春の風情

春の寝苦しい夜に、パブロン鼻炎カプセルは最適ですね。オレンジの小さなカプセルをコップいっぱいの水で、ゴックン。それだけで心地よい通気性のよい呼吸を約束してくれます。
いちおう窓は閉めきっていますが、スギ花粉のヤローは全くおかまいなしにワタクシの敏感な鼻腔の奥を刺激してくれちゃいます。経験のあるひとには分かってもらえますね。
ハナづまりがどれだけ安眠をさまたげるものか、いまさら説明するまでもないでしょう。
そう、鼻からの呼吸とティッシュの節約。パブロン鼻炎カプセルには、ふたつのメリットがあるのですね。1350円と消費税を惜しんでなんていられません。快適に寝ることができる。この一点につきますですね。
さて、話は変わりますが、春の風情について語りたいと思います。
薬を飲んで、鼻水もとまり、ビールを飲んでも耳の鼓膜がツンとならないのでこんなことを語る余裕が僕にはあります。
春の風情。
中学の国語の時間みたいになってきました。みなさんは生徒にでもなったつもりで聞いててね。よろしくね。エラそうでごめんね。
さてと。ここからは平成の藤田式随筆だぞ。中学国語ではエッセイとは言わないはずだったと記憶しているからね。だから、随筆なのだ。随筆といえば清少納言(だったっけ?紫式武だったかな?)の枕草子である。「春はアケボノ、やうやうしろくなりゆくヤマギワ、、、なんたらかんたら、、」ではじまるあの有名な書き出し。たしかこの作者は平安時代の女の人だったと思うのだが、文章のキメに使われる言葉、「いとをかし」が中学時代の僕にはどうしても「面白可笑しい」と言っているように思えてならなかった。
国語の先生は「これは『たいへんに趣があっていいモノだ。』と、言っとるのだ。」
などと説明するのだが、われわれ生徒一同はそのようなヒネくれた解釈は、どうも爽快感に欠けるような気がして納得できなかった。
清少納言は夜通し酒を飲んでラリってて、
「うへへへへへへへっ!」
「山際がなにやらボンヤリしてピンクがかって見えるわい!もう朝かい。」
「面白いじゃねーかい!」
「もっと酒持ってこい!ワレ!」
などと、杯を屏風に向かって投げつけながらキモノの裾を振り乱し、騒いでいる。そのように読み取ったほうが「をかし」という言葉の本来の意味に近いのではないか。
「をかし」は「可笑し」であって、断じて「趣がある」ではない。いくら日本語が複雑な言語だとはいえ、「をかし」に対する国語学者の解釈は、少なくとも中等国語の教科書の範疇ではマチガイである。そのように、友人達と語りあったものだ。(何の根拠もない説なので、マジメにとらないで下さい。そんな人、いないと思うけど。)
さて、私こと藤田は今日も颯爽と着ながしをキメて、街のなかを歩いています。
(風情を楽しむためにそのように仮定します。本当は普通の服ですが。)
高校3年生や大学生にとっては、春休みというのはかなりのボリュームのある時期である。約1カ月間。3月いっぱいから4月の始めにかけて、ほとんど夏休み並の長期休暇があるのだ。まったく羨ましいぞ、この野郎。彼ら彼女らは、たたみかけるように旅行やらバイトやらに励み、思い出をつくったり、欲しい物のために金を稼いだり、アレしたりコレしたり、イロイロお楽しみな休暇を楽しんでいらっしゃるのである。そして、もうひとつ。運転免許を習得するにはもってこいの季節なのだ。運、転、免、許、証。高校生にとっては携帯電話とタマゴッチに匹敵するほど欲しいモノのひとつなのではないだろうか。
しかし、現実には自動車免許や二輪免許をとることを特別な理由のない限り禁止している高校もかなり多いのだろう。
理由はカンタン、子供がグレたら困るからである。無茶をするから危ないということもあるだろうが、それは二次的な理由なのだ。だいたいにおいて無茶で危ないことをしたいのが高校生であり、それが楽しくてしかたない年頃であり、そうでなくっちゃーならない時期である。ここで遊ばんと、いつ遊べばいいのだ?そうでしょ?
