あれぁイイ日だった(ハチジョウノコギリ編)

標本修理工T





ハチジョウノコギリクワガタ

さて、ハチジョウノコギリクワガタとはなんぞや? というところから始めなければなるまい(ベンベン!)。

ハチジョウノコギリクワガタは、1960年に故野村鎮氏によってノコギリクワガタの亜種として記載されたクワガタです。 その後、24年の永きに渡ってそれが踏襲されてきたのであるが、 1985年に藤田氏と市川氏によって独立種へと格上げされたのであった。 独立種になった最大の特徴は、やはり、付節の異常な短さにあったようだ。

1970年代までは小型個体しか得ることが出来ず、もっぱら「ハチジョウノコギリには大歯型は存在しない」 と言われつづけてきたのだが、1981年7月29日に52oという個体が採集される。 この個体はハチノコの初代ギネスに登録された個体で、昔のクワガタ関係の各書籍によく使われている個体なので、 知ってる人も多いかと思う。この当時としてはバケモノじみた大きさで、この個体によって大型個体には鋸状の内歯以外に、 3本の内歯が出ることがわかったのであった。

その後、永きに渡ってその個体を越えるものは出なかったのだが、1990年代に入ってなぜか50oクラスが入り始めた。 この理由としては、後述する材起こし採集が一般化し始めたからではないかと思う。

昔のハチジョウノコギリの採集方法は、日中、側溝に落ちているものを採集するというもので、 これは現在もやることは出来るのだが、小型個体ばっかりで、40o後半すら中々入らないといったやる気をなくす採集方法なのだ。 しかし、この採集方法も80年代後半からは“材起こし”なる方法にとって代わられることとなる。

この方法は、畑隅に転がっている伐採木の下にハチノコが潜るという習性を利用したもので、 この材起こしによって、かつての大珍品であった50oクラスを“そこそこ採りにくい”のレベルまで落とす画期的な採集方法であった。 しかし、その画期的な採集方法でさえ55oの壁はなかなか超えるものではない。普通、採集に行って運が良いと、 採れるのが52.5oなのだ。なんでか知らんけど、52.5oで止まるパターンが多いように感じられた。

その50o台前半で皆が四苦八苦していたなかで起こった大事件が、松下泰平氏の57.3oなのである。 あの個体がスゴイのは、なにもサイズだけの話ではない。とにかく大腮の形だ。 今までのハチノコの大型は、どんなに大きくても本土ノコギリの中歯型のような大腮しかしてなかったんだけど、 松下さんの個体は、本土ノコギリの大歯型に限りなく近い形をしてたところが皆の度肝を抜いたのだ。 私もあの記事を読んで、後日、実物を拝ませてもらったのだが、すんごく驚いた。

松下氏の個体がギネスになったとき「これは向こう10年は更新されないな」と思ったのだが、 その3年後、あっさりと2oもオーバーする個体が現れた。これが現ギネスの菊池淳氏の59.2oである。 こちらも現物を拝見させてもらったが、ド迫力であった。ハッキリ言って欲しい (しかし、現在この個体は菊池氏のところには……もったいない)。

では、現在ハチノコの大歯型はいったい何個体存在するのであろうかというと、よくわかんない。 2年前までの状態ならば、ちゃんとした大歯型の形をした完品は4頭くらいだったと記憶しているが、 あれから年月も過ぎ去ったことだし、もっと追加されていることと思う。 ちなみに、2000年は大歯型と呼べる歯をした個体は、5頭くらいは採れているらしい。

とにかく、変なノコギリである。さらにちょっと書くと、大歯型が何oからなるのかがよくわかんない。 54oでも大歯型の形をしてる時もあるようだし、57oでも中歯型の形をしてるときもあるみたいだ。 どうも、大歯型が出やすい地域があるらしい。ハチヒラやハチコの例をとっても、八丈島に分布する特産種および亜種は、 どうも局地的に変異を起こしているようなフシが見られる。あんな小さな島でそんなことが起こるのだろうか? この世は不思議だらけである。

