1997年8月28日。プロ野球は100試合以上を消化。セ.リーグは2.5ゲーム、パ.リーグは1.0ゲーム差で、ヤクルトと横浜、西武とオリックスが首位を争っている。僕のヒイキの球団はまったくのカヤの外なので少々さみしい気持ちもあるが、反面、ヒートアップしてきたペナントレースをストレスなく見守ることができる。

去年のちょうど今ごろは、巨人と広島が首位争いをしていたのだが、そのとき書いた文章を再録してみよう。

長嶋カントクのファンの方はなつかしく読んでみてください。


元禄の夜

広辞苑を買った。
ふふふふふふふふふふふふ。広辞苑だぞ。本の好きな僕は前からこれが欲しかった。この厚み。この重量感。これこそ、本。本のなかの本。2858ページ。変なたとえだけど、ドストエフスキーの長編より文字が多いぞ、きっと。第四版。6500円だぞ。凄いだろ。
本屋でレジに持ってくのが、なんだか誇らしい気分だったもんね。カバーの帯にも書いてある。「信用度第一位」。この本を買うアタシもやっぱり抜群に信用できるヤツだよ、レジにいるアルバイトのお嬢さん。だから、今度おつきあいしませんか?なんて、エロ本買うときと比べると実に爽快な気持ちである。
そういえば、今日の帰りに同僚と寿司を食べにいったんだけど、試しに「すし」で、ページをめくってみると「酢し」の意味だとわかる。「鮨」と書くのが本当で「寿司」は当て字だというのがわかる。日本語の奥は深い。
ところで今から話そうと思っているのは寿司のことなんである。広辞苑のことじゃないのである。話のマクラに困って、辞書なんかを最初にもってきたのである。なんだか学のありそうな雰囲気を醸し出したかったのである。本当に学があればこんなことはしないのである。バラしてどうするんだ、である。
知ってますか?元禄寿司。
楕円型の大きなカウンターが店内のスペースをほとんど使ってドドーンと置いてあって、それを囲んで丸い椅子が並んでいる。内側で寿司をにぎっている板前さんは何故か絶対にふたり。普通の寿司屋ならカウンターの前のガラスケースの中にいろんなネタが置いてあって客はそいつを見ながら自分の欲しいのを注文しますね。しかし、元禄寿司ではこの部分がベルトコンベアのようになっててですね、直径15センチほどの丸い皿の上にすでに完成したマグロだのイカだのタコだのカッパだのアナゴだのシャケだのナットウだのネギトロだのタマゴだのアジだのヒラメだのウニだのゲソだのカイワレだのタラコだのアカガイだのタイだのハマチだのカツオだのなんだのかんだのが二つずつ乗っかってて、とにかく一分の隙間もなく、ぐるぐる回転しているのである。だから回転寿司ともいう。
そう、このためにカウンターが円形をしているのである。計測したことないけど、だいたい3分くらいで一周するものだと思われる。皿も丸い。丸くないとうまくコンベアの上で流れない。そして僕ら客は自分で食べたい皿が流れてくるとそこから、そいつを取り、テーブルに備え付けの醤油をたらしていただくわけである。一般にはこの皿は食べ終わると次の皿をその上にどんどん重ねて積み上げていくのが正しいやり方だと思われる。
店員に指導されたことはないけど、ほとんどの客はそうしている。板前さんはコンベアに隙間ができないようにどんどん寿司をにぎって皿を補充していくのだ。もちろん欲しいネタが流れてないときは注文もできる。
さて。店内に入るとまず、自分の座る場所を物色する。僕にとってのベストポジションは寿司を握っている板前さんの正面からやや外れた所である。板前さんの立っている場所を起点とするなら、コンベアの流れる方向に対してやや外れていなければならない。なぜならば、にぎりたての寿司が食えるからである。僕はシャイなのでなかなか自分の欲しいネタを「ウニ!」とか、「トロ!」とか、声にだして注文するのが恥ずかしいのである。でも、この場所ならいろんなネタを物色しながら、ゆったりと寿司を食うことができる。
これがもし、起点から流れに対して反対の方向に少しずれてたらどうなるか?たとえば、その日なかなか出てこなかったハマチが、ついに登場したとしよう。5皿限定である。しかし、こいつが自分の前まで流れてくるまでに、コンベア上の4つのコーナーをクリアしなければならない。ようするに、楕円形のカウンターを、ほぼ1周してこないといけないのである。当然、店内は混んでいる。そしてハマチは人気メニューである。すでに第一コーナーにたどり着くまでに4皿がさらわれる。ううう、くそっ!ソレは俺んだっ!と、あせっても、じっと我慢するしかない。しかし、まだ最後の1皿が残ってる。チャンスはある。ハマチ、第二コーナーをクリア。しかし、そこから第三コーナーまでが長い。どうだ?生き残れるか?斜め向かいのオヤジの視線は俺のハマチの方に向いている。イカン。危ない。ハマチ、がんばれ!生き残れ!いけ!いけ!おおおっ!、、、よしよし、なんとかオヤジの魔の手から逃れることができた。だが、俺の所まで到達するのに、あと6人の敵の攻撃を避けねばならない。ハマチよ、藤田がついてるぞ。熱い視線を送る。好きな男にテレパシーをおくってる女の子みたいな気分である。第三コーナーをクリア。あと、2メートル。あと、第四コーナーを曲がればすぐにでも、俺の手に!、、、うーん。隣のアベックが怪しい。男のほうが黙々と流れてくる皿を物色している。イクラ、ウニにも手を出さない。女のほうは大丈夫そうだ。まだ、玉子を食っている。おい男、彼女が退屈そうだぞ。寿司を気にしてる場合かっ!なんか話しかけんかい!ハマチは俺に譲れ。いや、どうか譲ってね。さあ、来た来た。ハマチが来たっ。よくぞ、ここまで。隣の男はどうかっ!どうだっ!
あああー、イカーン!手が出たっ!うううー、奪われてしまう!俺のハマチがっ!おおおーっ!と、俺の隣の男は、俺のハマチの隣のマグロを、取りあげた。、、、助かった。「ヤッター!」
ハマチの皿を自分の前にして、割りばしでつまみ、口に運ぶ。ゆっくりと咀嚼する。
この味わいを待っていた。寿司飯はシャキッとしていて酢のかげんはしつこくなく、まったりとしていて、それでいて口の中で舌をつつみこむようにふうわりとやさしく、ネタは養殖でない天然のハマチが使われており、その身はどっしりとしていてかすかな甘みがあり、大企業でない銚子の醸造元が造った本物の醤油がさらに味をひきたてる。(嘘)
だいたい元禄寿司の雰囲気のわかったところで、今日の話。

