おっさんの人生2(仕事)

生駒山


1.はじめに


おっさんの人生を読んでいただいているクワ馬鹿の方が結構多いのですね。び っくりしました。今回は、仕事について少し考えてみたいと思います。

定年退職された方で、退職後は趣味に生きるとか悠々自適の生活が待っている と思ったが、そうではなかったという人が多いようです。退職してみて、仕事が その人の人生にとって大変大きいウェートを占めていたことが分かったのです ね。

私は、仕事でご家庭にお伺いする機会があります。定年退職されたお家にもお 伺いする場合が多々あります。いつも思うのですが、奥さんは元気はつらつなの にご主人は元気がないお家が多いのです。今のところ、大企業でも役員コースを除いて60歳が定年ですね。

60歳と言うと、今時バリバリの元気いっぱいですよ。その元気いっぱいのおっさんが60歳で会社から強制退去を宣言されるの ですからつらいですよね。定年退職後、鬱病になる人も多いと聞きます。おっさ んにとって仕事とは人生にとって大変なウェートを占めているのですね。仕事が 生き甲斐の人が多いのでしょうね。
 

2.仕事とは居場所である


定年退職された方に聞くと、退職後一番つらいのは「毎日の行き先がない」と いう答えが多いそうです。それと、生活のリズムが狂って不眠症になる人も多い そうです。

この頃、週休二日制が定着してきましたから、サラリーマンの生活は、月曜日 から金曜日まで会社に出勤して土曜日、日曜日が休みというパターンが多いので はないでしょうか。平日は、6時台に起床して7時過ぎに家を出て、会社には8 時30分頃到着。

仕事は、9時に始まるという生活のパターンです。長年の間に習慣化している 人が多いのではないのでしょうか。私もその一人です。怠惰な学生生活を卒業し た直後はつらい日々ですが、なに慣れれば楽になるものです。かえって休みの日 の過ごし方に困る人が多いのではないでしょうか。二日酔いの日であっても、と にかく会社に出勤する。なんてつらいだろうと思う日々が、退職してみると楽し い日々であったということになるのです。

この頃、平日の朝、図書館に行くとこれが混んでいるのです。特に新聞や雑誌 コーナーでシルバーの方を多く見受けます。野末陳平さんの著書によると退職 後、行き先のない方の行き先は、図書館が多いらしいです。図書館で新聞と週刊 誌なんぞをゆっくり読む。そうしているうちに昼が来る。てなパターンなんで す。午後はどうされるのでしょうかね。とにかく夜までの時間が長くてしかたが ない。仕事をしている時は、一日なんぞあっという間だったのにね。

これはどういうことなのでしょうかね。本来、退職すれば自由になる。年金も 出るわけだし、とりたてて生活に困るわけではない。こんな楽しいことはないは ずなのに、退屈でしかたがない。どうにも仕事をしていたころが思い出されてし かたがないようです。

こう心情になる理由にはいろいろあるでしょうが、一番の理由は、退職後の自 己の存在が確たるものではないのでしょうね。なにか宙ぶらりんなでしょうね。 在職中は、勤務先の会社の株価なんぞ気にもならなかったのに、退職後、新聞の 株価欄を毎日見ると言う人もいます。また、この頃、インターネットの世界でシ ルバーの方のホームページをよく見かけますが、在職していた会社のあれこれを掲載している人が結構いま すねえ。

いまさら掲載してどうするのかと思いますけど、その人の人生の大半を過ごし た場所なんだから当然といえば当然なんでしょうか。
 

3.仕事は名刺である


居場所を示すものとして名刺があります。社会の中での自分の居場所を示す道 具です。

退職後はこれがない。初対面の人と、名刺交換ができないのです。名刺にこだわる人はつらいですね。先日、シルバーの方とのオフ会がありました。 私は、こういう場ですから名刺交換する気持ちがなかったのですけど、先方が出 された場合は、交換しました。

帰宅して、頂いた名刺を整理してみたのですけど、いろいろありますねえ。仕事を離れた方でも名刺を作られていてなかなか楽 しい名刺もありました。こういう場に参加される方は、趣味も豊富なので名刺に いろいろとそれが出ていますね。しかし、大半の退職組の方は、どうなんでしょ うか。私の周りの方を見てもわざわざ作る人は少ないですね。だいいち、肩書が ないですからね。
 