だからこそ、あの時代は人生においてもっとも輝く季節なのである。
かつて僕の通った高校も免許の習得は禁止されていた。まあ、親父のカブや兄貴の小型を無免許で乗り回すヤツもいたけど、やっぱり欲しいのは免許証。だって、これがあってこそ、始めて自分自身の車やバイクを持つ楽しみもできるというもの。記憶では、僕の高校の卒業式は2月の終わり。そして3月になるといままでのストレスから一気に解放されるように、同級生たちは、目の色変えてハナの穴大きくして教習所になだれ込んだのであった。
この時期、道路で擦れ違う教習車を見ていると、そんなことを思い出す。たぶん、高校卒業したての生徒が多いのだろう。自動車教習車こそ、春の苦い記憶である。(風情とは少し違うか?あまりスルドイ突っ込みを入れないように!)
さて。僕自身が自動車免許を習得したのはかなり遅くて、21の時だった。
原チャリの免許はあったのだが、どういう訳か普通免許に関してはこの時期まで遅れてしまった。金がなくてとてもじゃないが自分の車など持てる余裕がなかったのが大きな理由のひとつであろう、、、、、。
ところで。
ワタシは自動車教習所がキライである。
大キライ!
キライ!キライ!キライ!キライ!キライ!
なにが嫌いって、自動車教習所ほど嫌いな所は他に考えつかないほど嫌いだ!
どーせ、オレは運転がヘタだよ!悪かったな!ベラボーめ!
だいたいやねー、少しくらいオレより車の運転ができるからっちゅうて、そんなに尊大な態度に出やがるこたーねーじゃねーかい。おまえだよ!おまえ!
ワタシは言いたい。
自動車教習所のシステム、教官のハンコがもらえないと次の段階に進めなくて、仮免許の試験も受けられなくて、路上にも出られない、あれをなんとか改善していただきたい!
教えてもらっている弱みはあるけど、生徒にとって、これほど屈辱的な制度はない。
誰もがくやしい思いをした経験があると思うけど、ずいぶんなコト言うセンセイ方が多すぎる。はやく卒業して免許が欲しい。そのためには、ここでハンコをもらわなくては。
ううう。みんな我慢しているけど(我慢しないヤツもいたが)普通の中学高校の先生があんな態度で生徒に接したりなんかしたら、報復の標的にされちゃうぜ、実際。
僕なんかは、どうやらナマイキな人間に見られるらしくて、本来やるべき運転技術の講義以外にも、態度が悪いだの、素直じゃないだのと、怒られることが何度もあった。
険悪な雰囲気の中ではなかなかいい結果というものは生まれにくいものだ。
でも、素直じゃない、っていう部分は当たってましたね。ゴメンね。だってさ、あんまりにもエラそうな言い方するんだもん。そりゃーね、大人の男である教官のみなさんにとって、二十前後の男子っちゅうのは、一番イヤな生徒なのかもしれないけど。ホントにナマイキなだけで全然カワイクないからね。でもね、僕はね、懸命にやってるんだよ。だってさ、運転免許が欲しいんだもん。こんなに真面目に授業を受けることなんて、正直、学校ではあんまりなかったんだぜ。それをさ、少しばかりうまくできないからってさ、アタマごなしに否定しなくてもいいんじゃないの。僕、正直者だからすぐ顔に出ちゃうんです。
と、いうような事で、僕自身の技術がヘタくそなうえに、教官達との人間関係がうまくいかなかったことも災いして、仮免許を習得するまでに10回もの補習を受けるハメになったのであった。
暗い過去である。友人たちのなかでも僕くらい教習所に通ったヤツは少ないのである。
後から来たヤツが先に卒業していくのである。悲しかったが、「オレは教習所がスキやねん。」などと強がりを言って笑って彼らを見送ったのであった。
僕は、とうとう春休み中には卒業できなかった。1カ月以上して、5月にもなろうかという頃、ようやく普通免許を手にしたときは本当に嬉しかった。
辛い思い出なので、グチになってしまいましたね、スミマセン。でも、普通免許の場合は少しくらい教官の意地が悪くても、まだマシなほうなのだ。
僕の友人で大型特(たぶん750に乗れるヤツ)の二輪免許が欲しくて、何度も試験を受けたヤツがいる。
ペーパー試験のほうは、ミッチリ勉強したから、どんな問題が出ても自信があったそうだ。難関は実技試験である。彼は何度も何度も何度も何度も何度も実技試験を受けた。
そして、何度も何度も何度も何度も何度も落ちた。
くわしくは知らないが、二輪免許の実技試験は減点方式を採用しているらしい。マンツーマンで路上試験を受ける訳なのだが、途中で点数がなくなってしまうと、その場でうち切られる。「ハイ、そこまで。」で、オシマイ。
最初のうちは、やっぱりヘタくそだから、自分でも失敗したところは自覚できるそうである。でも、何度もやってるうちに、どんどん技術は身につく訳ですよ、実際に。
若いから、すぐにウマくなる。そのうち、自分はなんで落とされたのか、わからなくなるそうである。完璧にこなしているつもりでも、「ハイ、そこまで。」
試験官はどこが悪かったのかはいっさい教えてくれないらしい。
教えてくれなきゃ、次からどこを注意したらイイのか、わからんじゃねーか!そうだろ!えっ!どうなんだ?オレの言っている事は甘いのか?なんとかしろ!
