見つめ合う視線のレイザービームで

 夜空に描く色とりどりの恋模様

 この星の片隅 2億の瞳が

 素敵な事件を探しているのさ

 胸の花びら震わせる

 色は移ろいやすくても

 人は愛の幻を見ずにいられない、、、誰も

※出逢いは億千万の胸騒ぎ

 まばゆいくらいに

 エキゾチック.ジャパン

※出逢いは億千万の胸騒ぎ

 生命のときめきエキゾチック

 エキゾチック.ジャパン ー♪

僕の愛読書のなかに「泉麻人のコラム缶」という題の新潮社から出ている文庫本がある。
本文は450ページにも及び、軟派な内容のわりにはイラストなどいっさい入っていない。文字ばかりの本のキライな人、活字はいっさいダメでもっぱらテレビから情報を得る人などには、敬遠されるかもしれないが、なかなかどうして、おもしろいのだ。
カバーの解説を引用すると、
「200字5枚に命を張る、コラム界の仕事人、泉麻人。「スタジオ.ボイス」誌でのデビュー以来、悪魔に右手を売ったと非難されつつも、ナウ、レトロ、アイドル、新人類と、様々な分野に浸透し、時代を弄び、世論を蹴散らし、軽やかに飽食の' 80年代を駆け抜けた。そんな彼の偉大なる足跡を集大成した本書は、コラム魂がぎゅーっと濃縮された、天然果汁100パーセントの雑文缶詰である。」
と、いうことだ。
' 80年代に高校大学時代を過ごした僕にとっては、読むたびに懐古趣味をくすぐられて、「うんうん、そーだった。そーだった」なんて、いちいち首を縦にふりながら、湯のみを持って熱い番茶をズズーッとすすりたくなるような内容のコラム集である。
純文学でも哲学でもミステリーでも漫画でもノンフィックションでもなんでもない。
その場限りの、おそらくは編集者が注目していなければ、古雑誌と共にクズカゴに捨てられて忘れ去られていたであろう大いなる雑文の集大成。同じ時代を生きた人間にしか共感できない、反対に言えば少し年上や少し年下の世代から見れば理解できない文章。
こいつを、文庫本としてまとめて読むことができるのは、本当に幸せなことである。
「泉麻人のコラム缶」。とくに昭和31年から昭和41年にかけて生まれた世代のおじさんおばさん達には必読の名文であると言えよう。
さて、この本の189ページを開いてみる。こんなタイトルのコラムがある。
「大阪、堀井、どぎつい」
これは金鳥のテレビCMに関する泉麻人のスルドイ分析なのである。
金鳥のCMといえばおわかりになるでしょうか。変態チックな内容と演出と役者の演技でいつも視聴者たちの意表をついているテレビ宣伝ですね。最近はどうやって驚かせてやろうかとヒネリをきかせすぎてややマンネリになっていますが、以前はもっとシンプルでかつ面白かったのである。
曰く、「(前略)僕がかなり気に入っている堀井作品に、ゼロ戦に乗りこんだ郷ひろみのパイロットが、ハエや蚊をとにかく撃ちまくった末、カハハハハと笑い声を上げてフィニッシューーーというキンチョールのCFがある。(中略)これは緊張した空気がはりつめた会議の席上で、突然「ウンコ!」と叫ぶに近いアナーキーな企画である。(中略)郷ひろみのカハハハハの笑い声は、ラストの商品説明のカットにまで及んでいる。本来こういった笑い声というものは、本人の笑顔のカットが切れた所で終結するものであるがキンチョールの場合は、カハハハハハハハ ハハハハハ、、、、と黄金バットのように延々とこだましていくのである。このCFにおいては郷ひろみは、ほとんど奇人あつかいされているのだ。(後略)」
