おっさんの人生(おっさんの人生設計)

生駒山


はじめに

 なにやら私も50という歳になっていました。今までを振り返りながら将来に思いをはせたいと考え、筆をとりました。私の歩んだ道は、会社という組織で働くサラリーマンと言われる道を歩んできました。自営業の人には違和感があるかもしれませんが、私の率直な考えですのでお許しください。


1.おっさんの20代、30代前半

 大体、会社に入社するのは22歳か23歳あたりでしょうか。この頃は、大学院卒業の方も増えていますので、25歳を過ぎるかもしれません。

 現代は、大学を卒業するのがあたりまえになってきています。この傾向は変わることはないでしょうから、まずまず20代前半あたりで新入社員になるわけです。

 まず、会社生活ですが、まったくの素人ですから研修から始まり見習い等々、一人前になるのに数年、独り立ちしてがんばるようになるのは30歳あたりでしょうか。私の会社の部下を見ていてそう思いますがどうでしょうか。

 体力は、一番ある頃でしょうか。少々の徹夜はものともせず、遊びでもがんがんと行ける頃です。

 お金は、親と同居している人や独身寮に入っている人など、給料は低くても生活には余裕がある人が多いようです。私のこの年頃の部下などは、皆親と同居ですから給料が即小遣いという人間ばかりです。このあたりでどれだけ貯金するかも将来の明暗を分けるかもしれません。

 結婚生活は、そろそろ始まる人が増えます。この時期は、適齢期が高齢化しておりますが20代の後半あたりから同期の人間で結婚する者が現れます。そして、30代の半ばあたりが終焉期でしょうか。

 結婚すれば、まずお金に困ります。妻からお小遣いが支給されるわけです。これでは好きなことができません。また、子供が産まれます。今は、一家庭二人が平均でしょうか。どんどんと出費がかさみます。

 この時期は、夫婦の両親は元気な方がほとんどでしょう。子供に援助する親が多い時期でもあります。


2.おっさんの30歳代半から40歳代

 この時期になると生活設計を真剣に考えます。そして、見通しを立てます。ところがこの見通しがあてになりません。三浦朱門さんの著書に「老人よ、花と散れ」という本があります。三浦さんは40歳で立てた見通しと72歳になった現在とはまるで違ったとおっしゃってます。

 私の経験ですが、私は晩婚で38歳で結婚しました。その時は、3LDKのマンションに住んでおり、ゆくゆくは一戸建てでも買うつもりでした。そして、39歳で長女が誕生し、41歳で長男が誕生した頃、父親が同居を提案しました。そこで、41歳の歳に両親と同居したわけです。

 その時に思い描いた将来は、このまま我慢して同居する。50代の後半には両親は死んでいるから、その時はこのままこの家に住む。定年の60歳あたりで建替えでもするかと言うものでした。

 ところが、私が43歳の頃から母親が痴呆になり介護に追われる日々が始まりました。 私の子供はまだ小さかったから、子供を妻の実家に預けたり、母親の徘徊を見張るために夜は母親の寝室の隣で寝たりしたものです。なにやら毎日が疲労の中で過ぎていきました。そして、私が46歳の時に、母親を特別養護施設に預けました。日々の介護から解放されてほっとしたものです。

 そうして、父親との同居が始まりました。いろいろとあり途中経過を省きますが、結局我々が出て行けということになりました。1996年、47歳の秋です。12月24日に引っ越しを予定し準備をしていたら、12月10日に妻が歩道を歩いていて車に追突され重傷を負いました。そのまま翌年の4月1日まで入院生活です。この間は、本当に大変でした。ここらあたりは、何時間でもしゃべれますが、省略します。

そして、妻の退院に合わせて1997年の3月末に現在の家に引っ越ししたのです。

 こうしても見ると、40歳あたりの見通しなんてほんとあてになりません。つくづくそう思います。私の勤務先の会社の社長は50代の後半に大病されました。社長が私の妻が事故にあったときに、「一寸先は闇だよっ」ておっしゃいましたが、ご自分の経験をふまえての発言だったのです。