責任者、出てこいっ!
でも、どうしようもない。本当に責任者を呼ぶわけにもいかない。
「アレは免許を取らせるための試験じゃない。」
「取らせないためにやっとるんや。」
友人はクヤシ涙を流しながらも、歯を食いしばって挑戦を続けた。それほどまでに欲しかったからだ。だが、彼がその後、免許を手に入れたという話は聞かなかった。
日本の国では、あまり巨大なバイクは道路を走ってもらいたくない。だから免許は与えない。(たぶん)そういうキビシイ現実があるのだろう。希望と挫折。春ですねぇ。
もうひとつ。
春と言えば桜である。桜と言えば花見である。花見と言えば酒である。
満開の桜の木の下で酒と幕の内弁当。やっぱり夜がいいな。花以外に余計な物は目に入らないほうがいい。美しいモノだけを見ながら、美味いモノだけを食い、かつ飲む。
あるいは、夜桜の下で美女とふたりだけでアイビキ。(何時代じゃ)
実はワタシは花見をしたことがない。桜の木があって満開の花を咲かせている。
風が吹いて、文字どおりの桜吹雪がハラハラハラリと空中を舞っている。そのような情景には何度も出くわした事はあるが、腰をすえて桜の花の下で飲食することが、花見と呼ぶのなら、一度も経験がない。これから先も、あんまりなさそうな気がする。
桜から連想するモノ。
深夜。アタマに鬼の角みたいに棒型の懐中電灯を突き刺し、両手に猟銃をかまえ、背中に日本刀を抱えて、桜吹雪をバックにこっちに向かって疾走して来る殺人鬼。
卒業式。後輩の女の子に呼び出されて、桜の木の下でいっしょに写真を撮って、それから制服のボタンをひとつくれないかと要求され、困ったふりをしながらも、内心はその娘があんまりカワイイもんだから「ヤッター!」とばかりに、どうやって毒牙にかけてやろうかと、密かに計画をねるハンサムな男子卒業生。
合格発表。本命の公立高校。僕は合格していたが、いっしょに見に来た友達は不合格だ。
嬉しいんだか嬉しくないんだか、実に複雑な気持ちだ。うー、自分自身の合格を祝して思う存分「ヤッター!」と雄叫びをあげたいっ!しかし、しかし、、、。現実は残酷である。掲示板の前で呆然と立ち尽くす僕たちふたり。黒沢明の映画みたいに、大袈裟な春の強風が吹き荒れ、校庭の満開の桜が花びらを散らす、、、。
お寺の参道。両側に桜の木。おみぐじをひいてルンルンルン。、、、吉。もう一度ひいてみよう。、、、大吉。調子いいじゃんか。よーし、もう一度ひいてみよう。、、、大吉。
もう一度ひいてみよう。、、、中吉。もう一度、、、大吉。、、、小吉。吉。大吉。吉。大吉。大吉。中吉。吉。大吉。大吉。、、、、オレはラッキーマンか!
ワタシの田舎のお寺のオミクジは吉、それも大吉の大盤振舞(おおばんぶるまい)で有名である。凶はまったく入っていない。幸せすぎて、ありがたすぎるオミクジである。そのせいか、あまり幸せでない人がオミクジひきに来るというもっぱらの評判であった、、。

どうだい?春の風情を味わってくれたかい?自分自身で読み返してみると、清少納言(紫式武か?)をからかってるんだか、自動車教習所の悪口なんだか、桜の連想ゲームなんだか、意味不明でわけわからん。読みにくかったろ。許してね。最後までつきあってくれたアナタ、桜前線はもう関東までやってきて、すでに満開の時期は過ぎ去ろうとしています。4月3日。雨は朝からずっと降り続いています。花の命は短くて、だからこそ美しい。
おっと、雨足が激しくなってきたようだぜ。着物の裾が濡れちまう。今年の桜も終わりだな。番傘をさして家路につくとするか。東映映画ならここで「唐獅子牡丹」が流れてくるところだぜ。

 


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