風呂物語

寒くなってきたので、お風呂の話をひとつ。
うーん、あったかくていいですね。入浴は、もしかしたら一日のうちで最も幸せな時間のひとつかもしれない。熱い湯につかりながら自分の好きなことをぼんやりと考えている時って、なんとなくイイじゃありませんか。
奇麗で清潔なことはいいことだ。
お風呂がキライな人はあまりいないと思う。
しかし、告白しよう。実は、あたしは風呂に入るのが面倒だと思った時代があったのだ。
女にモテなかったのを暴露しているようだが、本当だからしかたない。
10代の頃。大阪で学生やってた僕は、初めて親元から離れて、学校に紹介されたむさ苦しい男子寮に住んでいた。貧乏だったから残念ながら高級でスマートなバス付きマンションには住めなかった。実にくやしい。そして住居の環境ってやつは、人間も変える。
母親あるいは姉もしくは妹または恋人そうでなければ女友達が部屋を訪問することのない場合、男ってやつは一部の例外もあるが、実に不潔な生物である。
自分のまわりに「部屋がキタナイ。」とか小言を言う人間のいない若い男ばかりが集まると、部屋っちゅうのは汚れほうだいである。
部屋だけではない。建物の共有部分。廊下、便所、キッチン、壁、玄関、風呂場。全てがそうである。みんなが使用するわけだから一応、気を使ってはいるが、どうしたって雑然としている。僕が住んでいた男子寮には管理人みたいな人はいなくて、大家さんは別の建物にいたから、寮内は無法地帯。まさにあれ放題だったと言っても過言ではないだろう。
真夜中でも平気で音楽かけるわ麻雀するわ大勢で騒ぐわ女を連れ込むわ酒を飲むわプライベートもへったくれもなく毎晩が上へ下への大騒ぎであった。
さて問題の風呂である。
寮は1号館、2号館に別れていて、それぞれの建物の一階の入り口近くに共同の浴場があった。浴場といっても中は狭い。だいたい四畳半くらいの広さしかない。しかも浴槽が小さかったから一度に入れるのはひとりだけである。入浴時間は午後6時から午後11時。それを過ぎるとガスが止められる。それが規則だった。ところがこれは僕らにとって実に不親切な規則だったのだ。だいたい学生にとっての午後11時というのは深夜ではなかった。
夜はまだ始まったばかり。そういう時間だったのだ。年とった今でこそ風呂に入って、くつろいでしまうと眠気が襲ってくるようになったが、あの頃は、さー、これから何して遊ぼうか?と、目玉をギラギラ光らせて面白いことはないものかとモンモンしていたのである。寝るのはもったいない。眠くもない。だいたいみんなが帰ってくるのも遅い。6時から風呂に入るヒマな奴なんてほとんどいなかった。ガスを管理していたのが大家さんだったから、どうしても大家さんの都合で入浴時間も決められてしまう。だから、みんなが風呂に入るのは夜の10時過ぎに集中するのであった。わずか1時間の間に十数人が順番に全員入浴するのは不可能である。
したがって風呂に入れない場合が出てくるのである。まあ、女もいなかったし、部屋で麻雀しているか外で遊んでいるかどちらかだったので、なんの苦痛も感じなかった。
だが、不潔なものは不潔である。なんとなく頭がカユイし3日も風呂に入らないと、さすがにお湯につかりたくもなる。だが、寮の風呂場はお湯も少ないし、狭い浴槽に何人も入るからキレイになる気がしない。
そこで登場するのが銭湯なのである。広い、明るい、浴槽がデカイ。営業時間は深夜0時まで。洗い場も浴槽も脱衣所も清潔。夏は冷房完備。体重計あり。ジュースとアイスクリームも売っている。となりは女湯。もー、カンペキ。最高級。Aクラスの風呂である。
僕が銭湯を利用するようになったのはある秋の日が最初だったけど、その時からもう完全にやみつきになってしまった。寮の風呂には全く入らなくなった。
かぐや姫の「神田川」(※注1)の世界でないが、洗面器にシャンプーと石鹸とタオルをいれて夜の道をテクテク歩いて風呂屋に通ったもんだった。だいたい「神田川」はアベックだけど、僕の場合は野郎同士だったもんね。ロマンチックでないことこのうえないわい。' 80年代ではふたりで風呂屋に通うようなアベックは流行らなかったけどね。
さてと。あたしが通った銭湯は「大美野湯」という。知らねーだろう。
すまん。すまん。知ってたら大変だ。大阪にある良い温泉である。
