旧御陵印の回顧と新御陵印を集める現在の旅
60年前に収集された御陵印
は苦労に応える個性豊かな印であった。
戦前から各地の天皇御陵に参拝若しくは訪問した記念に多くの人
々が御陵印を収集しています。 筆者の叔父も御陵印を収集マニアでしたが、若くして病に倒れ昭和13年で後僅かで完成と言う時に世を去りました。 その後
彼の遺志を繼ぎ残りを収集し完成した御陵印収集の結果を掛軸に表装しました。
あれから60年以上経った今、筆者も60才を過ぎ、もう一度故人と同じ道を辿りながら御陵印を集め歩いて見るのも一興と考えた訳です。
なんと! 御陵印は全部デザイン、大きさが変わり新調されてい
たのです. 多分今まで永使ったため磨り減り、寿命が来たのかも知れません。
まだ大きな変化がありました! 御陵印は個々の御陵から移されて一括管理されていたのです。
少なくとも数年前までは合計92個の御陵印(大正天皇まで)を集めるためには山口県(81代安徳天皇陵)、香川県坂出市(75代崇徳天皇陵)、淡路島
(47代淳仁天皇陵)や京都府京北町(102代後花園天皇陵)などを含め京都、奈良、大阪の各地へも出かけなければならなかったのですから、全ての御陵印
を集めるのは大変だったのです。 それが現在は京都市で2ヶ所、奈良と大阪と東京で各々1ヶ所の管理事務所に行けば89の御陵印が集まってしまうので
す。 これでいいんでしょうか?
その永い苦労のご褒美として前の御陵印には丸、四角、長方形、
前方後円形、
大きいものそして小さいものと実にバライティーに富んだものでした。 これらは今は貴重で見ることはありません。 何故なら最近
宮内庁は全ての陵印を全更新し、形は丸か正方形に、また大きさも統一したようです。 又今までの旧印は全て廃棄されたそうです。
旧印に関心の有る方は是非このページで見てください。 そして皆さんのご意見を聞かせて下さい。
御陵印アラカルト:
- 崩御された天皇は127人であるが御陵印は全部
で93個である。
何故なら神武天皇から数えて昭和天皇が124代となるが,北朝の天皇である光厳、光明、崇光、後光厳、
及び後円融天皇を加えると+5となり、又35代の皇極天皇と37代の斉明天皇は同一人であり、更に46代孝謙天皇と48代称徳天皇は
同一人で所謂「重祚」であるので実際の数は−2とするので合計127人となる。
所が御陵印は隣あった場所にあるため一つの印を共用したり、複数の天皇を合葬した陵(月輪陵や深草北陵が例)の為,
天皇の合計数よりかなり少なく計93個となるのである。
- 合葬陵の案
内。
- 十二帝陵(深草北陵)...第89代後深草天皇に始まり92代伏見、93代
御伏見、100代後小
松、101代称光、103代後土御門、104代後柏原、105代後奈良、106代正親町、107代後陽成、北朝4代後光厳、北朝5代後円融の12人の天皇
が合葬されている。
- 月輪陵...87代四条、108代後水尾、109代明正、110代後光明、
111台後西、112代
霊元、113代東山、114代中御門、115代桜町、116代桃園、117代後桜町、
118代後桃園、119代光格、120代仁孝天皇の計14人の天皇の陵が1個の陵印でカバーされています。
- 山國陵...北朝1代の光厳天皇と102代の後花園天皇の山国陵と後山國陵
は同じ京都府の京北町のため一つの陵印である。
- 大原陵...82代の後鳥羽、84代の順徳天皇は共に承久の乱で敗れ隠岐と
佐渡に流され、遺骨と
なって京都に戻り、大原の里に並んで祭られた。
- 嵯峨南陵と亀山陵...88代後嵯峨天皇と
90代亀山天皇の陵は同じ嵯峨にある為陵印は一つで作られている。
- 清閑寺陵...79代六条天皇と80代高倉天皇は同じ場所に陵があるので陵
印は一つで作られている。
- 円乗寺陵、円教寺陵、円宗寺陵、...69代後朱雀、70代後冷泉、71代
後三条天皇は共に京都の
龍安寺近くにある為陵印は一つで共用。
- 円融寺北陵と後円教寺陵...66代一条天皇と73代堀河天皇の陵は共に京
都の龍安寺近くにあり陵は共用となっている。
- 檜隈大内陵...40代天武天皇と41代の持統天皇は夫婦である為同じ陵に
合葬される。
- 北朝2代と3
代には
陵印が無いのは何故?
- 北朝の2代である光明天皇と3代の崇光天皇は大光明寺陵(京都市伏見区桃山
泰長老)
にあるが何故か陵印は無い。 旧印も無かったが新印も見つからない。 理由を桃山陵墓監区事務所で聞いたが答えは無かった.
新御陵印管理事務所所
在地 - 京都市伏見区桃山町古城山、桃山陵墓監区事
務所 Tel:075-601-1863 27陵印を管理(安徳天皇陵印ー山口県下関市阿弥陀寺
町、も含む)。
- 京都市東山区今熊野泉山町泉涌寺内、月輪陵墓監区事務所 Tel:075−
541−2331
15陵印を管理。
- 奈良県橿原市大久保町、畝傍陵墓監区事務所 Tel:0744−22−
3338 30陵印を管理。
- 大阪府羽曳野市誉田6丁目、古市陵墓監区事務所 Tel:0729−55−
1115 15陵印を管理。
- 東京都八王子市長房町、多摩陵墓監区事務所 Tel:0426−61−
0023 2陵印を管理。
- その他2ヶ所(兵庫県三原郡南淡町淡路陵(淳仁天皇)は「万福寺」と
香川県坂出氏青梅町
白峯陵(崇徳天皇))は「白峯寺」にあり、上記陵墓監区事務所に管理されていない。
参考文献 - 「天皇と御陵を知る辞典」 藤井
利章著 日本
文芸社発行
(現在は絶版であるが図書館にある。)
- 「古代天皇のすべて」 前之園亮一、武光誠 編 新人物往来社発行。
- 「天皇陵」総覧 水野 正好著 新人物往来社発行 平6年4月5日刊。
- 「図説天皇陵」 新人物往来社 別冊歴史読本52号 2003.7.12刊。
- 「天皇陵古墳」 森 浩一著、大巧社発行、2001.2.15刊。
- 「空から見た古墳」 森 浩一監修、学生社、2000.5.20刊
- 「巨大古墳の被葬者は誰か」 安本 美典著、 廣済社、 1998.
- 「天皇陵を発掘せよ」 石部 正志 他著、三一新書、1993.11.30刊。
- 「続天皇陵を発掘せよ」 同上 、1995.5.15刊
- 「古代天皇陵をめぐる」 藤田 友冶著、三一書房、 1997.3.11刊
余談ながら女帝について
- 33代推古天皇...最初の女帝で敏達天皇の皇后。在位36年と長く仏教振興に努めたと言われる。
- 35代皇極、37代斉明天皇は同一人で重祚 である。 舒明天皇の皇后で4年と7年のそれぞれの在位であった。
- 41代持統天皇は天武天皇の皇后であった。 在位は12年である。
- 46代考謙、48代称徳天皇も同一人で重祚
である. 初めての女性皇太子から即位した女帝であり未婚であった。9年の在位後、淳仁天皇に譲位したがその後
再び即位し7年在位した。
- 109代明正天皇は奈良時代より久しぶりの女帝である。 8歳に即位して14年の在位が記録されている。
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