アンデスの山々との出会い。

2005年5 月〜6月の 遠征記録。


「成田」から先ず 「アメリカのヒューストン」へ飛び、そこから「エクアドル の首都キト」行きに乗り換えて更に6時間近く飛ぶと、やっと目的の 「アン デスの山裾」に着く。
今回の遠征は前半を「エクアドル」「コトパクシ山(5897m)登山」と、 その 準備のための高度順応活動とし(第1部とする)更に後半は「ペルー」で ブランカ山群の中の「チャクララフ峰」の山麓訪問と周辺の 「ワスカラン国立 公園内をトレッキング」をする事(第2部とする)を目的として計画され、 本年1月から準備を始めた。

遠征隊は「7名の男性隊員」で構成されるが、 「全員60歳代のシニア」であり、その中の 5名(S氏、Hn氏、K氏、Yg氏と私)は今から40年以上昔に「同じ大学の山岳部」に 所属した古い友人で、あとの2名(Hy氏、O氏)は各々Hn氏とK氏の山好きの友人と言う わけで、充分に気心の知り合った山仲間といえる。
それに加えて、現地参加の形でエクアドルに30年以上在住でアンデスの情報に 詳しく、スペイン語の達人であるW氏(やはり40年近く前は同じ大学山岳部所属) がサポートで参加という心強い布陣となった。

今回の遠征の特徴として、全て計画は「隊員の手作り」であるため、予算も少なく すみ、また現地で計画を容易に変更し、隊員の希望が最大限叶えられるように 出来た。


第1部 コトパク シ山登山。

「エクアドルの首都、キト市」は中央アンデス山脈の 4000〜6000m級の高峰 に囲まれた「人口約140万人の都市」で、赤道直下にあるにもかかわらず「標高が2850m」と 高いため,年中快適な気候の街である。
街は坂が多く、朝夕は市民の足であるバスの「ディーゼルエンジンの排ガス」が街の 空気を汚しており、日本からの訪問者である我々には残念なことであった。

街は「先住民(インディオ)」が民族衣装を纏っているのも見られるが、「メスティソ (スペイン人と先住民の混血)」の人達は欧米と同じ服装であり、違和感は無い。
通貨として「米ドルを公式貨幣」として米国より輸入して使用しているので、外国からの 旅行客には便利である。 白山の頂上より高いこの街で時差調整と装備点検、追加食料の調達に二日間を過ごし 、第3日目にガイドと共にキト市の南約50kmにある「コトパクシ国立公園」 へバスで向った。

「コトパクシ国立公園」に入ったこの日から 「高 度順応プログラム」が始まり、初日は公園内の標高3800m〜4000mの平坦地を5時間歩いて夕方ベースキャンプのある 「リンピオプンゴ(3800m)」に着いた。
この夜から隊員各自にさまざまな「高山病の症状」が出てきた。 頭痛が激しく夜も 充分眠られない隊員もあったが、一方で私のように両目の奥に鈍痛を感じるが、食欲 もあり、まずまず睡眠も取れる軽症の隊員が多かった。

「コトパクシ山」<は赤道直下のため、 特別な登山シーズンは無く、1年中登山が可能とのことであったが、この季節は雲も多く、 風も強かったり、時折雨も降ったりで、翌日の天気の予想も難しかった。
 赤道直下なので「四季」が無く、「高山植物」 は年中咲いているとのことで、テントの周りには珍しい花々も咲いていて、我々の他にこのサイト でキャンプをするパーティも無く、大変静かな場所であった。

「高度順応プログラム」の第2日はベースキャンプから日帰りで近くの 「ル ミニャウイ山(ピークは3個有るが、中央峰4712m)」 に登った。

「高山病}が完全に治った訳ではない隊員にすれば、たかが「900mの高度差の ハイキング」と気負って出発したが、途中でダウンする隊員が続出し、 14時に頂上に達したのは僅か「3名」であった。