次に、生態面を掘り下げてみよう。

なんでハチノコはなんの変哲もない材の下に潜るのであろうか? というとこなのだが、 これは私の憶測だけど、たぶん卵を産みに来た♀を待ち構えてるのではないかと推測している。

一般的に樹液に来ない本種が野外で♀と自然に出会う確率はかなり低いのではないだろうかと思うが、 その♀と出会う場所として提供されているのがこのような倒木なのである。野外で採集していると、 大型の♂ほど大きな倒木に入っている可能性が高いような気がする。 これは、大きな倒木ほど複数の♀が来やすいところにあるような気がするのだ。 しかも、大型の♂は一本の木にあまり複数潜っていない。小型♂はゴチャゴチャ入ってることが多いけれどね。 これは、大型♂は倒木というテリトリーで少しでも自分のハーレムを作ろうということだと思うのだ。

ちなみに、先ほど「材下に潜るのは卵を産むため」と書いたが、実際に採集に行くと、産卵できるほど朽ちていない、 よーするに切ってすぐのような状態の木の下にもよく潜っている。 これはたぶん、普通倒れるような木は朽ちている可能性が高いので、♀はそれを目当てに来ているのではないだろうか? 通常、自然状態で切られたばかりの生木のような木が倒れていることは滅多にない。 たしかに台風などで倒れることはあると思うが、そこかしこにあるわけではないであろう。 だから、どんな木にでも、たまにビニールシートの下とかにいるのも、それらはすべて人間が人為的に作った、 ハチノコからしてみれば倒木なわけじゃないかと思う。

活動する時間帯は、昔は昼行性と思われていたが、現在では夜行性(夕方くらいから活動しだす、半夜行性とも言える?) となっており、夕方や早朝によく歩いているようだ。 野外で採集していると、前日に倒木下で採集した木に翌日新たな個体が潜っているということもよくあることである。

後食はほとんどせず、野外では水を吸って水分補給などするが、基本的には幼虫時代の栄養分で活動していると思われる。 しかし、飼育するとゼリーをよく食べ、野外でもハチジョウグワの実に集まっていた例があるので、なんだかよくわかんない。 ここらへんの生態はマルバネもまったく同じで、野外では樹液に来ないくせに、飼育するとゼリーを食べる。 まったくもって不可解な連中である。

発生は4月下旬から始まり、7月くらいまでは活動しているようだが、発生のピークは6月上旬くらいではないかと思われる。 しかし、少しでも大きくてピカピカな個体を手に入れたいと思ったら、5月上旬くらいに行ったほうがイイかもしれない。 この時期はハズすと悲惨だけど、当てると結構イイ成果が期待できる(かもしれない)。

材採で親を出すのはかなり困難を極めると思うが、幼虫を採集するのは簡単だ。 しかし、そこそこの大きさの幼虫を採ってきても50oオーバーはなかなか出来ない。 が、以前、店に来たお客さんに見せられた写真に、しっかりと大歯型のハチノコが写っており、 「これをどうしたのか?」と聞いたら「幼採で飼育した」と言っていたので、イイ食いもんやれば大きくなるのだろう (男は黙って野外親採り! と胸を張って言いたいけど言えないのが悲しい)。

さて、ここからが今回の“あれイイ”のメイン。分布論で攻めてみたいと思います。

ハチジョウノコギリのいる八丈島は、言わずと知れた伊豆諸島最南端に位置する島なんですが、 この伊豆諸島は以前から虫屋を悩ませつづけている地域なのです。何が悩みなのかと言うと、その成立過程がよくわかんない。 ミクラミヤマという伊豆諸島の昆虫の中で一番不可解な虫がいることで、混乱を大きくしているような気がする。 虫をやってる人で、ミクロ生物地史論に興味のある人だったら、 一度はこの伊豆諸島とミクラミヤマのことを考えたことがあると思うので、 今回はここらへんをちょっと掘り下げてみましょう。

