The Family in the US

The Family in the US

アメリカの家族

  1. 洗礼
  2. 67年
  3. 拡大家族
  4. 家族形態あれこれ
  5. なぜ、結婚か
  6. 結婚ではない関係
1. 洗礼

 上の写真はいずれも洗礼式。一度は招かれて、もう一度は偶然に、教会で洗礼の様子を見ることができた。
 「洗礼と言えば思い出すのは、映画『ゴッドファーザー』だよね」と発言して笑われたが、当然ここにショットガンはなく、柔らかな表情で近隣の人々が集っている。
 キリスト教のsacramentサクラメントはカトリックの場合(日本語で)「秘跡」と呼ばれ、洗礼、堅信、聖体、告解、終油、徐階、婚姻の7つがこれにあたる。プロテスタントでは「礼典」であり、洗礼と聖餐の2つを指す。詳しいことは分からないが、誕生した子どもはできるだけ早い時期に親が属する教会で洗礼を受けるらしい。洗礼とは、神の加護のもとに成長するための祝福である。また同時に、キリスト教社会の一員であることがその場で表明され、子どもはコミュニティに受け入れられてゆく。
 こうして「家族」が始まる。

2. 67年


 こちらは大家族のクリスマスディナー。ご夫妻の子どもは14人、孫が42人で、曾孫は現在40人なので「うちへ来てね」というわけにはいかず、毎年教会の集会所が会場として使われる。
 このディナーの翌日がお二人の67回目の結婚記念日だと聞いた。
「あの日は吹雪だったよ。」
と67年目の夫。
耳の遠くなった妻は横でにこにこ笑っていた。

3. 拡大家族

 知り合いに誘われて出かけたクリスマス・ディナーで、私は不思議な人たちに出会った。その家のご主人と現在の奥さん、前の奥さんとその子どもたちという拡大家族である。友人や知り合いも加わり、その日のゲストは20数人。ホストは慎重に食事の席順を考え、「あなたは左の奥に」「あなたは○の右に」と指示を出していく。和やかな夕食。
 その後、別の場所で「現在の奥さん」に会うと、彼女は
「二人の妻が同席するのは、やはり珍しいことです。私も居心地が良くなかった。」
と正直な感想を述べていた。
 新旧どちらの家族にも責任を感じるご主人が、クリスマスには全員と食事を共にしプレゼントを渡したい、と考えたらしい。

4. 家族形態あれこれ

 アメリカの高い離婚率(約50パーセント)は新聞や雑誌に頻繁に書かれていることだけれど、長く結婚生活を続けるカップルも少なくない。伝統的な家族制度は善であるし、安定した家庭の子どもは情緒的な問題が生じにくい。生徒に意欲が見られない場合、問い合わせてみると、家庭内に問題のあることが多かった。例えば、離婚間近であるとか、養父との折り合いが悪いとか。かわいそうな例では、両親とも家庭を放棄してしまい、別の家に引き取られて学校に通っている子もいた。

 伝統的家族制度は望ましいひとつの型だろう。ただし、映画やテレビで描かれる場合、伝統的家族は風刺的に扱われることのほうが多い。心の通わない形だけの家族というステレオタイプ、実は根深い問題を抱えているというありがちな設定。『アメリカン・ビューティ』はこれを荒々しい切り口で描き、成功した作品だったが。

 最近の映画やテレビに見られるのは、むしろ、伝統的でない家族形態だ。夫婦だけの家族、離婚者と実子、再婚家族と実子、再婚家族と養子、未婚者と実子、未婚者と養子、ゲイカップルに養子、ゲイカップルに実子(これは女性同士のカップルのいずれかが人工的に子どもを設けるなどして可能)、血縁以外のメンバーもいるグループ家族、、。これらの多様な家族形態は、小説や映画だけではなく、実際どこにでも存在する。同じ高校にも「結婚なんかしたことないわよ。」と言いながら、2才の実子を育てている先生がいた。また、友人との間に子どもを設け、話し合いの末全面的に親権を持った知り合いもいる。それらは特殊なことではないのだ。

