電話物語(80年代初期)




少年ジャンプの国民栄誉賞的長寿漫画、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」で、よくギャグにされている、ダイヤル式の黒電話。時代遅れの象徴みたいな扱いを受けてるが。
笑ってはいけない。僕の田舎の両親は、本当にいまだにアレを使っている。
受話器を取って、番号をまわして、相手が出たら話す。
ベルが鳴ったら、受話器を取って、かけてきた相手と話す。
機能はこれだけ。他にはなーんもない。シンプルそのもの。簡単すぎて清々しいほどだ。
でも、老夫婦にとっては必要充分。
家を開けることもなければキャッチホン留守番電話の必要もなければビデオの予約もできなければCDで音楽を聞くこともなければパソコンも持ってなければ携帯電話も必要でなければインターネットだのプレイステーションだのセガサターンだのMDだのデジタルカメラだの、あーだの、こーだの、無関係。家中で最もボタンの多い機械は十年前に買ったリモコン付きのテレビ。(本当にビデオも持ってない)
「だから、どーした?別に生活には困らん!」(親父談)
そのとおり。
僕も高校までは両親と同居していたわけだから、十数年前までは当然、同じ環境で暮らしていたのだ。
かなり古いが、僕が十代半ばの頃の思い出を語ろう。個人的な内容で申し訳ない。
題して「電話物語」。

僕の実家の電話は、玄関から入ってリビングへと通じる廊下の南側の壁に設置してあった。この位置は、僕や妹の部屋、両親の部屋、そしてリビング、の、ちょうど真ん中、すなわち家の中心部であった。ベルが鳴ったら家中どこからでもたいへんよく聞こえたのである。さらには、わが家は狭い家だったから、その気になれば電話におけるプライベートな会話も耳をすませば非常によく聞きとることが可能だった。
誰にでもおぼえがあると思うが、親というものは子供の電話に対して、実によく聞き耳をたてているものである。意図したかどうかわからないが、家の電話は両親の部屋の壁側に設置してあったから、なおさらである。僕らがしゃべっていることは、つつぬけ。
友人たちとの楽しい会話の後で、父親や母親から、無神経で実に不愉快センバンな言葉をかけられて、われわれ兄妹が真剣に家出を考えたことも一度や二度ではない。
しかも、プライベートを侵害されたとして自分の権利をムキになって主張しても、どうも伝わらないふしがある。友達と話そうと、電話の受話器を取ってダイヤルをまわすとき、壁の向こうで、かあちゃんが耳をダンボにしているのがハッキリと見えるのである。
結局のところ、自分の親に対して、「俺らの電話には耳をふさいでろ!」と言うのは意味のないことなのだと悟るのにそんなに時間はかからなかった。
そんなとき、どうしましたか?みなさん。
そうですね。公衆電話ですね。かかってくる場合はしょうがないが、せめて自分がかけるときくらいは、自衛手段を講じなくてはならない。インターネットにおけるセキュリティーの問題と本質は同じである。もっとも本当に聞かれたくない内容は、電話では話さないことである。家族とは一番身近な盗聴魔なのである。僕が外の電話を使っていても向こうの家族には壁越しに 盗聴されているかもしれないのだ。

ここで公衆電話の進化の過程について少し述べておこう。だいたいにおいて次のように分類される。バージョンアップするたびに色が変わるのでわかりやすくて気持ちがいい。
(1)赤電話
(2)ピンク電話
(3)黄電話
(4)緑電話
(5)グレー電話

(1)(2)は、10円玉しか使えない。(ダイヤル式)
(3)は、10円玉と100円玉しか使えない。(ダイヤル式)
(4)は、10円玉と100円玉とテレホンカードが使える。でも、機種によってはテレホンカードしか使えない。(プッシュ式)
(5)は、10円玉と100円玉とテレホンカードが使える。パソコンと接続することもできて、やろうと思えば、パソコン通信、電子メールの送受信もできる。ISDN型(プッシュ式)

もしかしたら他にもあるかもしれないが、とりあえず僕の知っているのは、今のところこれだけである。昭和50年代の終わり頃までは、(1)(2)(3)までしかなかったように思う。現在では、(4)(5)の電話がほとんどのように思う。
お気付きでしょうが、高性能になるほど色使いが地味になっていくのですね。私の予想では、西暦2000年に登場する予定のテレビ公衆電話の色は黒です。黒電話の復活です。(ボタンは液晶画面になっているに違いない)

