9月23日     さらば宇宙戦艦ヤマト -愛の戦士たち-

 夏も終わり、吹く風もさわやかになりつつあったあの日あの頃、せまりくる高校入試に不安を抱き始めながらも、10月2日3日4日5日の修学旅行を楽しみにしていた少年少女たちがいた。私もそのひとりだった。この頃、例の「お父さん、恐いよ。何か来るよ。大勢でお父さんを殺しに来るよ」とか「男はタフでなければ生きられない。やさしくなければ生きている資格はない」とかいうナレーションで始まる『野性の証明』のCMがやたらにTVで見受けられた。私はこのナレーションが始まるたびに、カッと目を目開いてTVに見入ったものだった。なぜなら出てくる女の子がやたらめったらもうムチャクチャにかわいかったからである。薬子丸博子とかいったヘンな名前のあの少女は当時中2の14歳。私と同じ歳だったせいもあると思うのだが、とにかく彼女が気に入った。朝、学校の前でもらったOS-松竹座の特別割引券(注1)を下じきの中にはさんで、ヒマになるとながめていたものだった。9月に入ってから、席変えがあって私はN君(注2)とおとなりさんになった。それでもって私は夏休みに見た『さらば宇宙戦艦ヤマト』の話をしたのだった。そうすると、N君は、ヤマトを見たいと言い出し、私にいっしょに行こうではないかともちかけてきた。私は最初は、あまりのり気でなかったのだけれども、だんだんその気になってきて、9月23日、再びH-市に自転車でおもむくことになった。(注3)

しかし、H-市にまで自転車で行くことについて、私は不安があった。なぜなら7月21日の苦しみ(注4)をまだ忘れてはいなかったからだ。 あの時のように、もう真夏ではなく真秋ではあったが、50〜60キロという距離は、秋だとはいってもアサガオの花みたいにしぼんだりちぢんだりしないものだ。それでもN君はだんぜんやる気だったようだし、私も電車代380円を節約できるという大きなミリョクの前に疲労など言っておれないわと考えるようになった。さて当日、朝6時に自転車屋の前で待ちあわせをした。

予想どおりN君は15分ほどおくれてやってきた。朝もやのたちこめる中、少々寒さも感じつつ私たちは出発した。7月21日とはちがい、涼しかったし、一度経験したということもあって、この時の道のりは比較的、軽やかだった。だが、前にも思ったことなのだが、H-市に入るのは青山あたりから(注5)だと思うがそこからH-市駅までがかなり長いのであった。だからH-市に入ったとはいえ、まだまだ気をぬくことはできず、また青山あたりがいちばん疲れを感じるところでもあった。それでも私は、前回の2時間を大幅にちぢめて、この日、佐方の自転車屋からH-市大劇映画ビルまで約1時間20分でついたのであった。そして再び『さらば宇宙戦艦ヤマト』を見たのでありますが、この時、ふと気がついたことがある。ヤマトの第一かんきょうには窓がある。その窓の数が場面によって少ないところでは4つ、多いときには7つになるのだ。いったん気になりだすと、そこばかりに目がいってしまうのであるが、窓の数など気にしているとは、われながらバカバカしいと思った。N君もあきれていた。それでもやはりヤマトはケッ作だった。この時その気持ちを新たにした。1年後、テレビで『新たなる旅立ち』となどというメイ作を作ったりしなければ、このヤマトの感動は汚れることなくのちのちにまで残っただろうに。

さて、ヤマトとともに上映されていた『野性の証明』の予告編。私はやっぱり薬子丸博子サンに注目していたが、やっぱしカワいかった。もうぜったい見てやろうと思った。それで帰る前に前売り券を買ってしまった。N君はヒロ子の写真を見てクラスメートのOサンににているなあ(注6)と言ったが 私はたいしてにているとは思わなかった。その日家に帰るまで1時間20分しかかからなかった。それでもやっぱりつかれていた。予告編などにのせられて前売り券を買ってしまったアサハカさに後悔しながらも、オマケでくれたケチなパンフレット(注7)を見ながら、カルピスをのんで便所に入ってから昼寝した。

注1 『野性の証明』の学生特別割引券。バイトの学生が校門の前で配っていた。

 2 『スター.ウォーズ』のとき、約束をすっぽかした例の人物、N君である。

 3 私が住んでいた町には映画館がなかった。映画館のあるH-市までは約30キロ。

 4 2カ月前に同じ道のりを自転車で走破してかなりシンドイ思いをしたらしい。

 5 マイナーな地名ですみません。本人の私だけにしか、わからないと思います。

 6 Oさん、、、。好きでした。

 7 『野性の証明』のパンフレットですな。


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