保阪正康さんの著書に「晩年の研究」と言う本があります。何人かの方の人生が描かれているのですが、ある建設会社に勤務されていた方は、定年退職後までを見据え、貯金、結婚等を実践されてそのとおりになったそうです。しかし、そんなに人生うまくいくのでしょうか。その方は、おれはついているのだという考えでしたのでそうだったのかもしれません。しかし、大半は裏切られるように思いますがどうでしょう。

要するに40代は、激動の時代かもしれません。それと、自分の会社での将来もおぼろげながら見えてくる頃でもあります。同期の中で、あいつが先に課長になった、あいつにも抜かれたといってやけ酒を飲むのもこの頃です。特に、この頃は、選別が早くなってきました。40代に入るかぐらいで、子会社に出向するようになってきました。そのまま子会社でがんばりなさいということなんですかねえ。

また、元気だった親も病気になったりします。親も60代から70代に入っていくからです。私のように介護の問題に直面する人も出てくる頃です。

子供もどんどんと大きくなり出費もどんどんと増えます。しかし、このままではダメと一戸建てをローンを組んで買うようになるのもこの頃です。50代に入ったら遅いですからね。先日、朝日新聞を読んでいたら、そごうに勤めていたある人の記事がありました。この方は、現在52歳。木更津そごうの総務部長だったそうです。この人が、家を買ったのが46歳だそうです。私が47歳で買いましたからからそんなものでしょう。

問題は、ローンの計算どおり将来が行くとは限らないのがつらいところです。このそごうに勤めていた人は、退職金をローン返済にあてるつもりだったそうです。こうなるとローンを返済できるのか、眠れぬ日々が続くのでしょうね。


3.恥多き40代

私の経験やら皆さんの経験談を聞いていると40代はほんと大変な時期ですねえ。

会社では、中間管理職として心身共にすり減らす時期です。そして、同期との競争で勝った、負けたと悩む時期でもあります。それでも何とか巻き返してるやるとがんばる時期でもあります。また、会社もそれを望んでもいます。

しかし、体力は低下の一途です。そろそろ体に赤信号が出る時期でもあります。私の友人は、47歳でくも膜下出血で緊急手術をしました。この男、甲府市に住んでおり今は、元気なんですが、50近くなると無理は禁物と話しております。

そして、はっと振り返ってみると会社にどっぷり浸り家庭を顧みない会社人間になっている姿が浮かびます。夜の10時、11時まで会社にへばりついているのがあたりまえになっているのです。言葉を換えると会社依存症という病気に感染しているのでありました。


4.そして50歳

40代の後半あたりから、このままでいいのだろうかとふっと思いますが、日々があまりにも忙しく、ゆっくり考える余裕もありません。そして、気が付いたら50歳になっているのでした。

三浦朱門さんがおっしゃってますが、50歳になると将来がほとんど確定されてきます。なんせ、定年が10年後とはっきりしてきます。今はたいていの会社は定年は60歳ですからね。後は、引き算ですからね。51歳になったらあと9年ですからね。

そして、なによりも会社での自分の位置づけがほんとにはっきりします。子会社に出される人、子会社にもいろいろありますから出された子会社による選別もはっきりします。本社に残る人も役員コースの人と、子会社に出せないので社史でも編纂しておれと閑職に回される人。こうなると同じ同期でも、やっと部長の人と、局長さんになって将来役員になる人とかくっきり差が出ます。

この差は、実は40代前半でぼちぼち出てはいたのですが、その頃は、なんとか巻き返しできるのではという一縷の望みを持っていた時期なんですね。まだ、希望がかすかにあったのです。もう50歳になったらお終いです。それと、役員になっても65歳あたりが定年ではないでしょうか。社長あたりは70歳ぐらいまで会長などになって現役ですが、それ以外の役員は65歳あたりでリタイアになります。私の勤務している会社ではそうです。

60歳定年は、会社員だけでなく、教員あたりもそうです。私の学生時代の友人で、小学校の教師をしているのがおり、先日久しぶりに電話したら「後10年」ですわ。

公務員も60歳ですから、奈良市役所に勤務している中学校の同窓生に会ったら「後10年」です。

それでは、なんでみんなが一様に「後10年」と言い出すのかですかですが、これはその人の仕事の中身もあるでしょう。だんだんと管理職になってきて、暇になってくることもありましょう。また、家庭でも子供たちが大きくなり、静かな家になってくると否応なしに自分の将来を考えることになるわけです。