現在、プロ野球は巨人、広島、中日、の3チームが首位を競っている。100試合を消化した時点でゲーム差は首位から3位まで、2.5。

接戦である。

さて、この3チーム。僕が応援するのは巨人である。長嶋監督は好きだ。なぜならば、あの人は太陽だからである。理不尽な采配しようが、言動がヘンだろうが、いまのプロ野球は、長嶋茂雄巨人軍監督中心にまわっているのである。だから優勝して欲しい。
注目するのは、3番4番の松井と落合である。野球を知らない人のために説明すると、3番4番というのは、打つ順番である。一般的には4番が一番エライとされている。ようするに最強の打者が、どどーん!と登場する場面で最も絵になるのが、この4番という打順なのである。たとえば、かなり古いが、ペナントレース、巨人阪神首位決戦、最終回、裏の攻撃、2アウト満塁、得点は4ー1。この時点で巨人は阪神に負けている。ピッチャーは交代して中西。などという最高に緊迫した最高に面白い場面で後楽園にウグイス嬢のアナウンスがこだまする。「4番、サード、原。背番号、8。」
観客は体中にアドレナリンが駆け巡り、気分が高揚し、原がホームランを打つ期待に興奮する。おおおーっ!イク、イクーッ!イッちゃうーっ!どぴゅ、どぴゅ。と、実際に打つ前からカタルシスを感じるのである。(一言ある野球ファンがあるかもしれない。でも僕は原の味方である。オールドファンは原の部分を長嶋、背番号を3に置き換えてね。)
いつの時代も、プロ野球ファンはこのような場面を待っているものだ。
今の巨人は松井が打ってチームを引っぱっているのだが、なぜか4番は落合である。
8月29日。首位広島と2位巨人はゲーム差1で激突した。
夜、僕と同僚のHはその日の仕事を終え、腹がへったので帰りに職場の近くにある元禄寿司に立ち寄った。この店は板前さんたちが巨人ファンらしくて、いつもラジオの巨人戦の野球中継がながれている。それが聞きたくて、ここを選んだのである。Hも試合の結果が気になっていたらしく僕の意見に同意して元禄寿司の、のれんをくぐった。この広島巨人3連戦はものすごい展開だったのだ。とくに初戦。序盤、松井の場外ホームランなどで巨人が先制し、得点差はいっきに7まで開き、あっさり逃げきるかと思われた。だが、広島がねばって1点差にまでせまり、7回裏の攻撃でロペスがホームランをかっ飛ばしてついに同点になってしまった。しかし、8回表の巨人は落合がライト前にタイムリーヒットを打って勝ちこし、その後の広島の反撃を抑えて、どうにか勝利した。
第2戦は広島の逆転勝ち。
そして第3戦。僕がHと席についたとき、9回裏の広島の攻撃が始まるところだった。得点差は、1。ここを抑えきれば巨人の勝ち。ピッチャーの川口はワンアウトをとったのだが、次のバッターが初戦で同点ホームランをかっ飛ばしたあのロペスだった。背中にブーンと寒い予感が走る。バリバリの巨人ファンのHの頬がピクピクとひきつる。長嶋監督、ここでピッチャーを交代させる。マリオだ。
余談だけど、僕はこのマリオという名前はゲームソフトのキャラクターが連想されて、どうも可愛いイメージで、好みでない。なんていうか、戦いの修羅場に颯爽と登場して、次から次へと出てくるバッターからバッタバッタと三振を奪い取る、なんていうたくましい感じが希薄である。本人の名前だからしようがないんだけど、打たれて交代しても、マウンドからピョンピョン飛び跳ねながらベンチに向かって去っていきそうではないか。
たとえば、これがシュワルツェネッガーなんて名前だと、いかにも頼りになりそうだ。
