Anne Tyler

アン・タイラー(1941- )
ミネソタ州ミネアポリス生まれ。19才でデューク大学卒業後、コロンビア大学大学院でロシア文学を研究。
76年の"Searching for Celeb"は、アップダイクから「単によいというのではない。病的によい。」と絶賛された。その作風は、 フラナリー・オコーナー カーソン・マッカラーズ ユードラ・ウェルティなど南部女流作家の流れを汲むものと言われている。

写真: 新潮社『アメリカ青春小説特集』1989から




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作品一覧

my favorites

ブリージング・レッスン pp.91-92
どうして流行歌というのは愛だの恋だのばかりなんだろう。出会い、別れ、甘いキス、失恋の痛み。人生には、子供が生まれたり、海岸へ出かけたり、友だちとバカ話をしたり、ほかにもいろんなことがあるのに、、、。いつかテレビに、紀元前何世紀だかの歌の断片を発見したという考古学者が出ていた。その歌も、ある少年がつれない少女への想いを歌ったものだった。

歳月のはしご pp.346-347
ディーリアは猫を軽くわきに押しやってベッドの上に体を起こし、ラジオをつけた。こんな時間なのに、ジャズを流していた。物悲しいクラリネットや静かなピアノの曲が多かった。1曲終わるたびに、アナウンサーがその曲の録音された場所と時間を説明した。1955年8月の夜、ニューヨークのバーで。1949年大晦日の夜、シカゴのホテルで。時の流れにこれほど強く支配されている世界で、どうして人間は耐えて生きてゆけるのだろう。

結婚のアマチュア p.323
服装も変わった。やれやれ。素足にサンダルだと。男のくせに!なんと前があかない、紐式のだぶだぶのズボンをはいて、次々に仕入れてくる新しいTシャツ(そのほとんどがすでに古着に見える)を着て、ザ・バンドやらジェームス・テイラーといった名前を宣伝している。ジェームス・テイラーはペーガンのヒーローだった。マイケルのアパートのソファに坐って、それもマットレスではなくソファの背に腰をおろして、裸足の足をクッションの中に押しこみ、けだるそうに弦を2,3本かき鳴らしながら、鼻にかかった物憂げな声で、俺と俺のギターは同じ気分だとか、今夜は一人にしないでくれだとか、メキシコには行ったことがないけどかならず行きたいだとか歌っていた。




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