研究内容
政治が速度を獲得するとき・国家は、どんな言語で思考・命令・情報伝達をするのか (日仏歴史学会会報 第18号所収予定) 瓜生洋一
はじめに
私は、昨年3月末ー本年3月末まで、大学の長期在外研究員として、パリに滞在した。私の全体テーマは、「フランス革命期のコミュニケーションネットワーク」であり、これまで、ドーフィネ地方における民衆のコミュニケーションネットワークを追跡してきた。今回は、他方の極である政治の側のコミュニケーションネットワーク、具体的には、年来、心の奥底に引っかかっていたシャップ(Claude
Chappe 1763-1805)の信号機について資料を収集し、分析することが目的であった。
1 政治が速度を獲得するとき
1793年7月12日、パリ郊外メニルモンタン一エクアン一サンマルタン=デュ=テルトル間(およそ35km)で、ブリュロン(サルト県)出身の発明家、シャップの発明した眼視信号機telegraphe
optique(あるいは空中伝達信号機telegraphe aerienともいう)の公式実験がおこなわれた。
この信号機は、地上7mの梯子の上に、一本の主軸regulateurとその両端に二本の副木indicateursが取り付けられている。主軸も二本の副木も、各々、独立して回転するようにできており、主軸と副木が形成する角度によって、96通りの姿を形成する。
公式実験は、大いなる成功を収めた。公教育委員会委員ラカナルの報告に基づき、この信号機は、国民公会において正式に採用され、公安委員会の提案により、パリ一リール間に信号機線が敷設されることになった。財政難の中、シャップとその兄弟の尽力により、1794年夏、パリーリール間信号機線は、開通した。テルミドールクーデタ直後の8月17日、不安と混乱の極みにあった国民公会に、この信号機によって、共和国軍によるルケノワ奪回の報が伝えられた。シャップの信号機は、劇的な効果をもたらし、一気に政治の神経系として公認されることになる。総裁政府期には、パリ一リール一ダンケルク、パリ一ストラスブール一ユナング、パリ一サンマロ一ブレスト間に信号幹線が敷設された。見晴らしのよい高地に信号所が設けられ、信号所と信号所の間の平均距離は、およそ10 kmである。信号所には、信号機を操る係員と隣の信号機の姿を望遠鏡で眼視して記録する係員が詰め、信号所から信号所へ、最終的にパリへ、次々と信号を伝達するのである。
ナポレオン=ボナパルトは、信号機の重要性を認識していたが、軍事利用に限ろうとした。信号機線は、ナポレオンの軍事戦略に従属する神経系として、国内、国外へと敷設された。信号機は、東へ西へ、さらにアルプスを越えて敷設されると同時に、作戦が変更されると廃棄された。シャップは、このような信号機利用には不満で、むしろ、政治、行政、商業などの情報伝達網としての利用をつよく要請した。しかし、ナポレオンは、これを無視した。第一帝政期には、パリ一リール一アムステルダム、パリ一ブレスト、パリ一メッス一ストラスブール、パリ一リヨン一ヴェニスの4信号幹線およびその他の臨時支線が敷設された。その速度は、理想的な気象条件では、末端からパリまで、1記号は、20分ほどで伝達される。郵便馬車を使った情報伝達が、幾日もかかることに比べれば、圧倒的な時間の短縮であった。政治が速度を獲得したのである。
復古王政期になると、国境を越えた信号線は、廃止され(スペイン方面、アルジェリアを除く)、国内の信号幹線整備に重点が移る。パリ一リール一カレー、パリ一ブレスト、パリ一ストラスブール、パリ一リヨン一トゥーロン、パリ一ボルドー一バイヨンヌ信号幹線が敷設された。7月王政期には、アヴィニヨンで、パリ一トゥーロン線から分岐してナルボンヌ一トゥルーズ一ボルドー線が加わる。この結果、信号機幹線の総延長は、5000kmを越え、途中の信号所stationは、600近くを数えた。第二帝政期初頭、電信が導入され、ようやく、シャップの信号機の利用は、終りを迎えた。
過剰な情熱といってもいいような志向が、なぜ積み重ねられたのか。国家の神経系としての信号機と国家形成との間には、ただならぬ関係があるように思われる。また、ナポレオン期から始まるシャップ信号機事業の独占は、体制の変動にも関わらず、その後も一貫していた。政治が速度を獲得すると、国家の有り様をも規定することになると思われる。
2 国家は、どんな言語で思考・命令・情報伝達をするのか
政治が速度を獲得するには、ハードウェアとしての信号機だけでは十分ではなかった。なによりも、眼視信号の伝達は、気象条件に左右されるから、短時間のうちに多くの情報を伝達するために、言語を簡略化することが要請される。この要請は、信号機言語を暗号化する契機となる。また、啓蒙期から革命期にかけて、普遍言語への志向は、並外れたものであった。近代国家にとって、国家が使用する言語の合理性は、必須不可欠のものであったと思われる。この場合、ライプニッツが構想した「辞書を用いずとも理解可能な」普遍言語の代わりに、数少ない記号の組み合わせ=暗号を使用することによって限りなく普遍言語に近づいているという理屈になる。さらに、眼視信号機は、軍事をはじめとする国家機密の伝達に使用されため、暗号化は、必至であった。
シャップは、ソフトウェアとしての信号機言語=暗号の開発に心血を注いだ。このシャップの信号機において使用された暗号を、政治の神経系を通過する言語、仮に政治神経系内言語と呼ぶことにする。語彙は、莫大なものであるが、国家のおかれた状況・対応・情報伝達の言語は、厳選されなければならない。この語彙が、国家神経系内言語を構成すると仮定すれば、各時代の政治を特徴づける思考様式を確定できるであろう。
シャップは、試行錯誤をくり返し、ついに、信号機言語を4桁数字の暗号として確立した。92通りの主軸・副木の姿を順次92個の数字に置き換える。その一方で、92行からなる92ページの暗号簿を作成した。92個の数字を2桁ずつ組み合わせ、最初の2桁は、ページを表し、後の二桁は、該当ページの行数を示す。この結果、92×92=8464通りの4桁数字の組み合わせ=信号機の姿態が可能となり、この4桁数字に、それぞれ単語(普通・固有名詞、形容詞、副詞など)、動詞活用一覧などを割り振ることになる。この基本コンセプトは、電信が導入された後も、少なくとも19世紀末まで、連続している。
おわりに
デュマの『モンテクリスト伯』、ユゴーの詩作、その他19世紀の文豪たちは、好んでこの信号機を描き出している。ある時は、恐るべき復讐の武器として、ある時は、巨大な昆虫にも似た不気味な姿として。私は、政治のコミュニケーションネットワーク形成史と近代国家形成史との相即関係でとらえることが可能になるのではないか、と、心密かに期待しているところである。
(補:インターネット上で、シャップの信号機について次のような代表的なサイトがある)
http://www.ec-lyon.fr/tourisme/Chappe/index.html
http://pero.club-internet.fr/jcb57/chappe/assoc.html