東京で一番売れているレコード

「東京で1番売れているレコード」はシンコー・ミュージック(新興楽譜出版)から出版されていた音楽雑誌「ミュージック・ライフ」誌に毎月掲載されていたランキングです。「ミュージック・ライフ」は、新興楽譜オーナーの息子で当時大学生だった草野昌一氏によって1951年8月(9月号)に創刊されたポピュラー音楽専門誌です。この草野昌一氏こそ後の名訳詞家漣健児なのですが、漣氏については多くの出版物やサイトがありますのでここではこれ以上ふれません。

「東京で1番売れているレコード」が初めて「ミュージック・ライフ」に掲載されたのは1958年7月号、「ポピュラー・ミュージック・ベスト・セーリング・レコード」というタイトルで雑誌のまん中あたり、なんの前触れもなく、見開き2ページで「5月中に最も売れ行きのよかったポピュラー・レコード」外国盤21枚、国内盤18枚のランキングが登場します。

ランキングのポイントは売り上げ実数をそのままカウントするのではなく(おそらく当時各レコード会社はそういうものを公表していなかった)、全国12のレコード店がそれぞれ売り上げ1位10点、10位1点(7月号には10位4点と書いてありますが、これは1点のミスプリントでしょう。後でも触れますが実にミスプリが多いんです)の順に点数をつけ、その合計点でランキングを決定しています。ちなみに最初のランキングに参加しているのは新宿コタニ、銀座山野楽器、八重洲大丸、銀座十字屋、銀座日本楽器、池袋西武百貨店、浅草ヨーロー堂、大阪十字屋、名古屋名鉄百貨店、京都十字屋、横浜ヨコチク、広島日本楽器です。

その後、小樽玉光堂、下関大丸などが加わりますが、1958年3月集計(5月号掲載)ではいきなり東京都内の店だけになり、タイトルは「ポピュラー・ベスト・セーリング・レコード・イン・トウキョウ」と変わり、翌月から「東京で1番売れているレコード---ミュージック・ライフ誌調査」となって、7月集計分から都内20店が固定し、延々と連載されるようになります(途中一回だけどこを探しても載っていない号がありますが、次号で特に言い訳もしていません。おおらかです)。ついでにこの20店を紹介してしまいますと、銀座日本楽器、銀座十字屋、銀座山野楽器、高円寺新星堂、角筈帝都無線、上野宮崎天盛堂、浅草ヨーロー堂、銀座ハンター、自由ヶ丘サカキバラ、池袋上田楽器、三軒茶屋スミ商会、自由ヶ丘東光楽器、池袋西武百貨店、渋谷東横百貨店、銀座松坂屋、下目黒第三スミ、日本橋三越百貨店、八重洲大丸百貨店、渋谷区円山ひまわり、新宿区戸塚町ムトウ楽器です。このうち今でも現役のお店は何店あるのでしょうか。

米国では古くから「ビルボード」誌(売り上げだけではなくラジオでの放送回数などを独自に点数化しているそうですが)や「キャッシュボックス」誌などのポップスチャート雑誌があり、日本でも今でこそ「オリコン」ディスク売り上げチャートが一般化していますが、当時の日本にはもちろんそんなものはなく、ラジオのリクエスト番組のランキングが全盛を誇っていました。文化放送の「ユア・ヒット・パレード」、ラジオ東京(後のTBS)の「今週のベストテン」、少し遅れてニッポン放送の「ベスト・ヒット・パレード」、文化放送の「9600万人のポピュラーリクエスト」などが代表的で、各地方のローカルヒットパレードも沢山ありました。これらの番組はもちろんリスナーのリクエストの数によってチャートを作製していましたし、競作曲の場合はどういうわけかそれぞれの放送局お気に入りの作品ひとつだけがランクイン、それが放送局によって違うこともしばしばでした。そういう時代にあって「東京で1番売れているレコード」は月に一度、二ヶ月遅れ、東京だけ、実数ではない、などの限界こそあれ、曲がりなりにもレコード売り上げに基づくチャートとして貴重なものです。

冒頭でも少し触れたように明かなミスプリントを思われる箇所があちこちに見られるのは当時の印刷の事情によるものなのでしょうか。しかし、ミスプリント以外にも毎号曲名、演奏者名、ときにはレーベル名まで何通りか違う記載がされているところもあり、これはこれで面白いので、ミスプリも含めて(特に外国盤については)できるだけ雑誌のオリジナル記載に忠実に再現することを心がけました。