伊豆諸島はどうやって出来たか? については、諸説いろいろな考えがあって、 結論からいうと、まだよくわかっていない。

ここで重要なのは、本州と地続きになっていたかどうかなんですが、それもよくわかっていません。 研究者によっては第三紀、もしくは第四紀に“古伊豆半島”という八丈島まで延びる半島が存在していて、 それを介して分布を広げたという考えの人もいれば、プレートテクトニクスに基づく伊豆北進説から、 もともと、伊豆半島は“伊豆島”であり本州と離れていたが、氷河期に海水面が下がり一時的に地続きとなった時、 もしくは、地続きでなくとも、陸地面積が増えたことによる各島間の距離が短くなって、 (材中などに穿孔した幼虫が)海を渡れるレベルにまできた時に、分布を広げたという考えの人もいる。

ここらへんはホントに難しくて、生物の分布状況だけで説明がつけられるわけもなく、 すべての動物、植物、鉱物と、生物学、地質学に精通していないと、 総括的な結論を導き出すことは不可能なのではないかと思われる (これで総括的な結論を導き出したとしても、それは憶測であって、 確認することは出来ないのもしょうがないといえばしょうがないんだけど、なんだかなー)。

それでは、私がどう考えているかというと、後者である。いや、正確には、後者に+αの考えがあると言うべきか?  それは後述するとして、なんでも陸生貝類の分布状況から、 伊豆半島が以前は本州から離れていたことは確認されているようです。

そんで、こっからがハチジョウノコギリの話なんですが、昔、大陸と日本が地続きだったころに、 大陸より侵入した“原始ノコギリクワガタ種群(ノコギリ、ハチジョウノコギリ、リュウキュウノコギリ、 ヤエヤマノコギリ、タカサゴノコギリの祖先種)は、その当時陸続きだったところすべてに分布を広げた。 あのノコギリの拡散能力からすれば、さほど難しいものでもないと思う。 そこで、ハチジョウノコギリに関しての私の考えをプロセスとして言うと、

@第三紀中新世あたりで確かに古伊豆半島は存在していた。ここで各種哺乳類、爬虫類などもろもろの生物とともに、 昆虫類(原始ノコギリクワガタ含)が侵入した。

Aその後(第三紀更新世)、大規模な火山活動と地殻変動によって、伊豆各島が形成されていくが、その過程において、 八丈島ー三宅島間に海峡ができる。

B長い年月をかけて伊豆諸島の大体の形が出来あがる。おそらく伊豆島(現伊豆半島)、伊豆大島、利島で一つ、 新島(式根島含)、神津島で一つ、三宅島、御蔵島で一つ、八丈島で一つの島を形成していたのではないかと思われる。 このころはウルム氷期に入った頃で、海水面の低下により、各島間の距離も縮まり、 材に穿孔できる種類は分布を広げることが可能だったのではないかと推測される。 しかし、八丈島ー三宅島間は、離れた時期やその距離から、 八丈島へのあまり多くの種類の移入は出来なかったのではないかと思われる。

C御蔵島までは各島間の距離は短いことから、本州内において本土ノコギリへと種分化しかかっていた 本土ノコギリ祖先種が御蔵島まで侵入した。このことによって、もともと八丈島まで分布していた原始ノコギリ種群は、 八丈島以外の古伊豆諸島で本土ノコギリ祖先種との雑交を果たしたのではないかと思われる。 伊豆諸島のノコギリクワガタを見ていると、北から南へいくにしたがって、黒味が強くなり、 より小型化する傾向が見られる(ような気がする)。これはハチジョウノコギリへのクラインではなく、 本土ノコギリ祖先種がその島へどれだけ侵入できたか(本土ノコギリ祖先種の血がどれだけ混ざったか) に左右されているのではないだろうか? 各島間の距離が縮まっても、結局本土からの移入には変わりないわけで、 本土からの距離が離れれば離れるほど移入できる種類数、および、個体数は少なくなってくると思われる。

Dそして、伊豆島は本州と繋がり、大島と利島は最後まで本州からの種の移入のできる範囲に位置付けられたが、 新島、神津島と、三宅島、御蔵島はその後の海水面の上昇により、本土からの移入率が下がったのではないだろうか?  それから考えれば、伊豆諸島にいる各種昆虫の種類数が、南下するにしたがって減っていくのもうなずけるものと思われる。

