(23日の朝日新聞日刊第30面より)
東京.銀座の名画座「並木座」が9月22日、閉館した。1953年に開館し、日本映画を低料金で上映してきたが、映画館の入るビルの家主の意向で終わりとなったそうだ。
僕はたったの一度、黒澤明の「赤ひげ」を観るために出かけていったことがある。JR山手線の有楽町駅で下車して、なれない道をウロウロしながらプランタンの裏側あたりを彷徨ったあげくに、ようやく小さくて目立たない「並木座」の看板を発見し、狭い館内で30年前の3時間の白黒映画を鑑賞したのであった。なんとも地味な思い出ではある。
まぁしかし、銀座に出かけることなんざ、これまでの人生でも片手の指でたりる出来事なので、この記事、少しばかり目にとまったのであった。
今年もあっと言う間の10月だ。夏の間、とくにまとまった文章を書くわけでもなく、サーバにある日記帳にチンタラチンタラ落書きしているうちに7月8月が過ぎ、9月、10月になってしまった。今年の夏は遊びのほう(釣りなんだけど)が、なんだか盛り上がってしまって、休日のたび房総半島近辺の海やら川やらをウロウロ探索したり、ルアーの本を買いこんで道具の研究してみたり、なかなか楽しかったですな。あと、高村薫の本にも熱中したな。「神の火」「照柿」「マークスの山」たて続けに読んでしまった。
〜「二件の被害者を司法解剖した正式の死体検案書には、どちらも成傷物体の形状については、こう書いてあります。『先端作用面が小さく、長さと重さがあり、表面が滑らかでない棒状の鈍器』。それだけです。警察が知っているのはそれだけです。」〜
これ、「マークス」からの引用なんだけど、いいでしょ、この高村節。失礼ながら女性の文章とは思えませんな。今、「レディ.ジョーカー(上)」を読んでます。彼女の文章は技術系、理数系、法医学の知識に強く、描写が恐ろしく緻密で正確であり、人物の造形が実在する人間を実際にそばで見て来たかのごとく生々しい。「照柿」「マークス」を読んだ後でテレビの刑事ドラマやサスペンス劇場なんて、アホらしくて見れませんぜ。あんなの幼稚園のお遊戯以下でっせ。これ、シャレになりませんが、夏に起こった長野の毒入りウーロン茶無差別殺人事件は高村薫の小説を参考にしたのではないかと言われているくらいなのだ。ある新聞社が社会面において小説と事件の類似点にふれ、作者としての意見を求めた記事を出していた。堂々の直木賞作家だが、そのリアリズムと圧倒的な筆力は純文学でも通用すると思う。秋の夜長に「読書の秋」を楽しむのなら、いっしょに「レディ.ジョーカー」を読みましょう。ともに語りあおうではないか。僕は高村薫ファンクラブ会員001号です。

さて、秋という季節はだいたいにおいて9月10月11月の三か月間が当てはまると思うが、僕がこの暦から連想する季節の風物はそれぞれ、台風、松茸、文化祭、である。
9月→台風、10月→松茸、11月→文化祭、ね。まあ連想ゲームみたいなものだと思ってください。で、今回「秋」を語るにあたって、台風と松茸を取り上げてみようと思うのだ。文化祭については以前「十一月の憂鬱」という雑文で書いちゃったのでナシね。あらかじめおことわりしておきますね。それでは「秋の風情」を始めます。

「九月台風」
