究極のメインテナンスとは
先日夢を見ました。私はどこかの会場で講演をしています。最後の質疑応答で、ある受講生がこんな質問をしました。
「先生は、いつも講演で一生患者さんを診続けると言ってこられたのに、今回の引退は無責任ではないですか?」
質問者は微笑んでいましたから、それほどいやな夢ではなかったのですが、やはりこれはしっかり説明しなければ…と、このページを追加することにしました。
私は、過去十数年にわたり様々な機会を通してメインテナンスの大切さを訴えてきました。そこで必ず言ってきた言葉があります。継続したメインテナンスを通して「患者さんを一生診る、いやす、いたわる、ささえる」それこそがケア型医療であり、歯科疾患というのはそういう疾患なのです…。
自分の臨床をふり返ってみて、それは絶対に間違っていないといまでも思っているのですが…。
しかし、年を重ねるにつれ、自分の中である疑問が膨らんでいきました。「患者さんを一生診る」の一生って、いったい誰の一生なんだろう。
そしてふと気付いたのです。「一生診る」の一生は、患者さんの一生であって歯科医の一生ではない。いずれ自分に限界が来た時、どうするのか?その瞬間から「患者さんを一生お世話」できなくなる、そして、その瞬間はもしかしたら明日突然に訪れるかもしれない。その結果、患者さんやスタッフに多大なご迷惑をかけることになる…。妻にも大きな心労をかけることになる…。
私の場合、息子が歯科医を受け継がないことが確定したので、それなら自分の診療スタイルを踏襲してくれる優秀な歯科医を全力で見つけ、育て、ゆだねることが急務と考えました。加齢のせいで、たびたび起こり始めた体調不良や、突然末期がんを宣告されて、若くして逝った妹のことが、私の考えを後押ししました。
以来、周到な準備をして現在に至った次第です。(実は思ったよりも早く私の目にかなった医科歯科大学の後輩と出会えたので、少し継承の時期が早くなりましたが。)
身勝手に聞こえるので、公の席では誰にも言えませんが、これぞ「究極のメインテナンス」だと密かに思っています。
・・・とはいえ、実は私は元来「いさぎよい」人間ではなく、ちょっとしたことでも気になって、ある意味おびえながら人生を送ってきました。ただ、人一倍責任感が強いことと、人一倍意気地がないことが今回の医院継承の本当の理由です。
様々な事情を抱えておられる先生たちに、私の考えを押し付けることは到底出来ませんが、こんな歯科医人生の組み立て方もあるということで、ご理解いただければ幸いです。
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