大阪、悪夢のような風景、堀井博次氏制作のCF、に対する知的でスマートな東京人、泉麻人の素直な感想文であると僕は受け取っている。
僕はテレビCMには人並以上に関心のある人間である。
何故ならば、これほどまでに簡潔さを要求される表現方法は他のメディアではあまり考えられないからだ。ほとんどは15秒。長くても30秒。
わずかな時間にスポンサーの商品を視聴者にアピールする事にすべてをかけて、なりふりかまわず攻めまくる。その強引さと潔さがいい。結果はすべて商品の売上によって数字となって表われる。自己満足は許されない。これこそプロフェッショナルに要求される仕事である。それでいてどこかしらアソビを感じさせるあの心憎さ。まったく素晴しい。
CMにはふたつの使命があると思う。商品の特徴を簡潔に表現する事と、ただひたすらにインパクトの強さで視聴者に対してアピールする事である。もちろん両方を兼ね備えるべく制作者達は脳味噌をしぼるわけで、ここが彼等の腕の見せ所なのだ。説明的すぎると印象に残らないし、出てくる役者ばかりが頭に残って商品は何だったのかわからないとCMの意味がなくなってしまう。しかもテレビはどこの誰が見ているかわからないメディアである。表現には細心の注意をしないと、どんな団体もしくは個人からどんな恐い訳のわからんクレームがあるかわかったもんじゃない。不買運動なんてもっての他なのである。
ところで、郷ひろみだが。
先程の泉麻人のキンチョールのコラムには1984年8月の日付がある。つまり13年前である。「哀愁のカサブランカ」がヒットした頃ではないだろうか。まだ街中にはカラオケボックスなんてのが乱立する前で、コンパの二次会などで唄いたくなったときには、もっぱらパブやらスナックなどを利用していた記憶がある。学生にとってはまだ贅沢で金のかかる娯楽であったのだ。近頃みたいに高校生でも気楽にカラオケできるような環境が整うには、もうしばらく待たねばならないのである。
当時、僕が好んで唄ったのが「哀愁のカサブランカ」なのだった。
郷ひろみのバラードはいい!
とっても素敵である。
最近では、「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」
もー、タイトルを聞いただけで腰をおとしそうになっちゃいそうである。あの端正なマスクと甲高い声で、こんなにも甘くスイートなバラードを唄われると、彼の40才なんて年齢も忘れて、「どこにでも連れてって。どーにでもしてっ!」て、感じである。
これが、13年前にゼロ戦に乗ってハエや蚊を撃ちまくって「カハハハハハ」なんて笑っていたお兄さんと同一人物とは思えないのである。
さらに!さらにさらにさらにっ!
郷ひろみの偉大なのは、アップテンポのロック、ダンスミュージックのたぐいも完璧に唄いこなせるところなのである。元アイドル歌手という彼の芸歴が正当な評価を邪魔しているような気がするが、本当に希有なタレントだと思う。
この文章の冒頭に掲げた詩は、売野雅勇作詞、井上大輔作曲の「2億4千万の瞳」である。
何年か前に国鉄だかJRだかのCMソングになったから、覚えていらっしゃる方も大勢いるだろう。

