9.わすれもの
「じゃあ...近いんだからたまには家に帰りなさいね」
エプロンの紐を解きながら母がそう言った。
小豆色のエプロンは昔から使っているもので、
ところどころ漂白されてしまって白くなっている。
「うん。手伝ってくれてありがと」
少ない荷物を運んだ後、
二人で掃除をした。
几帳面な母は細かいところまで拭き掃除をしてくれた。
帰り道私は自宅まで母を送った。
心配性な母は、
助手席でいつまでも
「忘れ物ないでしょ?」
とあたしに聞き続けた。
わすれものないでしょ?
その時なぜか昨日本棚に戻した卒業アルバムを思い出した。
§ § §
「ゆき!」
玄関で研が興奮した声であたしを呼んだ。
あたしは靴箱から靴を取り出したところだった。
「ゆきっ!」
興奮した研は、
あたしをせかすように何度も名前を呼ぶ。
「何。まだ靴履いてないよ」
慌てることなく、
あたしはのんびりスニーカーを履こうとする。
「早く」
研はいつものんびりマイペースなあたしを急かすことはなかった。
だからあたしは何事かと思い、
履きかけたスニーカーをすのこの上に置いて、
研に促されるまま上履きで外に出た。
広がったのは、見たこともないような夕焼けだった。
「うわ...」
今、まさに太陽が沈む。
朱色から黄色、白、水色、青のグラデーションが続く。
光は、東の空に反射して、
また青から黄色のグラデーションになる。
同じように雲も姿を染め流れる。
形をゆっくりと変えながら流れていく。
よくある夕焼けの写真とは何かが違った。
急いで気に入ってる写真集を思い出しても、
こんな夕焼けはなかった。
こんな空があるものなんだと思った。
きっと研も同じ気持ちだろうと不思議と分かった。
鼓動は落ち着いて、
心で見入った。
山の端に半分体を沈めた太陽は
今、どこの世界に昇ろうとしているのか。
どこの世界の明日を呼ぶのか。
二人、呆然としたまま夕方の校庭につったっていた。
運動部の部員は後片付けをしていた。
誰も上を仰がない。
はっとして隣を向くと、
オレンジ色の顔をした研が口を開けていた。
いつもならその顔を、あほっぽいと笑うけれど
その横顔は何だかいつもの研とは違う気がしたから、
今日は何も言えなかった。
変わりに、その指先に触れた。
04/08/25