 どんな家族も特殊ではなく、当たり前の家族として扱われるという公平さ、これは間違いなくアメリカの良さだろう。建前としてという側面もあるが、日本では考えられないほどの公平さだ。ただし、その中で子どもたちはどう成長するのか、という点は常に考慮すべき問題のようだ。NewsweekTimeなども時々『離婚と子ども』などの特集を組んでおり、本屋にもコーナーが設けられている。

 5. WHY MARRIAGE?

 私は伝統的家族制度の崩壊という現象を見てきた。それはしかし、暗くぞっとするような結末ではなく、むしろ、興味深く観察したい何かだった。私がそれを切り抜け、生き残り、実際のところ恩恵を受けてきたもの、私の子ども達の人生の一部となったもの。
Why Marriage? by Jane Smiley
HARPER'S MAGAZINE vol.300 June 2000 pp151-2 (拙訳)
 2回の結婚がそう珍しいことではないのは、離婚率から容易に想像できる。3回以上という人もいるが、回を重ねれば結婚制度そのものに疑問を覚える場合もあるだろう。引用したのは「なぜ、結婚?」という短編。語り手の母親は、拡大家族の夕食を眺めながら、長く続くことのなかった2回の結婚を思い出す。現在一緒に暮らしているの相手とはよい関係を保っているけれど、この先結婚の予定はない。それならばなぜ結婚か、と彼女は思うのだ。なぜ結婚し、悩み苦しまなければならなかったのか。

 アメリカ人にとって結婚とは「人生を分かち合うもの」だ。一概に決めつけるには無理があるが、「共に人生を味わう」というのが基本理念?だろう。単身赴任など理解できないに違いない。人生をshareしないなら夫婦でいる意味はないのだ。各々が守備範囲を持つ「チーム方式」日本の夫婦とは大きく異なるように思う。

5. OTHER RELATIONSHIPS

 既婚・未婚が日本ほど大きな意味を持たず、嫡出子か非嫡出子か、実子か養子か、などが問題にされることのない社会なら、結婚という形態にこだわらず一緒に長く暮らすという関係も成り立つだろう。
 滞在2年目、共同生活をする50代の女性と40代の男性と知り合いになった。ルームメイトというより恋人関係にあるが、それぞれ離婚経験があり、独立した子どもを持つ二人に結婚の予定や意志はない。彼らは平等なパートナーとして、一軒の家を購入した。その際彼らは住まいに関する全ての費用を公平に出し合うこと、お互いの立場を尊重し合うことを取り決めたそうだ。
 招かれて彼らを訪ね、趣味のよい部屋で趣味のよい食事を楽しんだ。二人の収入を合算すれば買える家、の規模が圧倒的に日本とは違う。木立が小さなクリークまで続く斜面の敷地、吹き抜けの多い3階建ての家はベッドルームが3つ。それぞれが家の中にオフィスを持ち、干渉し合わずに仕事をすることもできる。窓からは芽吹き始めた緑が見える。いいなあ、こんな暮らし。

 ところが、この二人には後日談があるのだ。
 この数ヶ月後の夏休み、教師職の彼女は例年通りモンタナ州の山荘で夏を過ごし、20数時間かけて早朝に帰宅した。彼のほうは夏の間も仕事を続けている。連絡せずに帰宅したのは幸だったか不幸だったか、、、。彼女は、自分たちのベッドルームに別の女性を発見したのだ。
 まるで映画だよねえ。彼がその一時的恋人と知り合ったのはインターネット、航空券代を出して呼び寄せたのだそうだ。そして、家の購入から1年半、彼らが決して常にお互いを思いやっていたのではないことも、人づてに聞いた。諍いが重なれば、不実な行為の罪悪感も軽減されたのだろうか。
 家はその事件から半年後に売却された。もともとひとりの収入では維持しきれない大きさだった。完璧にコーディネートされた壁の絵と鮮やかな色の革ソファを思い出すと、何とも残念だ。そして、未婚既婚に関わらず、信頼関係を保つことは本当に難しいのだな、とつくづく思う。


2001年


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