♪〜Wow wow wow Wow wow wow 億千万 億千万
  Wow wow wow Wow wow wow 億千万 億千万〜♪

と、ゴージャスというか景気がいいというかバブリーというか、銀行か証券会社の社歌にピッタリというか、やたらスケールのでかいバックコーラスのイントロで始まる名曲である。もしこの唄を知らないという若い人がいたら、お母さんに頼んで昔のレコードを出してきてもらいましょう。聴いてみる価値は絶対にあります。いや、聴いてください。
なぜならば、今からこの文章は核心に入っていくわけなのですが、「2億4千万の瞳」を知らないと、まったく意味不明で実感がわかないからなのです。
いいですね?ここからはそういう前提で話をすすめます。では、いきましょう。

そう、タカラ本みりん「てりっこ」のCMなのである。
テレビでこいつを見たことある人、僕がなんで感動しているのか、わかりますよね。
、、、傑作である。天才の発想である。素晴しすぎる作品である。
だってさ、みりんの宣伝ですよ。みりん。どこの家庭の食卓にもある、あの、みりんですよ。普通なら他の食品メーカーみたいに、安田成美とか工藤静香とか中山美穂とか若奥様ふうのタレントを起用してホンワカした雰囲気でまとめにくるところであろう。
あるいは、男性を起用するのなら赤井英和とか所ジョージとか西田敏行とか、どこにでもいそうな家族のお父さんといった雰囲気の30代から40代のタレントを使うのが本道である。ところが、郷ひろみ。たしかに年齢的には適当かもしれないが。
しかし断言しよう。あんな奇麗なマスクにゼイ肉のないカラダをしたお父さんのいる一般家庭なんてのは、世界中で唯一軒、郷ひろみの家だけである。
テレビCMとは前述したように、インパクトの強さだけでは失格なのである。それでいいのなら、思いつく限りの過激な表現で無茶苦茶すればよろしい。だが、主な購買層である家庭の主婦達に商品特製をアピールしなければならないという、もうひとつの使命を忘れてはならない。調味料という製品の特性上、どうしても表現は家庭的なものにならざるをえない。必然的にどこの製品も似たような印象しか残らないCMができ上がる。製作者の頭を悩ませるところである。
ところが、「てりっこ」は僕の先入観を根本からブチ壊してくれたのである。
このCMにおいて視聴者の頭にこびりつく映像は郷ひろみの腰振りダンスである。
お鍋、お皿、お箸、おたま、お魚、お野菜、お肉、、、といった調味料の宣伝には欠かせないハズのアイテムが登場しない。いや、登場しているかもしれないが、全く印象に残らない。製作者の天才的な発想がなければ、郷ひろみが何やらいかがわしい踊りをしているけど、あれはいったい何の宣伝だったかしら?と、なるハズだ。
だが、テレビを見終わったとき、結果的には我々の頭の中にはあれが、本みりん「てりっこ」の宣伝であることがシッカリとインプットされている。それは何故か?
秘密は音楽である。

「奥さん!」
「本当のみりんを使いましょうー♪」
「本当のだし
 本当のコク
 本当のうまみー♪」
「てりっこにしてりこ♪♪♪」

画面の中で郷ひろみは踊り狂い、かつ唄う。彼もプロの芸人。手抜きはまったくなく、クオリティの高い本気の芸を披露するのである。(二枚目もへったくれもありませんな)
テレビを消した後を想像してもらいたい。
我々視聴者は、夕食の食卓に置かれた肉ジャガの小皿を目にすると、郷ひろみが拳を握りしめて腰を振っている場面がフラッシュバックで浮かんくるようになるのだ。
続いて幻聴が聞こえてくる。「本当のコク、本当のうまみー♪」
「てりっこにしてりこてりっこにしてりこてりっこにしてりこ、、、♪」
翌日、奥さんの足は無意識のうちに近所の酒屋かスーパーに向かってしまう。
このCMにおいて、制作者はインパクトのある映像で度肝をぬいて我々の目をテレビの前にくぎづけにしておきながら、音楽によって商品の特徴をアピールするというハナレ技を実現し、成功させたのである。
それにしてもこの音楽。簡潔で明瞭でしかも画面の映像とピッタリ調和して秀逸である。
実は、僕はこの曲が「2億4千万の瞳」ではないかと思っているのである。(誤解かもしれないが)
もう一度、冒頭の詩に注目してください。※印の部分、「出逢いは億千万の胸騒ぎ」
ここに「本当のだし本当のコク本当のうまみ」を当てはめるとピッタリのように思う。前後の「本当のみりんを使いましょう」と「てりっこにしてりこ」のフレーズはややハマりにくい。編曲が必要なようだ。僕はタカラ本みりんの唄をフルコーラスで聞いてみたいと思う。人生に影響を与えたり、人を感動させたり、そんなたぐいの詩ではないが、みりんの宣伝という範疇で考えるなら、その目的は100パーセント達成されている。
そして僕はこの迷曲を是非ともカラオケで唄ってみたいと希望しているのである。

付記

デビューから20年以上の歳月を経て今なおテレビ界の第一線に君臨する怪人、郷ひろみ。彼の今後の活躍を期待するとともに、熱いエールを送りたい。

※このCMが放送されたのは1997年の4月頃だった。


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