僕らが部屋を出るのはだいたい午後11時を過ぎた頃だ。僕と隣人のYそしてS 。部屋の入り口の棚にあらかじめセッティングされたお風呂グッズ。日本リーバのティモテシャンプーにコンデショナー。牛乳石鹸赤箱。田舎から送られてきた不動産屋の名前のプリントされた白いタオル。ミッキーマウスのバスタオル。必ずこの順番でライトグリーンの洗面器に詰め込んで、3人そろって出かけた。服装は季節によってまちまちだが、ひとつだけ。どんなに寒くなっても履物だけはビーチサンダルだった。風呂あがりにきゅうくつな靴下だけは履きたくなかったからだ。2階の廊下から外に出て非常階段を下り、1号館と2号館の間の通路を通って寮の門をくぐり、私道を駅に向かって線路沿いに歩く。左に線路、右には民家が建ち並ぶ。
ジャリ道からアスファルトの公道に出て、すぐに見えてくる駅の改札口への階段。そこをやり過ごして150メートル先の踏切まで行く。たいてい遮断機は下りていた。点灯する赤い警告灯に照らされながら電車が通過するのを待つ。しばらくすると、シルバーの車体をした区間急行の電車が難波方面からやってくる。満員だ。
「窮屈そうやね。」
そんなことを考えながらじっと待つ。急行電車が目の前を通り、左手の方向にあるホームに停車する。遮断機が上がり、僕らは踏切を渡る。正面には三和銀行大美野支店。不動産屋をはさんだ脇の狭い道に入り、30メートル歩けばコインランドリー。ここを右に曲がって私道を行くと前方に居酒屋の赤い看板が見えて、その向かいが大美野湯だ。全国共通、風呂屋の証。例の「ゆ」の、のれん。こいつをくぐってビーチサンダルを83番のゲタ箱に入れる。入り口の戸を開き、番台へ。100円玉と10円玉をバーサンもしくはジーサンに払う。脱衣所に入った僕らは各々鏡の前に立つ。そして服を脱ぎはじめる。天井近くに据え付けられた20インチのテレビではプロ野球ニュースが始まり画面には佐々木信也(だったと思う)または、みのもんたが現われる。大島智子がいたかどうかが思い出せない。スポンサーのサントリービールのCMはペンギンのアニメーションでBGMは松田聖子の「スイートメモリーズ」。(※注2)
脱衣所から洗い場にいく前にひとつの儀式がある。
体重を計るのである。
毎回計るからほとんど変化はないんだけど、これは入浴前と入浴後に必ずやらねばならないのである。そうでないと銭湯に行く価値は半減すると言っても過言ではないであろう。最近はデジタルのやつを置いている銭湯が多いが、あれはいけません。「57.15」とか小数点以下2ケタまでハッキリと表示されてピタリと静止します。アナログの体重計に乗ったことのある人ならわかると思いますが、あの56.5から58.0の間でビリビリと針が揺れる。アレがいいんです。針がビビーンと揺れるのを見ながら、こいつを完全に静止させる方法はないもんかと考えるのである。男は馬鹿だから無理だとわかってながら「なにがなんでも止めてみせる!」なんて、けっこう意地になってきたりします。
体重計の上で少し猫背ぎみの姿勢で銅像みたいに身を固くして呼吸を止め、食い入るように針を見つめるフリチンの20前後の男というのが、どこの銭湯にも必ずいたのである。
しかし体重計は決して言うことを聞かず、ビビーン、ビビーンと針を揺らせるのである。
デジタルの秤(はかり)はこんなふうには遊んでくれません。
さて、僕らは洗い場に入りました。当然のエチケットとして、まず体を洗ってから浴槽につかります。あたりまえのようで、これって守れない奴が多いんですよ。社員旅行で温泉に行ったときに実感したもんね。自分家の風呂にしか入ったことがないんでしょうな。でもやった本人には全然、悪気がない。知らないんだ。若い奴だけない。おじさんにも多い。みなさんも何かの機会で団体で温泉に入浴することがあるかもしれません。そのときはくれぐれも、まず体を洗って、それから湯船につかりましょう。僕みたいな銭湯や温泉を愛する人間がムッとしているかもしれないからね。
話を戻そう。
えー。体を洗う順番ですが、どうしてますか?あたしはまず、頭から洗って、だんだん下のほうに向かい、最後に足の裏、てな順番ですがね。別に決まりはないから人それぞれですね。しかし、だいたいは頭がいちばん先か、首が先か、このふたつのどちらかが主流だったと記憶しています。いきなりチンポやケツの穴を洗う強者はあまり存在しなかった。下半身、特に脚の付け根のあたりをキレイにするときって、やっぱりある程度の恥ずかしさが伴うんですね。

