十一月の憂鬱

学園祭のシーズンだ。
最近はもう大学のキャンパスには寄り付いてはいないけれど、いまの時期になるとなんとなくカラダ中がウズウズしてくるのを抑えられない。コンサート、映画、模擬店、発表会、、、。うーん、なつかしいなぁ。
ところで模擬店には思い出がある。1985年、阪神タイガースが優勝した年の学園祭。
僕たち「三宅ゼミ」有志は、抽選会で「学務課前広場」という絶好の立地を引き当てた。現在の東京都内の商圏で例えるならば、渋谷のスクランブル交差点のマツモトキヨシに匹敵するほどの、女子高生女子大生がウヨウヨワサワサ入れ替わり立ち替わりよりどりみどり、といった一等地である。
ここで商売に失敗したら、それはよっぽどヤル気のないボンクラか、商才のないゴクツブシか、とにかく「なにわの商人」として恥ずかしい烙印を押されてしまう、そういった場所なのだ。模擬店を開催するにあたって、我々は喜びとともに強いプレッシャーにさいなまれたのである。
いろいろな意見が検討されたあげく、「おにぎり屋」をやることになった。ローソンやセブンイレブンにならって、おにぎり二個パック200円。みんなが下宿や自宅から持ちよった炊飯器が四台。文化会や体育会系のサークルではないのでクラブハウスがなく、学内には電気コンセントを使わせてくれる所がなくて、おにぎり工場は近所に下宿している山田の部屋が使われた。幸いヤツは2DKと、比較的広いアパートに住んでいたのでゼミの連中十数人が乗り込んで騒いでも大丈夫なだけのスペースがあった。
この年、11月7日(木)から10日(日)までの四日間、山田の部屋は戦場となったのである。
さて、単におにぎりといっても奥が深い。(わけないか?)
とにかく男子学生にとっては、おにぎりひとつにぎるのにも、大変な努力が必要であった。まず、塩のかげんがわからない。それに、奇麗な三角形ににぎれない。さらには、中に入れる具を、どのように仕込んでいいのかわからない。笑い事ではなく、本当にできない。同じ「三宅ゼミ」の女の子たちが軽々と一個のおむすびを完成させる間に、男どもはメシが手のひらにベタベタくっついてちっとも固まらないで、手アカで汚しているのである。女まかせにしないのは最初からの約束事だったので(うざったい約束だが)普段は絶対に自炊なんてしない男たちも、このときばかりは協力した。
でも、男がにぎったおむすびよりも女がにぎったおむすびの方が、なんとなくありがたいような気がするのも否定できなかった。事実、身内が食べるときには、「男おにぎり」が敬遠されていたのは言うまでもない。
大きな声では言えないが僕らの間では、ゆう子チャンの作ったおにぎりが一番人気があった。「ゆう子おにぎり」は工場(山田のアパート)から学内の販売店「おにぎり屋」に運ばれるまでの道程で、三宅ゼミの男たちがかなりの数を購入して食べていたのである。



