガイドのスーコ」 「ガイドのロマノ」から無線連絡があ り、体調の優れな
「M氏」 がペースダウンしているので「ザイルの組替え」 の為 「止まれ」との連絡が入った。
ここで「ガイドのスーコとK氏と私」=(A)のパーティが先行し、 「ガイドのロマノとS氏とM氏」=(B)のパーティが
後から追いかける ことになったが、結局その後、「(B)パーティ」は午前4時過ぎに登頂を断念 し、 「ホセリバス」
戻ったとのことであった。
その後、順調に高度を上げ登り続けた「(A)パーティ」も夜明けの5時半頃、 疲労が重なってきて、 「ペースがダウン」
 
してきた。 午前6時に朝食を食べ、小休止の後登山を再開したが、ペースは上がらず、既にいくつかの 「後 続
パーティ」
にも追い抜かれ、明らかに 「登頂断念の決断」を する状況と成って来た。
  ガイドからもやはり「下山すべき」との進言を受け、安全な氷河下降のためにも 午前7時前「引返し」の決断をした。
我々には 「悔い」は無かったし、また結果として その後の長い、苦しい下山を振り返った時、「あの決断」正しかっ た
確信したのである。 快晴、微風の元、(A)パーティは午前9時にホセリバス に無事帰り、暫しの休 息を楽しんだ。


我々は「コトパクシ山」登山を終え、「チンボラソ 山」 の散策にでかけた。
「チンボラソ」「エ クアドル」 では最も高い山であり、またタフな山としても知られている。
それが為か登山口に立った我々の眼には登山者は全く見えず、「コトパクシ」 と様変わりの感じがした。
「チンボラソ」を見た夜、我々はこの地方の中心町 「リオバンバ」のリゾートホテルに泊まり、翌日、パン、アメリカン、
ハイウエー」を走って 「キト」の街にもどったのである。


「赤道」海抜150mはどれくらい 「暑いか」を体験するため、我々は「W 氏」の 所有の 「農園」を三日間に渡り訪問し
「熱帯の動植物」の 勉強をした。
途中訪れたレストラン「サチャタミア」で色とりどり(鳥々?)「ハチドリ」を真近に観察し、また野生のや、蝶 々
も観賞した。 「W氏」の農園の「パ パイアやココア豆」 は初めて観て「眼から鱗」の感 じで不 思議の世界 にのめり
込んだ。 「W氏」はただただ感謝するのみであった。

7月17日「W氏の農園」に別れを告げ、 我々は午後に 「キトのホテル」
に戻った。
 その夜、我々は「ガイド会社のカミロ夫妻」 「W氏夫妻」 を招いて
 「打 上げパーティ」 を開いた。 会場は2年前と同じ中華料理の「上海」
 日本語、英語、スペイン語
の会話を夜遅くまで楽しんだ。

今回もお世話になったガイド会社は:
Campus Trekking
Joaquina Vargas 99 y Abdon Calderon
Conocoto - Quito - Ecuador
url: www.campustrekking.com


第 3 部 ギャラ リー

  
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