「あー、今日はよく運動した。汗だらけでキモチが悪い!」とは言えても、

「あー、今日はよくうんこした。肛門がキモチ悪い!」とは言えない。

(例え本当でも。)
したがって下半身を洗うときは、なんとなく周囲が気になって左右に首をふり、誰も見てないことを確認するわけである。(誰が見るんだ。誰が)
シャンプーの定番は日本リーバのティモテだった。だった、と言うのはもう売ってないからだ。どこのコンビニ行っても薬屋行ってもスーパー行っても売ってない。もう作ってないらしい。シャンプーなんてモノは飽きるから後からどんどん新製品が出てきて古いのは消えていく。それはしかたのないことだ。僕はティモテが大好きだったんだけどね。
「天然ハーブ配合」
「ハーァー、ティモテー♪」と外国人の姐ちゃんが薄笑いをうかべながら、でっかい瓶(かめ)から金色の髪に水をドバドバかけるCM。アルプス大自然の恵みといった感じで、意味もなく健康によさそうで気分良かった。日本リーバさん、類似品をまた作ってくれ。是非買いたい。
ところで石鹸についてですが、あなたは固形タイプをお使いですか?それとも液体タイプをお使いですか?前者は牛乳石鹸赤箱、後者はビオレUなんかが代表的な存在でありましょうか?私事ですが、自分は両親が絶対的な牛乳石鹸赤箱の信仰者だったもんで、子供の頃は石鹸は一種類しかないとマジで思ってたくらいです。だから今でもスーパーに行くと無意識のうちに手にとってます。ない場合は別ですが。
自分のアパートでシャワーを使うようになってからは液体タイプのヤツも使うようになりました。ビオレとかなんとかボディソープとか。しかし、気のせいかもしれないが液体タイプの場合は固形にくらべてはやくなくなるように思う。そして持ち歩くには小さくて携帯に便利だという理由で固形タイプの勝ちですな。だから僕は銭湯では牛乳石鹸赤箱を愛用したわけです。新品でまだ角のある白い石鹸を箱から出して、最初に泡立てるときの快感はいいもんです。
「don't kiss me babyー♪」とか思わずハナ唄も出てこようというもの。
一通り体を洗い終わるといよいよ浴槽に入る。あー、生きててよかったと思える瞬間ですね。大美野湯では3つの浴槽があった。一般向きの熱くて底の深いやつ。子供向きのぬるめの底の浅いやつ。そして、底から空気の出てくる泡風呂。僕の気に入ってたのは泡風呂である。勢いよく湧き上がる気泡が背中や脚を刺激して気持ちいいのだ。
この他にも、電気風呂っていうのもあります。
電気ウナギが放流してあるという恐ろしい風呂である。虚弱体質に良いらしい。一見すると寒い地方の濁り湯のように入浴剤でお湯が白く濁っていて底は見えない。入るときは、ゆっくりと浴槽に脚をつける。中には50センチの電気ウナギが三尾、放流されていて、彼の脚が体に触れると青白く発光しながら100万ボルトの電流をバリバリバリバリバリバリバリバリッ!(嘘)
本当は、
浴槽の両端の側面に電極のようなものがあって、そこから電気を放射しているのだ。
なにやら効能があって、それに該当する人には効果があるらしい。
でも「心臓の弱い方は入浴をおやめください。」というようなことまで書いてある。
「赤ん坊やジジイや病人がつかったら感電して死んでしまいそうだ」
僕はアホなので、はじめてのときは、電気にシビレる自分自身が想像されて、入るのに勇気がいった。
でも、YやSの反応は違った。
「電気風呂?」
「なになになになになになに?いったい、なに?」
とか言ってウホウホザバザバ飛び込むのである。つられて僕もいっしょになって飛び込んでしまった。
本当に電気ウナギ風呂だったら、さぞかし楽しく盛り上がったであろう。
入浴後の儀式について。
まず例外なく体重計に乗ります。前にも書いたが、もはやこれは習慣である。パブロフの犬、あるいは条件反射といってもいいだろう。僕は、秤(はかり)を見ると大脳ではなく延髄だか脊髄だかが素早く反応して無条件に乗っかってしまう。ワタシを暗殺しようと思ったら風呂屋の体重計に地雷をしかけると効果的ですな。
この後、大きな鏡にうつる自分と向かい合いながら服を着て、仕上げにジュースを飲んでフィニッシュだ。今ならビールを飲むとこだけどね。信じられないことだが、あの頃は別に酒がウマイとは思わなかったのだった。なんて健康的。なんて肝臓にやさしいヤングボーイなんでしょう。たいていの風呂屋には番台の近くに小さなストッカーがあって、牛乳やらジュースが飲めるようになっている。僕らはたいていポカリスエットかウーロン茶を飲みながらマイルドセブンの煙草を一本、灰にしてから風呂屋を後にした。
3人そろって晩秋の寒い夜道をブラブラ家路についたものだった。