金曜日。
夜はそのまま山田の部屋で麻雀した。山田、吉本、岩城、僕。
四人でコタツを囲みながら、みんな金のないことを知っているから、今から思えば泣きたくなるような低いレートの勝負だった。でもあの頃、男同士で馬鹿話をしながら卓の上で牌を打っているときが一番楽しかった。
炊事用具の散乱した部屋の中、売れ残りのおにぎりとローソンのウーロン茶が晩飯で、他に口にできるモノといえば、煙草だけ。
三局目の、東場が終わって南場に突入した頃、山田が言いだした。
「ゆう子ちゃんの噂を知っているか?」
打牌しながら吉本が答える。
「、、、村田とやっちまった話か?」
「ああ」
そのとき、僕は手牌が全然そろわずに、国士ねらいに走ろうかと考えていた。『北』の暗刻と『南』の対子。あとも字牌と一九牌ばかり。
「けっこう広まっているぞ。その話」言いながら岩城が『南』を捨てた。
「ポン」
僕がないて、『白』を捨てる。
「ゆう子ちゃんには、ちゃんと男がいるのになぁ、、、」山田も彼女が好きなんだ。
「村田のヤツ、わかってるくせに」
わかっていながら突撃するところがエライ。村田の奴は男だ。男の中の男だ。
友達同士の家族麻雀だから、どうしたって雑談が多くなる(それが楽しいんだが)。
ここまでの半荘二回で、僕の成績はドベと二位。トータルではマイナスだ。
続けてトップをとったのが吉本。今日はヒキがいいらしく、テンパるのが早い。ツキの流れを変えるためには、この馬鹿にキツイ一発をあびせなければならない。
「リーチ!」
吉本が千点棒を卓上に投げ捨てながら大きな声で宣言した。本当にうっとおしい奴である。そして僕の名前を呼んだ。
「藤田!」
「なんだ?
ゆう子ちゃんの話か?だったら俺は何にも知らないぞ」
「違うよ。今日、おにぎりは何個売れたんや」
ほう。
吉本にしては意外な質問である。
「百二十九個」僕が答えた。
「売れとるな」
「売れとる。ものすごく売れとる」予想以上に売れすぎて驚いている。
「一個200円だから、百二十九個で25800円か」ヤツの計算ははやい。
「もうかるな。どのくらい儲かりそうなんや」
学園祭の模擬店だ。言ってみれば「遊び」だ。
「金儲けをしてやる」なんて気持ちもないことはないが、現実に万単位の金がころがり込んで来てしまうと、考えてしまう。たしかに、ゼミのみんなで企画運営している店だけど、金をにぎっているのは僕なのだ。
「利益が出たら、学祭コンパの会費にまわす。最初からの約束や」
下家の山田が『中』を捨てた。僕はすかさずポンした。
場に『中』の暗刻をさらす。
「ツッぱるな。テンパったか?」岩城が聞いてきた。
「お答えできません」
煙草の煙とFM大阪のBGM。麻雀牌と四人の男。午前二時。夜はまだまだ長い。
「ゆう子ちゃんはいい女だなぁ」と、岩城がポツリとこぼした。
(おまえも好きなのか)
少しくらいのスキャンダルがあっても、モテる女はモテるのである。
僕は吉本から『字一色』をアガった。

土曜日。
この日、大学構内はオールナイトで学生たちに解放される。目玉は101大教室で開催されるロックコンサート。10以上のバンドが次々に登場する。
その他にも映画、ディスコ、飲み会、、、。学内は「大学」とは名ばかり。退廃的なムードで、一般社会からは隔離されたような無法地帯と化す。(後年、周辺住民からの苦情でオールナイトは禁止されたらしい)
午前0時。僕は303教室で、映画を見ていた。「あしたのジョー」「太陽を盗んだ男」「鬼畜」「カサブランカ」「禁じられた遊び」「トラック野郎」、、、終了は午前5時。
「太陽を盗んだ男」はおもしろかった。主人公の沢田研二は高校の物理の教師。
彼は発電所からプルトニュウムを盗んで原子爆弾を造ってしまう。そして世間を相手に爆弾を爆発させると脅迫を始める。それを追うのは菅原文太が演じる鬼警部。
ラスト、沢田は時限装置のついた原爆を抱えたまま自分ごと東京のど真ん中で吹っ飛んでしまうのである。
この映画で、主人公の高校教師の本当の目的は、世間を脅迫することではなくて原爆を造ることにある。だから実際に爆弾が完成してしまうと、彼はそれからどうしていいかわからずに迷走したあげく、最後には一千万人を道連れにして破滅してしまうのである。
僕も爆弾を制作するための知識と材料があれば、きっと造ってみたくなるだろうな。知識はそれを応用するために吸収するものであり、そうでなければただの絵に描いたモチにすぎないのである。あの高校のセンセイには共感できるな。すこし危ないかな。
(そうだ、爆弾で思い出した。藤原伊織の「テロリストのパラソル」を読みましょう。あの小説に出てくる男たちはかなりヘンだが、たまらなく魅力的なんである)
「カサブランカ」が終わったあたりでウトウトしていたら、背中を叩く奴がいる。原田だった。学生会館で盛り上がってるから、おまえも来いと言う。午後1時30分。淀んだ空気の303教室から外に出ると、冷気で眠気がいっぺんに覚めた。深呼吸すると肺の中まで冷たい空気が入ってくるのがハッキリとわかった。
学生会館は文化系のサークルのクラブハウスが集まった四階建ての建物だ。「三宅ゼミ」には「書道研究会」の連中が5〜6人いて、原田もそのなかのひとりなのだ。
行ってみると、吉本と山田もいた。「六甲おろし」の大合唱だ。テレビには日本シリーズのビデオが映し出されている。阪神タイガース優勝の余韻。奴らは、まだまだひたっていたかったのだ。部室の中は缶ビールと日本酒とツマミの残骸でグチャグチャである。
「バースの本塁打日本記録のかかった試合が巨人戦だったのは不幸だった」
「いや、江川は勝負していた」
「しかし、最後の最後は四球で逃げた」
「巨人は外国人に王の55本を抜かせたくなかったんだ」
「落合がセ.リーグにいたら、どっちが三冠王をとったろう?」
「西武に勝った。この強さは本物だ」
「日本シリーズで広岡にトドメをさした長崎の満塁ホームラン、俺は一生忘れん」
「中西と山本の二枚のストッパーがキーポイントだ。打線ばかりに注目するのは素人だ」
「吉田監督の継投策がうまい」
「ピッチャーのゲイルがいい。あの身長からのストレートの威力は番場蛮のハイ.ジャンプ魔球に匹敵する」
僕も奴らといっしょになってベロンベロンになりながら、意識不明になるまで飲んだ。
窓際の壁には毛筆で書かれた原田の作品がでっかく貼り出されて

