秋の風情(松茸編)

(10月25日の日刊スポーツ朝刊第29面より)
杉並区野方署管内で昨年暮れから、葬儀や通夜で留守にしている住宅を狙った窃盗事件が多発していた問題で、9月4日、東京都杉並区の無職小林護国容疑者が逮捕された。
この男の手口は、新聞の死亡記事を見て通夜で留守の住宅を特定し空き巣に入るというもので、マスコミ情報を利用した悪質なものだが、やはり死亡記事から犯行を予測して張り込んでいた警視庁野方署員に住居侵入の現行犯で身柄を拘束されたということらしい。
この事件、死亡記事を情報源に空家を襲撃するという犯人の発想も凄いが、その手口を見破って現場で待ち伏せていたという野方署の刑事はもっと物凄い。小林容疑者は捕まったことに「全くの偶然」とうそぶいているらしいが、その気持ち、よくわかる。
初犯が昨年の暮れ頃だというから、およそ9カ月に渡って犯行と捜査のせめぎあいがあったんだろう。日本の警察は優秀だなあ。
「レディ.ジョーカー(上)(下)」、読み終えました。企業小説として同時に犯罪小説として、力作だと思います。合田雄一郎と義兄の加納祐介の関係が少々キモチ悪いのが難点だが、それを差し引いても充分に面白かった。(一連の作品を読んでいればわかるけど高村氏はホモに興味をお持ちのようである)
で、今度とりかかっているのが、ジム.カールトン著の「アップル(上)」なのだ。僕が使っているコンピューターはMacintoshだ。インテル系の製品ではなくMacを選んだのは、パソコン教えてもらった友人がたまたまMac教の信者だった影響である。使い始めた当初はあんまり感じなかったのだが、このアップルという会社、宗教である。OSが魅力的なのは間違いのない事実なんだけど、現実の市場を考えたとき、Windowsの製品のほうが無難な場合が多い。ソフトや周辺機器の選択肢が圧倒的に違うし、一般的な企業で採用されているPCも90パーセント以上はWindowsであろう。Macを使うにはそれなりのこだわりが必要なのである。で、このMac教の教祖様がスティーブ.ジョブスという人なのだ。(一方のビル.ゲイツ氏は大魔王なんて呼ばれていますがね)
(上)(下)あわせて17章、700ページほどの大作なんだけど、今、第1章の「すべての始まり」を読み終えたところである。教祖様、スティーブ.ジョブス氏がアップルを追い出されるまでが描かれている。世界のパーソナルコンピューターを一変させたカリスマ的創業者は自分が巨大企業「ペプシ」からヘッドハンティングした人物ジョン.スカリーによって引導を渡されるのであった。アメリカ企業の実力主義は戦国時代の下剋上の世界のごとく徹底してますねえ。ノン.フィックションとして楽しめそうである。
いよいよ10月も過ぎ去ろうという時期で、11月も目の前だ。深まり行く秋はクライマックスに達し、冬の気配が近づいて来ているのである。ここ数日めっきり肌寒いので、半年ぶりに秋冬モノのジャケットを引っぱり出したところである。プロ野球日本シリーズも終わり、F-1グランプリも数日後の鈴鹿サーキットが最終戦だ。スポーツファンには寂しいオフシーズンの到来である。
さて、それでは前回の「台風編」の最後で、もうちょっと待ってくださいとお願いした「松茸編」を始めます。