4.仕事は肩書である


なぜ、名刺交換するのでしょう。日本の会社社会ではよくやりまねえ。私も名 刺を束にして名刺交換して回ったことがあります。あっという間に、50枚の名 刺箱が空になったことがあります。国際社会では日本の名刺交換は有名らしいで すね。

私は、名刺交換する最大の理由は、お互いの肩書の確認にあると思っていま す。日本では肩書にうるさいですからね。あっちの会社が社長が出てくるのな ら、うちも社長を出さなくてはならないとかね。それと、名刺を見て、態度変え る人っていっぱいいますもんね。私なんぞ、名刺交換した相手が設計事務所の設 計士だったりしたら、いきなり先生、先生と言いますね。これが自然に出るよう になったら、一人前の営業マンなんだって言い聞かせてますけどね。逆に私の名 刺を見て、ぺこぺこする人いますねえ。名刺を見た瞬間に頭の中で計算するので しょうね。ほんと、日本の社会は、肩書で仕事しているところがあります。仕事 の中身ではないのです。地元の自治体なんかと仕事をしておりますと、担当がこ ろころ変わりますね。なんであんなに変わるのでしょうね。担当が変わるたび に、レクチャーしなくてはなりません。役所との癒着がよく問題になりますが、 肩書で仕事をしているから、仕事の中身が分からないのです。従って、業者に聞 くことになるわけです。ここらあたりから癒着してきますね。そのうち、こっち に都合の良いように計らってくれるようになります。別段、不正取引でもないの ですけど、そうなってきますねえ。私は、自戒しながらおつき合いしてますけど ね。
 

5.仕事とは会社生活である


どうも日本では、就職する歳の意識として、会社に白紙委任しているように思 えてなりません。白紙委任する内容が人格まで含めた身も心も丸ごとなんてな感 じです。この頃は、若い人はクールになってきたと言いますが、本当でしょう か。私の勤務している会社の若い者を見ていても疑問ですね。

本来、雇用契約とは仕事の内容をはっきりさせ、賃金、就業時間も契約に明記 すべきでしょ。しかし、実際はどうなんですか。例えば、遊びです。終業時刻後 は、プライベートな時間なんですから、会社の外で遊ぶべきですね。ところが、 私の勤務先の若い連中を見ていると、同僚とか後輩なんかと遊んでる。仕事が終 わったのだから、そこでの人間関係は切れているはずなんですけどね。ところ が、会社って遊ぶのに便利なんですよ。退職された人が困る一つが遊びなんです わ。とにかく一堂に会するのが大変。ゴルフ一つするのも、メンバーの選定から 都合まで連絡だけでもおっくうですね。ゴルフまでいかなくても、一杯飲むかっ て言うのも、これも大変。集合場所までの電車賃だけでも馬鹿になりません。特 に、東京や大阪なんかの大都市ですと、友達のお家が郊外にありますから大変で す。私の住む奈良のような田舎ですと、歩いて10分以内に何人か同窓生います けどね。

会社とは便利な装置です。「おい。今日飲むか」って都合よさそうな社内の人 間を探せば、何人かはいますもんね。ゴルフの打ち合わせだって社内の人とする 場合ですと、簡単ですね。数分で済みますもんね。

就職して数年は、学生時代の友人と飲んでいたのが、いつのまにやら途絶えて いるのに気が付きますね。その頃になると学生時代の友人と会うのは、結婚式ぐ らいですか。

お互いに妻帯者になってからは、年賀状のやり取りぐらいになります。また、例え、会って飲んでも話題がない。関心が、完全に会社だけなんで すね。お互いにそうですから、話題もなくなりますね。その点、社内の連中と飲 んでいるといくらでも話題はありますねえ。一番の話題は、会社と上司の悪口で すけどね。これは延々としゃべれます。