この夜、キャンプではガイドも入れて、今後のプログラムの進め方を議論 したが、やはりシニアの隊員としては、「ペース配分、速度、休憩の取り方」 など、改善要望事項が多く、ここで真剣に話し合ったことはその後に大いに プラスだった。

「高度順応プログラム」、 第3日はいよいよ「標高5000m」に挑む事であった。
朝キャンプサイトでザイルの結び方の講義、実習を済ませてバスで 4600m地点の「ホセ、リバス駐車場」へ向った。
しかし前夜キャンプに降った 雨は4400m地点から積雪となっており、予定より下からバスを降りて歩く事 となった。

ここで1名の隊員(Yg氏)が「高山病の症状」がひどく、登りが極端に遅くなってきた。 4800m地点の「ホセ、リバス小屋」に着いてから、昼食を取り、大休止して から 更に「氷河の末端(約5000m地点)」に向った。 氷河に入って、ガイドから「アイゼン」「ピッケル」の使い方の講義、実習を受けた後、バスまで下山し、「キャンプサイト (3800m)」まで戻って休息し、翌日午後からの「頂上アタック」 を待つばかりとなった。
この日の氷河訓練はその傾斜(約40度)の厳しさもあって、隊員各自真剣 に取り組んだが、アイゼンの歯が僅か1cm位しか食い込まない氷(氷河)は むしろ怖いという印象が強く、頂上アタックは相当厳しく、長い登山になるであろうと 思われた。


「頂上アタック」の日、午前中は ベースのテントで休養し、午後から「ホセ、リバス小屋」 に向った。 前日体調不調を訴えたYg氏は登頂を断念しテントに残り、また バスから降りて小屋に向う途中でS氏が体調不調を訴えた。 やはり「高山病」 が 少しずつ悪化したようだ。 氷河技術に自信がないとHy氏も登頂を断念する。

夕方18時半夕食を取り19時から23時まで小屋の2階で仮眠する。 夕方からの 強風は収まらず殆ど睡眠は取れなかった。 時間になったので身仕度を整え階下に下り、 簡単な夜食を取って出発の準備をする。「午前0時、出発時」 に体調の悪いS氏を除き「3人のガイドと4人の隊員」 は強風ながらも星空の天気の下を頂上目指して出発した。
しばらくしてK氏がガイドKと小屋に引き返し、氷河入口に着いたところで、真っ暗闇の中で 「アイゼン」をつけた。 「ガイドJに Hn氏とO氏」「ガイドRと私」が それぞれ「ザイルパーティ」を組み「ピッケルを左手に」 氷河に入る。 約30分した時「ガイドR」「ガイドJ」 から無線連絡があり、一人断念したので残りの1名をガイド助手のSと共に上に送るとのことで 「ガイドRと私」は止まって待った。  程なくHn氏が現れ、ザイルの中央に入って「3人パーティ」となって出発する。

2時前から天候が悪化してきた。 強風の上に冷たい氷雨が降り出して、体が冷えて くるのと手の指先が寒さで痛さを感じてきた。 右上方に向って40度近い傾斜は全く変わらず、 硬い氷河上で足首の疲労が積み重なってきて、「ペースがダウン」してきた。 小休止の時に ザックを開くとペットボトルの「ドリンクがシャーベット状」に凍っているのがわかった。  3時40分ついにHn氏が「登頂断念の意思」を表明する。  「高度は5300m地点」である。 既に 「S字ルート」に入っているが、「疲労は予想以上に大きく」 、ガイドRに引き返しを伝える。 後からのパーティが我々を 追い抜いていったが、「我々には悔いは無かった。」  むしろこれからの下山の方がもっと困難かもしれないと気を引き締め、 「ピッケルを右手に持ち替え」慎重に暗闇の中を下降していった。

5時半に小屋に着いた。 しばらく休んで寝袋に入ってしばらく眠った。 その後 ガイドRに聞いたところ、「この日は天候不良でどのパーティも登頂できなかった」そうだ。


「コトパクシ山」から「キト」に戻った我々は大いに市内観光を楽しんだ。
「キト市」から20kmのところに「赤道博物館」 がある。 ここでオレンジ色(赤色ではない。)の線が「赤道」で、これをまたいで写真を撮ると 「北半球と南半球」を一度に踏むことになるので、皆が順番に写真 を 撮った。