さて、余談をひとつ。
僕らのなかで、ひとりだけ、Yの奴には彼女がいた。バイト先でゲットしたひとつ年下のおっぱいの大きな可愛い女の子だった。よく寮にも遊びに来てたから僕らとも顔見知りでけっこう仲がよかった。当然、人気者でチャンスがあればみんな狙ってた。
でも、彼女はYにゾッコンだったので、僕らはいつも適当にいなされていた。まあしかたない。それはいい。それはいいんだけど、このカップルには許せない欠点があった。
Yの奴、ホテルに行く金がないもんだから自分の部屋で彼女とセックスしやがるのである。Yの部屋に彼女が来て、静かになって、中から鍵がかかっていたらマチガイない。
他人の行為を覗く趣味はないんだが、あなた。狭い建物に薄い壁。気配でわかってしまう。だいたい、無関心でいるほうが不可能である。
そんでもって終わったら、あいつらふたりで大美野湯に出かけるのである。このときばかりは男の友情なんて関係ない。僕らとは別行動である。(あたりまえか)
寮の若い男どもは、みんな性欲のカタマリである。ふたりで腕組んで銭湯に行くYと彼女の後姿。時代遅れと言うなかれ。気が狂うほどエロチックであった。




※注1 かぐや姫 ' 70年代初期のフォークソング.グループ。
「神田川」は、みなみこうせつという人が唄った。
でも、内容は辛気くさい。


※注2 松田聖子 ' 80年代初期にはブイブイいわせてた。
もちろん当時は若かった。
「スイートメモリーズ」は、名曲です。


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