同期の者と飲めば、同期生の近況てすな。あいつはどこに行ったとか。あいつの嫁さんはブスだとか、しっかりしてい るとか。子供はどこそこの中学校に合格したとか。なんでそんなに関心あるので しょうか。私の勤務先のある人なんそ、自分の後輩の卒業大学を全部ぐらい言え る人がいます。驚きますね。手書きの卒業大学名簿を見せてもらったことがあり ます。ご自分で作成されたのでしょうか。

思うに、30歳を過ぎた頃からは完全に会社人間になっているのではないでし ょうか。

結婚してもこれは変わりません。先日、クワ仲間と飲んだのですけど、ある仲間なんですけど、あまりにも仕事が忙しい。子供と顔を会わせる機会 がない。とうとう、たまに食事なんかすると、「またきてね」って言われたとお っしゃってました。この人のように多忙もありますけども、一番の問題は、関心 が会社以外にないことなんです。妻や子供なんぞ関心がない。建前は、あるでし ょう。しかし、関心がない証拠に子供の友人を三人以上挙げられますか。私は、 仕事はそんなに忙しくはありません。夜中に帰宅するという毎日ではありませ ん。ところが、子供の友人の名前なんぞ知りませんでしたし、知る努力なんぞし たことがありませんでした。ところが、妻が交通事故で4ヶ月入院し、主夫をせ ざるを得なくなると、子供の友人のお母さん達とおつき合いせざるを得ないわけ です。当然、お名前を言えなくては失礼ですから必死で覚えましたよ。そうこう しているうちに、ふと思ったのですね。子供らの世界に何の関心もなかったのだ と。不思議なもので、子供達の友人の名前を覚えていくと、子供達と会話が弾む のですね。子供も分かるのですね。お父さんも少しは、私らのこと知っているや んけと。今、思うのですけど、亡くなった母親は、私の中学校から高校までの友 人の名前は全部知ってましたね。

父親は、一人として知らないですわ。たまに父親と会ってもしゃべることがないのですよ。無理して、父親の話題に合わせま すけど、疲れますね。会話と言うのは、お互いに関心があることには、話しが弾 みますね。一方の話題に合わせているのはインタビューアーみたいなもんで、疲 れるものです。私の父親は、典型的な会社人間でしたから、そのつけがこんなと ころに現れているのでしょうね。

自分も父親になって思うのですけど、親子関係とは基本的に親側の対応で決ま りますね。子供が10歳ぐらいまでの間に築き上げた親子関係が一生つきまとっ てくるように思います。特に、10歳までの時代のできごとは、ほとんど、無意 識化していますから子供側から見ると、よく分からない。たまに弟なんぞと話し すると、そういえば親父と遊んだ記憶なんかあんまりないなあと言うことにな る。親子関係は、繰り返しますから、子供に関心のない人は、実は、自分の親父 も子供に関心のない人だったということが多いと思いますよ。私の祖父がそうで したから。

こう考えてみますと、会社にしか関心がないと言うのは、逃げかもしれないの ですね。

子育ては、めんどくさい。妻との相手も疲れる。仕事が忙しいと言っておれば、何となく許してもらえるところがありますからね。私の知っている人 で、いつも帰宅が夜中という人がいました。ところが、その人が転勤して後任の 人は、忙しい時もありますが、普段は8時前には帰宅していました。要するに夜 中に帰宅する人は、会社にいるのが快適なんでしょうね。家にいるのがつらい。 事情はそれなりにあるのですけどね。  対話とか会話は、お互いに関心のあることについて話しあうわけなんですね。 関心のないことをくどくどしゃべられても、面白くない。帰宅して、仕事のぐち をあれこれしゃべったって、聞いてくれません。妻や子供は会社に関心がない し、また知りませんしね。一方、夫サイドから見ると妻や子供の会話には入って いけません。その世界のことは、関心がないのでなんにも分からないのです。お 互い、すれ違いですね。あっと思ったら、家の中では孤立しているのでありまし た。在職中は、これでも何とかなるのです。