「キト市の旧市街(セントロと呼ぶ)」「1975年に世界遺産に 登録」 された観光名所である。 スペインの影響を色濃く残す街並みは保存が優先され、開発は全く 抑えられているらしい。 最近の治安の悪化に備えて軍隊と警察が厳しく 警戒していた。 旧市街の真ん中にあるラ、「コンパニーア教会」は内部を 「7トン の金」を薄く箔にして貼り付け装飾した豪華な寺院であ る。 残念ながら 写真撮影は禁止されていて、お見せできない。

「キト」の最後の夜、我々は「ガイドのK君と彼の奥さん」 を 招いて「お別れパーティ」を開いた。  会場はキトでは名の知れた中華料理の「上海」で,久し振りの東洋の味を楽しんだ。

参考までにガイドの連絡先を紹介しよう:
Mr. Camilo Andrade
Campus Trekking
Joaquina Vargas 99 y Abdon Calderon
Conocoto - Quito - Ecuador
Fax: 593-2-2345-290
e-Mail: campus@pi.pro.ec
url: www.campustrekking.com

因みにガイドK君はスペイン語の他に英語、ドイツ語、オランダ語を流暢に話す 快男子である。


第2部アンデス  トレッキング紀行

 

「ペルー」の北部、「ブランカ山群」「世界自然遺産」に指定されている美しい 「ワスカラン国立公園」がある。 その真っ只中で「ヤンガヌコ谷」から入り、 「ウニオン峠」を経 て「サンタ、クルス谷」へ通常3泊4日で回る 「トレッキングコース」があるが、 我々はこのルートに最大目的である「チャクララフ峰」 も加えた4泊5日間のコースを考えて、6月2日から入山した。

このトレッキングに最適の季節は「5月下旬から9月までの乾期」といわれ、 6月初旬はまだ欧米の休暇時期にはやや早いこともあり、「シーズンイン」したとは云え、 人数も少なく、また5月から6月は「高山植物の花々」 が咲き誇り、疲れた体を癒してくれた。

ここで通常の「アンデスのトレッキング」 について説明すると、客はガイド会社と契約し、「会社は睡眠用テント、食堂テント、 トイレテントの他、食料全て、調理用プロパンガスボンベ、そして客の荷物(一人20kgまで) をロバに積んで一緒に運ぶ事」になっている。
また、客の中に高山病などで歩けなくなった人が出た時、この客を乗せる「馬も1頭 連れて行く」。 パーティの大きさでも異なるが、「我々7人のパーティではロバが8頭、 馬2頭、調理人2名、ロバの監督2名にガイド1名の大所帯」となった。

因みにこの国ではまだ物価も安いので、客一人の負担金は「約400〜500米ドル」 と云ったところかと思う。


「ペルー」の首都「リマ」から「ブランカ山群」の山への登山基地となる 「ワラス 市」へは毎日大型バスが8時間かけて走っている。

バスはリマからしばらく海岸の砂漠地帯を北上した後、方向を東にとり 一気に「4000mの峠」まで登り、その後下って標高3000mの「ワラス市」に到着する。 雨量が少ないためにアンデスで植物の生存する厳しさが車窓から手に取るように解る。

バスで「ヤンガヌコ峠」への登り始める所に 「ピスコ峰」への登山口があり、その奥3時間くらい谷を登ると 「チャクラ ラフ峰」の南壁下の平坦地に着く。

その場所は「1972年8月」「我らが山仲間、K君とT君」が若き命を捧げた 「チャクララフ東峰」が望める場所である。 今回我々がトレッキ ング コースを離れて是非訪れたいと願った「特別の場所」である。