秋の声とともにプロ野球のペナントレースも終盤になり、セ.リーグのほうは優勝の行方が見えてきた。どうやら横浜でキマリのようだ。リーグ制覇が現実ならば、それは前回の優勝からなんと38年ぶりということだ。38年。僕も、えー年した人間だが、その僕が生れる前にたったの一回優勝しただけ。それっきり。1970年代の大洋ホエールズの頃から考えても90年代の現在まで優勝戦線を争った事など、皆無に等しかったのではないだろうか。38年も寝てた連中がいきなり目を覚ました理由は何なのか僕にはわからない。ただ、佐々木投手のピッチングは目の保養になりました。こうなったら地元の横浜で胴上げを決めてください。楽しみにしております。
今年は夏の間にフィリピン沖の海水の温度が上がらなかったのが原因で、例年になく台風の発生が少ないらしいのだが、それでも9月に入ってから連続して日本列島に接近してきた二〜三個のおかげで、連日、雨、雨、雨。ベランダに洗いたてのシャツとパンツを干すたびに雨また雨。僕は洗濯物は太陽光線にさらさないと気が済まないタチで、少しくらいの曇り空でもエイヤッとばかり、つい外に出してしまうのだ。すると案の定、雨。
アリエールで洗ってすすぎを済ませ脱水して軒先にぶらさげて後は乾くのを待つばかりのシャツを雨が再び洗う。その繰り返し。まったくイマイマしい天気である。それにしても雨と台風は9月の専売特許とはいえ、部屋の中にまでカビが生えそうな湿気は勘弁してほしい。
さて、1990年9月。僕がまだ大阪府堺市に住んでいた頃の事。
何年に一回というような「大型で非常に強い」台風が紀伊半島に接近した。和歌山県南部への予想される上陸時間は午後7時。気象庁からは大雨、波浪、強風警報が発令され、テレビ.ラジオで湾岸地域、山間部などに強い警戒が呼びかけられた。大阪府和歌山県三重県など紀伊半島に位置する地域には緊張感が走り、接近する台風にそなえる措置がとられつつあった。大阪市の中心部では夕方になった時点でシャッターを下ろして閉店する商店街が目立ち始め、遠隔地から通勤するサラリーマンやOL達が帰りの脚である電車の動いているうちにと、早めに帰宅する光景も見られた。僕の職場も午後5時の時点で終業となった。帰宅途中、南海電車のホームの隅で上を見上げると小粒の雨が斜めに落ちてきて、スラックスの裾を濡らした。分厚い雲の印象はなく、空は明るい灰色をしていたが空気の流れが早く、荒れ始めた天候を感じさせた。風の音が強い。
5分ほど待った後、5時25分発の河内長野行き各駅停車に乗った。車内は勤め帰りのサラリーマン、OL、学生、その他もろもろ、とにかく混雑していた。僕の住む団地は三つ目の駅で下りて線路沿いの道を歩き、約15分くらいの所にある。駅からの帰り道の途中でまだ開いていた酒井啓三酒店で酒と徳利を買い込んだ。外では雨の密度がだんだん濃厚になってきて、足元のアスファルトの表面で水滴が大きく弾け始めた。靴下の中までビショビショだ。500円のビニール傘が風にあおられて役にたたない。それでも僕は懸命に傘で雨を避けながら、左手に酒屋のビニール袋を持ち、自分の部屋に向かって走っていった。四号棟の階段を駆け上り、傘をたたんで廊下に置き、08号の扉に鍵を差し込む。扉を開けて靴を脱いで靴下脱いでズボンを脱いでシャツを脱ぎ、キッチンに行って買ったばかりの徳利を水道の水で洗って中に酒をそそぎ、薄くホコリのたまったガスレンジに鍋を置き、水をはって徳利を浸し、火をつける。チチチチチ、、、ボッ!