さて、僕の高校時代は(1)(2)(3)の時代であった。10円しか使えない(2)のタイプの公衆電話がまだ半分くらいのシェアを残しており、友達との長電話をするときには不便なことこのうえなかった。会話の途中でブザーが鳴って、プッツン!なんてこともしょっちゅうなのだ。もちろん、ポケットのなかには大量の小銭を準備してから出かけるのであるが、足りないことも多かった。「電話が切れるまで話そう」などという会話をよくしたものなのだ。(うー、なつかしい。あまりの郷愁にナミダが出てしまった)
それにね、10円玉や100円玉を集めるのにもけっこう苦労したりするものなのだ。自分の財布やら引き出しやら、妹の机の上やら貯金箱やら、あっちゃこっちゃひっかきまわして工面するのだが、金額にして500円分も集まれば大収穫だったといえよう。その金額でできる会話なんてたかが知れているのだが。なんたって、まだ500円が硬貨じゃなくて札の時代だからな。自動販売機でジュースを買って両替なんてできなかったのだ。
夜中にジャリ銭をポケットに忍ばせ、自転車に乗って、家から300メートル離れたスーパーマーケットの脇にある黄電話まで、風きって走る男子高校生(僕だよ僕)が当時よく目撃されたという。その公衆電話は一台きりしかなかったので、僕が行ったら、となりのクラスの渡部が先に使用していた、なんてこともあった。

時代は流れて大阪にある、学生寮に移り住んでからのこと。
そこは簡素でシンプル、まるでプレハブ小屋のような造りで、サービス、設備ともまことに不満足、でもお家賃はとっても安い、汚くもうるわしいナイスな男子寮であった。
居住しているのは18才から22、23才くらいまでのピチピチでナマイキで金がなくて頭の悪そうな、実際に頭の悪い、でも自分では頭がいいと思ってる、恐いモンなしの世代の男どもであった。(僕を含めて)
この男子寮の電話ははたしてどうなっていたか。図面をひろげて説明しよう。(図1)
広い敷地のなかで、建物はおおまかに三つ。すべてが二階建てで、大きい順番に二号館、一号館、大家の家。約30人の学生が住んでおり、部屋は4畳半で、トイレとバス、および食堂が共用。トイレは各フロアーに一つずつついているが、素晴しいことに水洗式ではなくくみ取り式。浴場(風呂)は一号館、二号館の一階入り口付近にそれぞれ一つ。食堂は一番広い二号館の一階にあり、住人たちは食事のすべてをここでとる習慣になっていた。
この食堂のカウンターに(2)のタイプのピンク電話が置かれてある。ただし、この電話は受信機能がない。つまり電話をこちらからかけることはできるが、相手から受けることができない。しかも10円玉しか使えないから、長電話には機能的に不向き。まったく困ったもんである。ふつう、管理人がいない下宿というものは電話を管理運営するのは、そこに住んでいる学生たちだと相場が決まっているものだ。具体的に言えば、食堂にあるピンク電話には受信機能があってしかるべきなのである。電話が鳴ったら近くにいる人間が受話器をとって、かかってきた人に取り次ぐのが、本道であるはずなのだ。
僕の住んでいた男子寮の場合は、中途半端に大きかったのが良くなかったのであろう。
電話に受信機能を持たせて、呼び出しを住人たちにまかせてしまうと、二号館の一階に住む住人たちが電話番みたいになってしまって、不公平だという大家様の心づかいがあったのかもしれない。それなら一号館、二号館の各フロアに番号付きピンク電話を設置すればいいではないかと思うのだが、これは住人側の理屈である。大家さんの考えはそうではなかったらしい。それでは問題。この寮に住む学生たちに電話で連絡をとりたいときにはどうすれば良かったのでしょうか?わかるかな?
答えはカンタン。大家さんの家に電話をかければいいのである。若い連中が30人だからけっこうひんぱんに電話があって、いちいち取り次ぐ作業はかなり迷惑で面倒だったのではないかと今になってから思う。しかしこれは家主の決めたシステムなのだからわれわれ学生たちが遠慮などするはずがないのであった。僕がここに入居したときに気が付いて、あれはいったい何に使うのだろうかと、疑問に思ったもののひとつに、廊下の壁に付けられたスピーカーがあるのだが、こいつの存在理由はすぐにわかった。ほどなく「やまもと君、やまもと君、電話ですよ!」と、大音響で大家のおじさんのダミ声が館内に響きわたったからだ。なにもそんなにボリュームをあげなくてもよさそうなものだが、学生たちは大声で騒いでいたり、でっかい音でステレオを聞いていたりするもんだから、それに負けないだけの音量が必要不可欠だったのである。ちなみにこの電話呼びだし放送は、道路にまで響きわたるような音量であったため、外を歩いていても誰に電話があったのか、非常によくわかるのであった。一種の騒音と言っても過言ではないだろう。よく近所から苦情がこなかったものである。
僕たちは電話の呼びだしを受けると、廊下の何箇所かに付いている、バスの「次で降ります」ボタンみたいな、「在宅してます」ボタンを押して留守でないことをおじさんに知らせてから、立派な造りの家の玄関口まで電話を借りに行くのであった。(これはダイヤル式の黒電話だった)でも、大家のおじさんの家までは間に駐車場をはさんでいるので、けっこう遠いのだ。かかってきてから、実際に電話に出るまで大変に時間がかかる。「待っている間に煙草が一本吸えた」などと皮肉を言う友達もいたほどだ。

ここは一年十か月で退寮した。


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