「ピッチャー川口に変わりまして、シュワルツェネッガー。ピッチャー、シュワルツェネッガー。背番号、2000。」
どうですか?シュワルツェネッガーの背中なら4ケタの背番号でも大丈夫。
200キロくらいの豪速球を投げてバッターとキャッチャーと審判を吹き飛ばしそうではないですか。ねっ。このように、プロなんだから芸名があってもいいのでないかと思う。
話は戻って、広島巨人戦。9回裏ワンアウト、ランナーなし。得点は1点差。広島最後の攻撃。バッター、ロペス。ピッチャー、マリオ。ロペスは先日も同点ホームランを打っている、要注意の人物。一方、マリオは故障から復帰したてで本調子ではない。
さっきから、僕はこっちに向かって流れてくるイカに目をつけて摘もうと、待ち構えている。にぎりたてのイカは表面が濡れてテカテカと白い光を反射して、イカにも美味そうである。ビールを注文する。もう我慢できない。仕事の後のビールは最高だ。今日一日の自分によくやったと、褒めてやりたい。Hはマグロに醤油をたらし、割りばしをかまえたまま、視線は空中を彷徨い、野球放送に聞き入っている。僕はイカを手に取った。皿をテーブルに置いて、醤油の瓶を右手に持って、ホンの少しだけ、イカにたらす。白いイカの表面にこげ茶色の醤油の軌跡が残る。店員のおっさんがサッポロ黒ラベルを運んでくる。
広島球場、舞台は最高潮。リリーフの切り札、勝利の方程式。マリオ、投げた。どうか?どうだっ!決めダマのフォークボールだ。しかし、落ちない。
フォークが落ちない!ああ!
カッキーン!
ロペスは狙っていたフォークが高めに入ってきたのを見逃さず、バットを振り回して左翼上段にたたき込んだ。またまた同点ホームランである。
目に見えてHは肩を落とし、タメ息をついた。店内の板前さんたちも悲鳴をあげる。
「あーっ!」
店内にはプロ野球ファンが何人もいたようだ。悲鳴の大合唱である。Hがつぶやく。
「継投ミスだ。なんで、川口を変えたんだ。長嶋はサルか?なんでもかんでもマリオか?そんなにマリオがエライのか?川口の男気を買ったらんかい!完璧に抑えとったやないか!川口よ、オマエの気持ちがわかる!俺にはわかる!くやしいやろ!これで優勝できんかったら、長嶋はクビや!クビ!クビッ!」
サバが美味そうだ。酢でしめたサバの寿司は独特の舌ざわりがして、僕の好物のひとつである。ロペスに続いて西山がヒットで出塁する。広島、サヨナラのチャンス。Hの頭から湯気の出てくるのがハッキリと見える。Hはマグロを2秒でたいらげると、今度はアナゴを手に取った。すでにタレがついているにもかかわらず、醤油をドバドバたらす。
野球ファンは怖い。すでに正気ではない。それにしてもサッポロ黒ラベルは美味い。
マリオはなんとかふんばって、その後のバッターを抑えて試合は延長戦にもつれこんだ。少しの間、くつろげる時間がある。Hは長嶋監督の悪口を言いながら、タコ、ハマチ、サバ、納豆と、次々とたいらげる。僕は適当にあいづちをうつ。
10回表、巨人の攻撃。先頭打者は福王。一方の広島のピッチャーはこれも抑えの切り札、佐々岡である。彼もストッパーとして大車輪の活躍で、広島カープをここまで引っぱってきたヒーローのひとりである。Hはまた、黙りこんでラジオに聞き入る。
クワッキーン!
カウント、2-2からの6球目を福王が右中間にかっ飛ばす。勝ち越しのホームランだ。
「うううううっしゃー!」Hが拳を固めて、叫ぶ。
長くなるから結果を言ってしまうけど、3-2で巨人が勝つのである。野球を聞きに行ったのか寿司を食いに行ったのかよくわからない夜だった。
僕は本当は阪神タイガースのファンなのである。


らくがき帳日記帳リンクホーム