6時45分。
僕はニュース番組で台風上陸の映像を見ながら「菊水の辛口」を熱燗にして一杯やっていた。自宅で日本酒を燗するなんざ普段ならやらない事なのだが、この日は違った。窓の外の大自然の脅威を肌で感じながらひとりで酒に酔っぱらいたい気分だったのだ。画面の中では街中や海岸沿いなどに次々と画面が飛び、雨と風、海水と川水に押し流される社会の様子が映し出されていた。僕はひとりで山小屋にこもって囲炉裏の前で酒を呑みながら風の音を聞いている隠者の姿を想像しつつ自己の世界にひたっていた。もしかしたらニヤニヤ笑っていたかもしれない。(変人ですな)
うーむ、しかし、いい夜になりそうだ。今夜は孤独を楽しんでやる、、、。
と、そのとき、外で玄関のドアをがんがん叩く奴がいた。せっかくの気分が台無しである。古い団地の狭い通路、鉄製の扉は「ガンガン」と高音を響かせる。そしてあんな扉の叩き方をする人間はひとりしかいない。Yである。Yに違いない。返事を待つまでもなく、鍵のかかっていない鉄の扉がギシギシと音をたてながら開かれた。出た、Y。白いスニーカーを放り出し、奴はズカズカと室内に乱入してきた。まことにズーズーしい態度である。まったく迷惑きわまりない。開口一番、「なに酒呑んでんねん」
「いや、今日の気分で...」僕は奈良の観光地で自作した手製のオチョコで酒をすすりながら答えた。
「おいっ、台風を見に行くぞ!」
「えっ?」
「車で台風を見に行くぞ。台風クラブや」
「???....」
Yの言うことにゃ、こんなオモロイ時に部屋でじっとしていることはない。せっかく滅多にないような巨大台風が近くまで来たんだから見学に出かけない手はない。なにノンビリ構えていやがるんじゃ、この無精者!と、いう事らしい。
外にはEのスカイラインが待たせてあるそうだ。この時点で僕の「孤独な夜を巨大台風と共に酒飲んでハードボイルドに過ごそう計画」はコッパ微塵コに破壊されたのである。
飲みかけの熱い徳利をそのままほったらかして僕は着替えた。横でYが「はやくしろ」と急かす。奴が飛び込んで来てからわずか五分もたたないうちに再び嵐の外にかり出されてしまった。団地の駐車場にはなるほどスカイラインが待っていた。我々の姿が現われるとフロントライトが点灯された。降り落ちる雨の滴が照らされて白く光った。Yは助手席に、僕は後部席に乗り込んだ。「こんばんわ」と、運転席のEが振り向いて声をかけてきた。「台風ツアーにようこそ」
男三人が乗用車に乗って嵐の紀伊半島を台風の中心に向かって南下する「台風ツアー」が始まった。どんなテーマパークでも体験できない貴重なアトラクションである。
(被害にあわれたみなさん、すみません)
午後七時のこの時点で台風は太平洋から和歌山県南部に上陸。そのまま紀伊半島を縦断する進路をとりつつあった。僕らの現在地は大阪府堺市金岡町。北上する台風と遭遇するためには当然、南の方向に自動車を走らせる必要がある。でも、台風とは気象現象のことを言うのであって当然実体などないものだから、何を目標にすればいいのかが問題になってくる。Yが提案したのが「台風の目」であった。渦巻きの中心部は穴が開いていて雲がないので、その部分が来たときだけは空が晴れる、というやつである。つまり嵐の中を突っ切って中心部、「台風の目」までたどり着き、夜空の星を眺めようというのである。無茶苦茶な提案だが、結末はロマンチックだなぁ。しかし、台風の進路を予測してその中心部の真下に運良く居合わせることなんざ、不可能に近い。気象情報から分析すると今から1〜2時間のうちに大阪府、奈良県、三重県のうちのどこかを通過することは間違いないのだが。僕たちは交通の便も考慮に入れながら狙いをしぼって「台風の目」を待ち構える事にした。決定した目的地はピチピチビーチ。大阪府の南端、現在、関西国際空港のある辺り、にあった人工の海水浴場である。このとき、泉佐野市まで走った道筋については正確な記憶がないのだが、大阪府の道路地図を見ながら考えるには、おそらく国道310号で河内長野市まで南下したのち、右折して170号を辿りながら、山間部を通って和泉市、岸和田市、貝塚市を突き抜けて泉佐野の湾岸道路に出た可能性が高い。僕らはEの運転するスカイラインの中で外の景色を眺めながら騒ぎまくっていたのだが、山あいの道を通るとき(和泉市から岸和田市にかけてだと思う)、強風にあおられて千切られた木々の無数の葉っぱがアスファルトの路面を埋め尽くしているのに驚かされたのを覚えている。