以上にあげた分布に関する考察は、あくまでも私個人の考えであって、広く通用するかどうかはわかりません。 それに、生物地史学は1種類の生物だけで論ずることはできない。今回はハチジョウノコギリに焦点を当てて書いてますけど、 ホントは他の昆虫もいろいろ関わってくるのです。だから、参考資料等には使わないで(使えないか?)ください。

うーん、回を追うごとに“あれイイ”の本文よりも、まえがきの方が複雑になってきている。 そろそろ、“うんちくコーナー”として独立させるべきかな。 でないと、“あれイイ”がいつまでたっても更新できないんだよなー。こーゆー形でやってくなら、 ホソツヤとかも書きたいことがいっぱいあるんだよね。

第一部 八丈島1994年度編

ハチジョウノコギリクワガタを私が初めて知ったのは……そうだな、たしか小学3年生くらいだったかと思う。 ミニ図鑑に載っていた例の“バケモノ個体”が白黒の写真で載っていたのが最初だ。そのミニ図鑑はなかなか秀逸で、 その時点で、日本産のノコギリクワガタが4種も載っていた。説明等はまったくなかったと記憶しているが、 写真だけでその魅力が伝わってくる。そんな感じの本だった。

ハチノコの実物を見たのはいつ頃だっただろうか? こちらは確か中学2年生くらいだったんじゃないかと思う (かなりあやしい)。伊豆にある“伊豆シャボテン公園”だかに行った時に、 そこの展示室に飾ってあったハチノコの各ステージ(卵、幼虫、蛹、成虫)の標本があって、それが初めてだと思う。 今、考えると、なんであんな展示用標本が伊豆シャボテン公園にあったのか謎である。

とにかく、実物を見てから実際に自分で採集に行くまでに10年近く間が空いてしまった。 実際に行くのが決まったのは、出発の前日の出来事がそもそもの始まりであった。

5月の下旬になって、翌日から八丈島へ行くR氏が、私の家に別の用事で来たときのことだ。

「Tさん、明日から八丈島へ行くんだけど、一緒に行かない?」
「う〜ん、八丈かぁ、行きたいけどなぁ、いきなり明日でしょ〜……」
「いるよ〜採れるよ〜」

と、ここまでは覚えてるんだけど、その後の記憶が不思議とない。気がつくと、翌晩、 竹芝桟橋から八丈島行きの船に乗り込む私がいた。メンバーはR氏とY氏とP氏(この“P”は内輪しかわからんな) と私の4人。私は仕事の関係で八丈島一泊旅行であるが、他の3人は八丈島の後に御蔵島へ渡る予定だ。羨ましい……。

船の中では福岡から来たK氏とO氏に出会った。両氏はミクラミヤマを採るためにわざわざ九州から来たそうで、 東京在住の人間が対馬へ行くのと同じような感じだなと思った。

心配していた船酔いもせずに、翌朝7時半、船は無事に八丈島は底土港に到着。予約していたレンタカーに飛び乗って、 私とR氏とY氏は出発した(P氏はバイクを積んできていたので別行動)。

八丈島は初めての私とY氏に

「ではまず、ハチノコを見てもらいましょう」

とR氏の嬉しいお言葉。

いったいどんなとこにいるんだろうかと思っていると、車を横付けしたのは、一周道路沿いの中之郷のど真ん中。 道路から1mくらいのところにある丸太のような感じの倒木を起こしてくださいとR氏は言う。 半信半疑の私とY氏がその倒木を起こすと、小型の♂が2頭いた。

私: 「おおーっ!」
Y氏:「うぎょー、うぎゃー、ほげー!」(うるさい)

いた、ホントにいた。話には聞いていたが、こんな、ほんとにただ転がっている木の下にいる。 この一発で、感じはつかめた。なるほど、これは前もって知っていないと感覚がわからん。