問題は、定年後なんですけどね。定年退職後は、稼ぎがありません。用なしなんですわ。この前、あるオフ会があ りまして、ある主婦の方がこういう会合に初めて来たとおっしゃってました。ど うしてかと聞くと、旦那が許さないのだって。食べさしてもらっているのでしか たないとおっしゃってました。ということは、稼ぎがなくなったらどうなるか。 恐ろしい結末が予感されますなあ。
 

6.仕事ではなく会社だ


いろいろと考えたり見聞きしていると、サラリーマンという種族は、仕事をし ている人ではなく、会社で働いている人なんです。2年もすれば転勤する役人な んぞは、仕事の中身なんぞ分かるはずもありません。分かったふりをしているだ けです。郵便局長していて、電波監理局の課長に転勤。全然、職種が違うではあ りませんか。それを、不思議に思わないのが、日本の社会です。みんな同じこと をしているのでしょうね。

日本では、転職するのは美徳ではありません。この頃は、転職をする人が増え てきていますが、一つの会社一筋というのが美徳ではないでしょうか。その会社 でどんな仕事をしてるのかは二の次なんですね。有能で、自分を売り込む人は嫌 われます。おれは、こんな仕事をこれぐらい見事にこなすなんて言ってはダメな んです。転職を繰り返すのは、自分の能力をひけらかす最低の人間とみなされる おそれがあります。一つの会社で周りが自然にあの人は、仕事ができる人だと認めてくれるのを黙って待っておる のが無難な処世術なんです。私の知っている人で、何でこんな人が部長なんかい なと思う人がいっぱいいます。何にも知らない。知らないことについて恥じない。知らなかっ たって会社に忠節を尽くしておれば、世間を渡っていけると思っているのでしょ うね。要するに、会社、会社なんですね。
 

7.会社は藩である。


山本夏彦という評論家がうまいこと言ってますねえ。就職とは、会社という藩 の家来となることだと。年功序列と終身雇用制という制度は、江戸時代の幕藩体 制から来ているのでしょうかね。家来になるのですから、滅私奉公になるのです ね。転勤しろと言われれば、アラスカでも南極でもいとわない。どこへでも行 く。残業なんて夜中まででもする。そういう会社生活がいつのまにやら快感になってくのですね。会社と一体 化していくのでしょうね。

野末陳平さんの著書に出てくるのですけど、退職した彼の友人なんですけど、 在職していた会社の人事が気になってしかたがない。あげくのはてに、昔の部下 の転勤について、なんであいつを飛ばすのだ。一言相談してくれればよかったの にと嘆くのだって。笑いますねえ。会社の人事を退職者に相談しますか。しか し、笑えますかねえ。自分もそうなるかもしれないからね。総理大臣が誰になろ うと、市長が誰になろうとまったく関心がないのに退職した会社の事が気になっ てしかたがない。江戸時代ならよかったですねえ。隠居しても、藩士としての身 分は一生ありますから、藩の人事に関心持っても文句は言われませんからね。

こう考えると、ソニーあたりなら、大藩。私の勤務先なんぞは、ある鉄道会社 の子会社ですから、大藩の家老あたりですか。私は、その家老家の家来なわけで すわ。社会での自分の位置もこう考えると分かりますねえ。○○会社(藩)の部 長あたりだと、石高100石とかになるのでしょうかね。脱藩すると浪人ですか ら、退職した人は、浪人なんですよ。脱藩は、藩士からするのか知らないけど、 定年は会社からの脱藩通告なんですよ。浪人ですと、社会的な位置付けは不安定 ですねえ。江戸時代ですと、隠居という名の退職をしても、藩士の身分は残りま すから安定しています。現代では、退職は、脱藩ですから不安定なんです。制度 的には、年金制度が定着してきましたから、今後は、年金を受給するようになると、現代版隠居と言うようになるのかもしれません。 シルバー藩という藩の藩士になるのでしょうかね。

問題は、意識なんですけど。大半の人の本音は、隠居するにしても在職してい た会社での隠居制度を作ってもらいたいと思っているのではないでしょうか。ト ヨタあたりでは、定年を延長すると発表しましたね。60歳過ぎたら、支給額は 減らすけれども、希望者には雇用の場を用意するとのことです。トヨタ版隠居制 度ですかね。国という一体感のない組織から年金を貰うよりも、長年勤めたトヨ タというリアル感のある組織からお金を貰う方が精神的に安定するかもしれませ んね。