「十月松茸」
松茸の本当の旬を考えたなら、十月という時期は遅いのかもしれない。マツタケ様は、だいたい9月の初旬からボチボチ姿を見せ始め、十月の声を聞く頃にはソロソロ姿を消して見えなくなる、という初秋の素材だからだ。市場に流通する期間が非常に短い。だからこそ季節感が増し、なおかつ人々から崇めたてられるのだろうが。ちなみに松茸をありがたがるのは日本人だけだそうで、海外の人にはその味がわからないらしい。いや、味がわからないというのは正確ではないな。海外の人は旨いと思わないらしい。
僕自身も松茸をおいしく食べた事は皆無に等しく、ただ吸い物や土瓶蒸しなどに申し訳程度に切れ端が浮いているのを、チビチビとすすった程度の経験しかなかった。
遥か昔、A LONG TIME AGO、日本の彼方で小学生の低学年だった頃、ばあちゃん家で巨大なチンポコにそっくりな形をした松茸の丸焼きを食わされた事が唯一の体験なのだ。
強烈なニオイを放ちながらお皿に横たわるその物体を、オヤジやオフクロやばあちゃん達は「うまい」「うまい」と食ってたが、僕と妹は、ちーとも「うまい」とは思わなかった。だいたいが子供の味覚の基準から判断するに、キノコの類は「おいしい」の範疇には属さないのである。たぶんあれは国産の松茸を炭火で丸焼きにしたもので、今から考えるとずいぶん贅沢なものをごちそうになった訳だ。で、この時、松茸をいただいたのが地元の秋祭の夜。十月初旬のことだったのだ。
さて、1997年10月。去年の話だが。 友人のYが仕事の関係で大阪から東京に出てきた。(ちなみにこのYは「台風編」に登場したYとは別人である。)せっかくの機会だからいっしょに飯でも食おうということになった。総武線の黄色い電車に乗って千葉までやって来た彼を駅でひろって、我々は「秋の関東味覚体験ツアー」を開始した。ドライバーが僕で、ナビゲーターはYである。始まりは環七通りのラーメン屋であった。このYとは二年前にも「味覚ツアー」をやったことがあるのだが、前回も最初は環七通りであった。奴はラーメンが好きなのである。国道14号を東に進み市川橋を渡って江戸川区に入った。旨い店が環七通りに集中しているというのは以前Yが読んだ雑誌に特集が載っていたそうで、この前はその記事をたよりに店を探してやっと見つけたあげく、まずいチャーシューメンを食わされた。旨い店なんてのは自分で見つけてこそ楽しいし愛着もわくものだと思うが、奴は例の特集にこだわりがあるらしい。たまたま最悪の店に入ってしまっただけだ、と言う。「環七のラーメン」は有名で店頭に行列ができるほどの名店はたしかに存在するらしい。千葉街道から環七に入って左折した。江戸川と荒川に挟まれ、東京湾に向かって南下する広い道路である。先には水族館で有名な葛西臨海公園がある。反対方向に走ると、大きな円を描いてグルリと東京23区を囲んだあげく、大井埠頭にある東京都中央卸売市場大田市場に至る。
僕自身は旨いラーメン屋と環七通りの相関関係についてはまったく信じていないが、しつこい性格のYは、スカをつかまされた二年前の経験にオトシマエをつけるため、「環七ラーメン神話」にこだわっているのだった。はるばる遠方から来た友が「行きたい」と言うのだから、あえて異論は唱えない賢明な性格のワタシであった。午後9時30分。道路の通行量は少なく、僕の車はスイスイ走ることができた。いくつかの交差点を通りすぎながら道路際に見受けられる店の灯りをチェックするY。臨海公園のすぐそばまで来て、窓から確認できたラーメン屋は二軒。
「行くぞ」Yがつぶやく。
「どこへ?」
「最初に見えた店へ入ろう」
「戻るんやな」
「オブ.コース.アイ.ドゥ」
Uターンだ。交差点でハンドルを切り替えして反対車線に入った。今来た道を引き返すのだ。店は決まった。後は飛び込むだけである。もはやYにとっては「旨い」ラーメンよりも「環七」ラーメンを食う事のほうが重大なのである。
15分後、僕とYはラーメン屋のテーブルをはさんでねぎラーメンのどんぶり前に向かい合っていた。

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と、ここまで書いたのが去年(平成十年)の十月です。中断した理由は終わらないうちに十一月になっちゃったからです。松茸編は十月中に完成してこそ意味があるのです。
で、ようやく続きを書く気になったのが今年(平成十一年)の九月もおしせまった二十九日なのです。この文章の書き出しの部分ではF-1グランプリの最終戦について、少しふれておりますが、結局ミカ.ハッキネンがチャンピオンになりました。