と。

日曜日。
学園祭は土曜日の夜がピークである。日曜日の夜明けとともに学内には膨大なゴミが散乱している光景が露になって、祭の後のけだるさを痛感させられる。
とはいえ、まだ最終日の行事が残されているのだ。
午前中、模擬店でしばらくの間、ゆう子ちゃんとふたりきりになった。
僕は完全な二日酔いで、ザコ寝していた学生会館から直接、出てきたもんだから、よっぽどヒドイ顔をしていたのだろう。
「藤田君、顔を洗って髭をそりなさい」
笑いながら母親みたいな言い方をされてしまった。こんなセリフをさりげなく言い切る事のできる女の子は、なかなかいないものだ。モテるのも道理である。
顔もいいし、脚もいい。
「頭、痛て、、」
僕はヨロヨロとそばにあったベンチにへたりこんだ。まだ朝が早く、他には誰も来ていない。(出来すぎな場面だ)
彼女はインスタントの熱いコーヒーを入れてくれた。ふたりで並んでベンチに座って、ゴミの散乱した学務課前広場を眺めながら、ホットなモーニング.コーヒー。
せっかくだからいただいたけど、後で全部吐き出してしまった。(もったいない)
「三宅ゼミおにぎり屋」は、大成功のうちに四日間の営業を終えようとし ている。
初日、百十五個、二日目、百二十九個、三日目、百八十五個、、、最終日も、おむすびは飛ぶように売れ続けた。
午後5時、学務課前広場でのフェスティバル.ファィヤー(キャンプ.ファイヤーみたいなもの)を最後に学園祭は終了した。みんなが持ちよったゴミが火花をあげて、十一月の夜空を焦がしている。
売れたおむすびは全部で六百一個。金額にして12万200円だった。材料費は約4万円だったから、おおよそ8万の利益額である。
たったの四日間で8万円。簡単すぎてアホらしいくらいである。
夜、山田の部屋で最後の集計を終えて、残った金を懐に、僕は家路についた。
「八万か、、、。デカイな。」
どんな場合にしろ、金があるって事はいいことだ。知らずと気持ちがはずむ。
商店街のアーケードを抜けて駅前にたどり着くと、視界の片隅に派手なネオンがちらついた。
そうだ。
パチンコするか。


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