33年経ってようやく訪れたこの日、我々は全員で山を前に昔歌った 「山の歌」を うたい、昔を懐かしんだ。 

「友よ安らかに眠れ!」 合掌。

「チャクララフ峰」のベースキャンプあとちから振り返ると「ブランカ山群」の 最高峰「ワスカラン峰」が圧倒的な姿を見せてくれる。

今回我々の案内をしてくれているガイドの「サウル君」によると、以前日本の女性登山家、 「田部井さん」を 案内して、この「ワスカラン南峰」に登ったそうだ。

そして「チャクララフ」で逝った「我らが山仲間T君」は1972年に 「ワスカラン北峰」に も登ったことを想い出した。

1970年に起こった大地震「ワスカラン」から発生した雪崩と 土石流が麓の「ユンガイ村」を襲い、2万人を越す犠牲者が出たとの話を聞かされた。 合掌。


「ヤンガヌコ谷」から入って「サンタ、クルス谷」を 下るこのトレッキングコースは周辺の氷河に覆われた山々の美しさと共に薄い ミルク色をした湖の景観の素晴らしい。
4760mの「ウニオン峠」(Punnta Union) は我々と共に馬も越えた。  尤もこの馬は我々隊員の誰かが「高山病」などで歩けなくなった 時に備えて連れてこられたが、幸い(?)「全員前週にエクアドルで既に 高度順応が出来ていて」すこぶる快調に踏破したため、鞍の上は一日中空で 馬君も随分と楽をしたのである。

腕にはめた「SUUNTO社の高度計(Vector)」の記録をグラフに 書くとこの図が出来た。

高度4000mを越えたところで約1000mを5時間かけて登ったことになる。 「高山病」は出なくても薄い空気のた め峠越えの時は息苦しく、厳しい一日であった。

この日は今回のトレッキングで最も行動量の多い1日であったが、約7時間 の行動でキャンプサイトに着いた。 このようにトレッキングは「毎日約6-8 時間行動」となるようにキャンプサイトが作られていた。

「ウニオン峠」を越えると、広く長い「サンタ、クルス谷」が一望 できた。

この「ウニオン峠への登り道、下り道」「インカ時代」に 築かれたといわれる石畳の箇所もあり、歩き易くなっていた。

「ウニオン峠」からの眺望として、間近には「タウリラフ(5830m)」「キタラフ (6040m)」「アルテソンラフ(6025m)」「リンリヒルカ(5810m)」 などが豪華に並ぶ絶好の撮影場所であるが、午後からは山々に雲が かかることもあり、乾季といえども何時も見られる訳では無い。

「ウニオン峠」を下りついたキャンプ場は 「パウリパンパ」である。
東に「タウリラフ峰」が素晴らしい。 氷河が太陽に輝いて、所謂 「ブルー、アイス」が随所に見られた。
一日の仕事が終わったロバ君達が少ない草を食べながら、我々の傍 に餌さねだりに来るが「バナナの皮」をおいしそうに食べていた。

ここで我々を案内してくれたガイドの会社を紹介しておく:
Solandino Expedition
Av. Gamarra 815, Huaraz- Peru
Tel (051)43-422205
solandino.peru@terra.com.pe
である。

トレッキングの第4日目、「パウリパンパキャンプ場」からの通常コース では見えない名峰「アルパマヨ」を是非この眼で見たいと ガイドの「サウル君」に頼み込んで、大きく北の方角に谷に入りトラバース気味に1時間登って ようやく「アルパマヨ峰」の南面を見ることができた。
隣のキタラフ峰は生憎と雲に隠れ並んだ写真は取れなかった。 「アルパマヨ」は 双耳峰でその最も美しいといわれる西面、北面の 姿はこの谷からは望めず、将来北側の別の谷をトレックする機会に 期待を残して別れを告げた。


「アンデスのトレッキング」にはロバ君達の活躍無くしては 語れない。 小さな体でよくも重い荷物(時には30〜40kgも運ぶとのこと)を しかも標高差1000mを登るというのには、ただ感服するしかない。

昨日のウニオン峠では出番の無かった馬君に失礼(?)なので 今日は一人5分くらいずつ乗せていただいた。


第 3 部 ギャラ リー

  
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