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さて、二度目の「環七」ラーメン味わいツアーの成果については「失望」に終わりました。で、この後、まずいラメーンの口直しに我々は再び千葉県に舞い戻り、14号から湾岸の357に入って幕張メッセの脇を横切り、00海岸にまで行ったのであった。012線の2914駅前にジャスコがあるのだが、道路を挟んで東側のビルの四階に僕の知っている割烹料理の店があるのだ。ここならば間違いはない。ただし、ラーメンはない。
和食だ。日本料理を食べるのだ。僕たちはジャスコの前の歩道の脇にカローラを路駐して、目的のビルに向かった。もうラーメンなんて忘れて秋の味覚を満喫しようではないか。せっかく大阪からやって来たのだから、うまいモン食わせてやるよ。と、僕はYに言い聞かせながらエレベーターに乗って四階のボタンをおした。我々を乗せた箱はゆっくりと上に引っ張りあげられて目的の階でドアが開いた。だが、入ろうとしたその場所に目指すべき店はなかった。「テナント募集」の白い貼り紙がむなしく揺れていたのであった。料理屋はしばらく来ないうちにつぶれていたのだ。なんということだ。わざわざ長距離を移動して00海岸まで来た理由はYの奴に美味しい松茸の土瓶蒸しと秋刀魚焼きを味わってもらうためだったのに。とくに土瓶蒸しについては「キノコの切れ端がプカプカ浮いただけで何が秋の味覚なんじゃ」と否定的に考えていた僕の勘違いを訂正させるに至った優れもので、是非とも紹介したかったのに。まったくもって残念である。
仕方がない。僕は気をとりなおして「別の店を探そう」とYを連れて建物の外に出た。
00海岸周辺は東京湾に面した埋め立て地で、人口の砂浜を背景に無数の団地が並んでいる新興住宅街である。駅周辺には居酒屋やカラオケボックス、ファミリーレストランなどが数多く見られる。もう車で移動するのにも疲れたので、残りの食事はここですることにした。「松茸料理を食おう」とYが言う。そうだろ、そうだろ食いたいだろ。秋の味覚の王様だろ。意見は一致した。どこかの居酒屋か、和食の店を探せばやってるだろう。高架をくぐって駅の北側まで歩き、付近にある店を探した。以前、僕はこの近くで働いていたことがあるので、地理にはくわしいし、知っている店もある。
ただひとつの心配は、この時、十月は中旬になっており、すでに松茸の旬は終わりの時期であることだった。最初に訪れた店ではすでにメニューになく、ここならあるだろうと願いを込めて訪れた二件目の店にもなく(けっこう高い店なのに)そうなるとかえって松茸が欲しくなり駅前周辺をウロウロ彷徨する僕等であった。メニューにこだわって、複数の店を探してまわるなんざ、いっぱしの食通みたいである。それもこれも期待外れの環七「まずいラーメン」が悪いのだ。
結果、居酒屋チェーンの「天狗」が、「秋のメニュー松茸土瓶蒸し380円」なるノボリを立てているのを発見し、僕とYは肩を叩きあった。ここの店、たしか以前は大きなレンタルビデオ屋だったはずなのだが、いつのまにかテナントが入れ変わっていたのだな。土瓶蒸しのノボリは戦国武将の本陣のごとく、店全体を囲むようにして何本も立てられており、秋風にあおられてバタバタと音をたてていた。
ただ、気になる点がひとつ。値段が安すぎる。松茸の産地は永谷園じゃあるまいな。
最近では技術も発達して食品の味や香りも合成できるらしいし。でも、ここ以外の店ではもはや松茸は存在しそうになかったし捜しまわるのにも疲れたので、結局入る事にした。
入り口で「いらっしゃいませ。何名さまですか?」と聞かれ「ふたり」と答え「ご案内いたします」と言われてテーブル席に連れていかれた。この間、45秒。
やっと腰を落ち着ける事のできた僕とYはビールを注文し、煙草に火をつけた。続いて「お食事のほうは?」と、やって来たお姐チャンに松茸の土瓶蒸し、秋刀魚焼き、鰹の土佐盛り、その他を注文した。
、、、さて。380円の「松茸土瓶蒸し」の感想ですが、旨かったです。正直なところ1000円以上する同じメニューを出す店のものと比べても遜色なかったです。土瓶の蓋を開けて中身も確認しましたが、ちゃんと松茸の破片も入っていました。青く小さなすだちを搾って蓋を閉め、御猪口に注いで熱い汁をグイッ。コイツはお買得な一品と言えよう。Yも同意見であった。環七のラーメンは不味いが、「天狗」の土瓶蒸しは旨い。
ピリッと辛味のきいた鰹も旨い。サッポロビール黒ラベル中瓶も旨い。秋の味覚を満喫、であった。

この後、我々がどうやって帰ったのかは、秘密なのだ。





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