次は、R氏のポイントへ連れていってもらう。今回の採集はツアーコンダクターのR氏がいるから、 なんの心配もなくいられるのが大きい。中之郷のフェニックス畑脇に転がる倒木をひっくり返していると、 ところどころからハチノコが姿を現す。小型個体も喜んで採っていると、採り始めて10分もたっていないのに、 ヤブの中からR氏の叫びが聞こえた。

「デカイ! 50(o)は超えてる!!」

なぬーっ? 始まって10分もしないのにもう50oオーバーだとーっ! さすがR氏。すでに、 どーゆーところがイイかを知り尽くしているのだ。しかも、その50oオーバーが出たのは、青いビニールシートの下だ。 こりゃーなんとかこっちも50oクラスを採らないと……と思うのだが、 そのポイントではなんとか45oくらいのが採れただけであった。

次のポイントへ移る。ここは車を止めて5分くらい坂道を登ると、倒木が数本転がっている小道に出る。 私が道脇に転がる倒木をR氏とひっくり返していると、すぐ5mほど隣の倒木をひっくり返していたY氏が叫んだ。

「おーっ、デカイ、おっ、こっちも!」

なんと、Y氏は一本の倒木から50oオーバーを2頭も出したのだ。なんてこった! すぐ隣の材でデカイのを出され、あせる私。 こちらの材からはまたまた45oほどのが出ただけであった。く、くやしいー! これは実力とかそーゆー問題じゃなくて、 その材を誰が最初にひっくり返すかにかかっているので、早く、数多くの材を転がしたもん勝ちなのである。 しかし、ついてねぇ。

次のポイントに移る。こちらは膝くらいの高さの草の中に倒木がいくつもあって、 足で倒木を探りながらひっくり返していったんだけど、ここから、46〜49.5oまでがバタバタと出てきてかなり嬉しかった。 しかし、どの虫を見てもすぐにわかっちゃうんだ。パッ見で50oを越していないって。

50oの壁を超えられないまま次のポイントへ。こちらは現在、ネブトの一大ポイントとなっている地点なんですが、 その当時は今ほど赤材はなくて、比較的新しい材が転がりまくっていた。私が大き目の材を転がすのに四苦八苦していると、 10mほど前方からR氏の叫び声が上がった。

「うおぉーっ! これはデカイ!」

またかよーっ! すぐに飛んでいって見たいのは山々なんだけど、「後で見せてもらえばイイ、今は採集に集中だ!」 と思いながら材を転がすことにのみ力を入れるが、カラ回り。ダメだ。どうしても50oを超えられない。

そして、完全に忘れていたP氏であるが、車で走りながら「この50oクラスを見たらあいつ驚くだろうな」などと話していると、 前方に見なれた体形の人間がこれまた見なれたバイクに乗って走っているのが目に付いた。呼びとめて「これが採れた」 などと話すと、「こっちも大漁ですよ」などとタッパーを取り出した。それを見た我々は愕然、驚愕。 軽く50oを越すようなサイズの奴が最低でも5頭は入っている。

「なぁにーっ!」

うーむ、完全にしてやられた。P氏は一ヶ所の畑でそれらすべてを採集したらしい。なんてことをしやがる!

こんな感じで第一回、Tの八丈島遠征は終わってしまった。私の最大は49.5o(上写真左端=未UP)。 まぁ、普通に採集に行ってたら採れないサイズだ。あくまでもR氏の案内があってこその成果である。 ちなみに、R氏は最初が50o、後のが52.5o。Y氏は52.5o、51oの2頭があの一本の材から出たらしい。 そして、問題のP氏であるが……。やはり5頭が50oを超えていて、最大はやっぱり52.5oでした。 なんで揃うかな、このサイズで。

翌日、八丈空港で私は一人東京へ戻り、R氏、Y氏はヘリで御蔵島へ、P氏はお金がないので朝の船で御蔵島へ渡っていった。 数日後に聞いた話では、ミクラミヤマは前胸頭部赤褐色型や黄紋型を多数採集したらしい。 「あ〜、仕事さえなけりゃあなぁ〜」と一人悔やむTであった。

さぁ、次回はリベンジなるか!? 1995年度編へ続く





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