定年退職した60歳代から同窓会が活発になるのもこれで納得します。かつて 属した高校や大学との一体感を取り戻して、喪失させられた会社との一体感を補 償するのかもしれませんね。昔の同窓生が懐かしくなってくるのは50歳代の後 半らしいです。私なんぞは、今から同窓生との交友を再開してますけどね。私の 上司や先輩に聞くと、この現象は自然に起こってくるのだって。誰言うことなく いつのまにやらとりあえず同窓会でもするかと言うことになる。60歳は還暦で すから、還暦記念を兼ねてやりますかってなことになります。現に、私の上司 は、先般、還暦記念を兼ねた盛大な同窓会をされました。同窓会での話題は、当 然、昔の仲間の近況が中心になりますねえ。なに、在職中会社の連中と飲み屋で やっていたことと同じ事をしているのですけどね。どうせやるなら40歳代から やればよいのにね。その頃には、昔の同窓生の近況なんぞ関心がないからしかた がないのですかね。

日本には、イギリスやアメリカのようなクラブが育たないと言われます。クラ ブとは階級社会の産物とも言われますね。日本は、イギリスやアメリカと違って 平等社会だからとも言われますけどね。私に言わせれば、会社が代行しているの ですね。会社の中にクラブがある。自然発生的なクラブもある。別段、会社の外 にクラブを作る必要はないのです。スポーツのクラブ一つ見てもそうですね。地 域のサッカークラブなんてあんまりありません。会社内スポーツクラブはいっぱ いありますけどね。

保養施設なんて、あれもクラブなんですかね。伊勢のプライムリゾート賢島と いうホテルのある界隈は、日本を代表する会社の保養施設が林立しております。 ホテル並の施設ばっかりですよ。安く泊まれるのでしょうね。これが日本全国に あるのでしょうね。

大企業と言う大藩に入ってよかったと思いたくもなりますね。私の勤務先は、 家老藩ですから、そんな福利厚生施設はありません。しかたがないから、みんな でお金を積み立てて、社員旅行です。関西一円の温泉地は、だいぶ行きましたね え。一日目は観光、夜は旅館の温泉に入ってその後宴会。翌日は、ゴルフコンペなんですね。忘年会に初詣。

いろいろありますねえ。いゃー、会社生活は楽しいですね。
 

8.会社生活はやめられない


私の会社は、そんな会社と違うと言う方もおられるでしょう。しかし、会社制 度はその国の文化に根ざしていますから外見は国際基準でも中身は、日本版なん ですわ。程度の差はありますけどね。われわれは、仕事、仕事と言ってますけど 会社生活をしているというのが私の持論なんです。いゃー、私は医者だ、専門職 だと言う人もいるでしょう。

先日、クワ馬鹿の医師とお会いする機会がありいろいろとお聞きしました。その方は ある大学に勤務されています。どうも聞くと、医局制度と言うものがあり、教授 が絶対権限があるらしい。私には言わせれば、医局も藩なんです。教授は、その 医局藩の殿様なんですね。助教授以下は、家来なんでしょうね。ですから滅私奉 公する。行けと言われれば、僻地の病院でも勤務するわけです。いろいろあるで しょう。しかし、脱藩しないのは、その医局の外に出るのが不安なんでしょう ね。医学部は医局のあつまりですから、藩の連合体。医学部長は、将軍みたいな もんです。幕藩体制は、藩内は自治の原則ですから、医学部長は医局内について はなんにも発言しない。俗に言う、業界というのもこれなんでしょうね。要する に、会社と同じなんですね。

こう考えてくると、いかに会社生活がわれわれサラリーマンにとって大きなウ ェートを占めているかおわかりだと思います。会社人間なんて陰口たたかれる人 なんぞは、人生そのものなんでしょうね。

しかし、つらいことではありますが、いつかは定年という会社からの脱藩通告 が来ます。いつか、脱藩するのなら在職中に精神的にでも脱藩はできないのでし ょうか。次回は、そのあたりを考えてみたいと思います。


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