ケア型医療ー診療室発


 何年も前のことになりますが、久しぶりに会った幼なじみの親友が、お酒の席で突然「子供の頃にクラスメートのいじめに加担したことを今も悔やんでいる」と述懐したことがありました。現在外科医として患者さんの信頼を一身に集める彼の口から、思いがけなく発せられたそんな言葉に、酔いも手伝ってか思わず目頭が熱くなったことを今でもよくおぼえています。そのあと、彼は弱者としての患者さんを思いやる気持ちの大切さを静かに語り続けました。

 それを聞きなら、私は若き日の自分がどれだけ多くの言葉で患者さんを傷つけてきたかを、彼の何倍もの後悔とともに思い起こしていました。

 様々な面で圧倒的に未熟だった私は、専門家の優位性を強い言葉の中に漂わせ、予測できない見通しを科学という名の ( よろい ) の中に無理やり封じ込め、必死で強がって生きていました。声高な私の言葉は、時には鋭い ( やいば ) となって患者さんの心を突き刺し、それがわかっていても、私は一方的に熱く語ることを止めようとはしませんでした。確かに当時の私の中には、臆病を情熱で覆い隠そうとする自分がいました。

 きっと私は不安だったのだと思います。歯科臨床のよりどころを見つけ出せないまま患者さんと対峙することが怖かったのだと思います。一般医科のように、私たちの目標を「患者の命を救うこと」と言い切れれば、それはそれで ( いさぎよ ) いのですが、日常臨床が直接「命」と結びつかない歯科においては、事はそう簡単にいきません。歯科で一番大切なことを、ある人は「技術」と言い、ある人は「予防」と言い、またある人は「患者の自立」と言います。

 当時の私は唯一目に見える「技術」にすがることで、自己喪失の不安から逃れようとしました。しかし、技術を発揮するには患者さんの深い理解が不可欠で、一刻も早く成果を得ようと焦れば焦るほど、私の言葉は、時に意図的に患者さんの誇りを傷つけ、時に卑屈にへり下り、時にむなしく宙を漂い、それを取りつくろうための笑顔は不自然にこわばっていきました。

 いま振り返っても、それはつらいつらい日々でした。もし、当時教育のなかに「ケア」の視点、「患者さんによりそう」視点、「患者さんと長く付き合う」という視点、つまりLife(生命)の医療だけでなく、もうひとつのLife(生活)の医療という視点があったら、私はもう少しゆっくりと穏やかに成熟できたかもしれません。歯科疾患とはもともとそういうたぐいの病気なのです。大学でいまもなお技術偏重の教育をかいま見るにつけ、私はあの苦しかった日々の記憶を若い臨床医に重ね合わせてしまいます。

 当院でケア型医療が定着するにつれ、私の口調は徐々に穏やかになり、患者さんの笑顔に接する機会も多くなりました。ケアで救われたのは、実は患者さんではなく自分自身だったのかもしれません。