<1>正暦寺縁起のご案内

 992(正暦3)年、一条天皇の勅命を受けて兼俊僧正(九条兼家の子)が創建、龍華樹院とも称します。創建当初は、堂塔・伽藍を中心に八十六坊渓流をはさんで建ち並び、勅願寺としての威容壮麗を誇っていたといいます。

 ところが、1180(治承4)年、平重衡の南都焼き討ちの際、その類焼を受け、全山全焼、寺領は没収され一時は廃墟と化しました。その後、1218(建保6)年、興福寺一乗院大乗院住職信円僧正(関白藤原忠通の子)が、法相宗の学問所として再興、昔に勝る隆盛を極めました。また、13世紀初め(建暦年間)の頃に、蓮光法師(法然上人の弟子)がこの地に草庵(本殿を安養院・別殿を迎接院)を結び、浄土門の法灯を掲げたこともありました。

 このように、当山は、真言密教・法相宗の教学禅定の道場、浄土宗の念仏道場として深く世人の尊崇を集めてきました。現在は、菩提山真言宗の根本寺院として、人々に仏教と親しんでいただけるよう、「めいそうの会」「瑠璃浄土でお経を読む会」「お写経の会
などの定例講習会を催しています。

秘仏、薬師如来倚像

孔雀明王坐像



 <2>山のご案内

 菩提仙川は、その昔、中尾川ともいわれ、この清流を使って醸造された「菩提泉酒(奈良酒・南樽)」は、至極上酒であったことが「蔭涼軒日録(おんりょうけんにちろく)」に記されています。

 福寿院から川に沿って少し登ると、左手に観世音菩薩のご誓願にちなんだ三十三段の石段と、阿弥陀如来のご誓願にちなんだ四十八段の石段があり、登りつめると本堂・鐘楼堂があります。また、山内二ヶ所に集めてある石仏群は、塔頭寺院跡に残っていた僧侶の供養塔・石仏です。

 当山には極楽浄土の色があります。見上げれば樹木は幾重にも頭上をおおい、身も心も緑に染めあげてくれます。この濃い緑の精をとかして流れる菩提仙川の透きとおる美しさ、そして、秋ともなれば紅葉が全山を色染めます。その鮮やかさを愛でて古人は「錦の里」と名づけました。

 また、当山には迦陵頻伽の音色があります。さやさやと吹き降ろす峯からの風の音、さらさらと瀬を洗う渓流のささやき、それらにまじって聞こえてくる山ホトトギスや、鶯、鈴虫やせみの声、この豊かな大自然を慈しみ包み込むあらたかな光、薬師瑠璃光は、空気を清浄にし、谷水に潤いを与え、野の花の一つ一つを輝かせています。この深い光に包まれて、この世の全ての人々に息災と安全と健康と幸福がいきわたりますように、日々、祈願をさせていただいております。

 なお、ご祈祷、ご祈願、諸供養の受付、および人形供養の受付は、年中行っております。

 南無薬師瑠璃光如来 南無孔雀大明王 南無大師遍照金剛 乃至法界平等利益

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