長さ2メートル、太さ15センチはあるかというような大きな枝が折れて道をふさいでいたのも強烈だった。風速何メートルあったのか知らないが、運転しているEがときどき車体が流されるのを体感したらしいから、相当なものであったことは間違いない。場合によっては土砂崩れに巻き込まれていても不思議ではない天候だったと思う。大型の台風にしては雨の量が少なかったから、たまたま運良くすり抜けられただけなのかもしれない。途中、市街地に出た所でEの通うスポーツクラブのテニスコートのエアドーム(サーカスのテントみたいな建物)があるのだが、ライトアップされて夜景の中で白く浮き上がったその屋根は、生き物みたいにブルブル震えていた。電線が揺れ、ベニヤ板の看板が道路を転がる。スカイラインは大阪臨海線29号に出て左折した。大阪湾は目の前である。あとは海岸まで行って「台風の目」が来るのを待つだけだ。Eは海沿いの狭い道を走って堤防を超える道を探し、やがて見つけるとハンドルをきって坂を上って、スカイラインを浜に乗り入れた。そこはかなり広い場所で波打ち際まではいくらか距離があった。海が見渡せる場所でいったん車を停めて、我々は見た。真っ黒な海を。大阪湾を。
普段なら沖をいく船の灯りが見えるはずなのだが今夜はまったく見えない。それどころか星ひとつないものだから空と海の境界線(そりゃ水平線じゃ)すら見えない。視界は180度、真っ黒。漆黒の闇。ただ荒れ狂う波と風の怒号が聞こえてくるだけ。
どどどどどどどどどどおー、どどどどどー。
びよおおおおー、びよおおおおおー。
怖い。これは怖い。すげえ迫力。あの中に巻き込まれたら間違いなく死ぬな。ところがYの馬鹿は「もっと海の近くを走ろう」などと言いやがった。いくらなんでも危険だと思った僕は強力に反対した。車が浜で立ち往生したらどうするつもりやねん、と。
それでもYはしつこく「大丈夫や大丈夫や」などと根拠のない自信で海に近づく事を主張した。きっとこんな奴に限って戦争に行っても敵の弾に当たらないのに違いない。ドライバーのEはどっちつかずの姿勢であった。
「別に波打ち際を走ってもいいし、やめてもいい」
僕とYは助手席のシートをはさんで後と前で言い合っていた。横から叩き付けてくる海水の混じった雨が窓で弾けてバタバタ音をたてている。こんな天候で海になんか近づけるもんか。
と、そのとき30メートルほど彼方の海岸線を北から南へと一筋のヘッドライトが横切って行くのが見えた。波と風の音にかき消されてエンジン音は聞こえないが、自動車に間違いない。速度を落として(速く走れないだろうが)ゆっくりと暗闇の中を移動して行く。我々以外にも馬鹿がいたのである。とんでもない馬鹿が。
「見ろ。平気だろうが。オレらも行こうぜ」
「ありやー、4WDや」
「うー、平気だと思うがなぁ」
「砂浜やで。この車じゃ晴れてても脚とられるわ」
「、、、、」
それでもYは納得していない様子だった。Eも僕がその気にさえなれば海のそばまで乗り入れてもよさそうな態度であった。僕はノリの悪い心配症の根性なしみたいに思われて、なんだか納得いかなかった。
「せめて歩いてでも」言いながらYは足元のビニール傘に手をのばした。波打ち際まで30〜40メートル。たいした距離ではない。もう僕は何も言わなかった。Yは助手席のドアを開いて外に出た。車の中に潮の香りが漂ってくる。Yの身体が風下に向かってよろめくのが見える。風圧を受けてまともに前に歩けないのだ。それでも奴は傘を拡げようとした。
ビュン!と、一瞬にして傘は吹き飛ばされ、視界の遥か彼方に消えた。
びよおおおおおおおおー、どどどどどどどどどー、ごごごごごごごごごおー。
びよおおおおおー、びよおおおおー、ぶわあああー、どわあああー、ずびびびびびー。
お天気の神様はお怒りだ。ずぶ濡れのYはすぐに帰ってきた。
「台風の目」が我々の頭上を通過することはなく、ひたすら嵐の晩だった。

と、ここまで書いてるうちにプロ野球はセ.パそれぞれ横浜と西武の優勝が決定し、現在日本シリーズの真っ最中である。10月19日、第二戦が終了して横浜の二連勝だ。
話の導入部が9月23日の日付になっているから、おおかた一ヵ月かかっているのである。なんという遅筆。「秋の風情」を書き終わるうちに季節が冬になってしまうかもしれないから、とりあえず「台風編」のみアップします。「松茸編」はもうちょっとお待ちください。

続く


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