5.企業は生き物

この頃、シルバーの方のホームページか増えています。定年退職後して余裕ができた時間をインターネットに使おうというのでしょう。私の勤務している会社はケーブルインターネットもしていますのでよく、申込者のお家に契約に伺います。そこで思うのですが、50代以上の方が非常に増えています。私は、契約書をチェックする立場でもありますので毎日チェックしていてそう思います。

それで、この頃シルバーの方ともインターネットでの交流を始めました。そこで思ったのですが、現在60代から70代の方は、定年退職については早い時期から意識されている方は少ないように思えます。これは保阪正康さんも著書で同じ意味のことをおっしゃっていました。要するに定年後に、どうするか考えたという人がほとんどだと。この世代は20代、30代は大変苦労された世代です。しかし、50代から退職時あたりについては、あまり苦労されていないと思います。なぜか、会社に余裕があったからです。

私の親父や嫁の親父に聞いても50歳の頃に、定年後についてあれこれそんなに悩まなかったと言います。そんなことより、体を鍛え、勉強して上を目指すようにがんばっていたわいとのご返事でした。実際、会社はどんどんと大きくなりましたからこのご両人、能力もあったのでしょうが70歳まで現役でした。要するに入社時よりも会社は大きくなっていたわけだから、必然的にポストも割り振りできたわけです。私の親父の同期入社の方も、70歳近くまで現役の人が半数いました。

ところが時代が下がってくると、こんなわけにいきません。団塊の世代以下になると悲惨な状況になってくるのです。赤字会社が続出してきます。利益が出ないのであれば経費を削るしかありません。削って削って、それでもダメなら人件費の削減になってきます。リストラですね。ポストを減らすだけでなく、早期退社勧告です。俗に言う肩たたきなんですな。最初は、50歳代後半から始まり40歳代まで下がってきます。私の属する会社のグループも盛んにやっております。まず、ボーナスカット、次が本棒カット、年棒制というシステムもありましたな。言葉はどうでも人件費を削減することに間違いはありません。今までなら、年相応に昇給すると思ったら年下に負けていたというのもあたりまえです。おいおい、ローンが払えないじゃないか。昇給を見込んだローン返済計画は立ち行かなくなります。会社に残していただけるのならまだ、まし。退社勧告もざらになります。

そうなんですね。会社も生き物だったのです。永遠に大きくなり続けるはずなんてなかったのです。こんなこと、あたりまえだってみんな漠然と思っています。しかし、自分の身に降りかからなければぴんとこないのではないでしょうか。私にしても、他のグループ会社の業績なんて聞かされても正直関心ないですしね。

団塊の世代前後あたりから、リストラが直撃するようになり、このままで生きていけるのかとの不安が芽生えてきたのです。それと少子化現象により年金制度の破綻も予想されます。私の部下の30代の連中と話しすると、私ら60代になってももらえないのと違いますかと言います。

残念ながら企業に依存していては未来は暗いものになるようです。考えれば、この世代は入社から考えてみるとどうでしょう。私の親類の男は大手の鉄鋼会社に就職しました。びっくりしたのですが、大学を卒業し会社の寮に入るのに引っ越し費用を会社が出してくれたのです。独身寮も完備して、朝飯晩飯付いて月2万円程度。結婚したら3LDKの社宅が用意されていました。借り上げマンションですからなかなかのものでした。 年収もうなぎ登りですから40歳にならないうちに1000万円を突破していたと思います。大手の都市銀行なんてこんなもんではないでしょう。人間、こんな生活に慣れると当たり前に思うのでしょうね。それが、40歳も半ばなってきてリストラ。急にそなこと言われてもというのが正直なところではないでしょうか。


6.老いの志と設計

三浦朱門さんが、40歳になれば老いを志し、50歳になれば老いの設計を始めるべきだとおっしゃってます。至言ですなあ。確かに、40歳で立てた見通しと現実が狂うことは多々あるでしょう。しかし、なりゆきで生きていけるほど現代は甘くないと思います。村上龍は日本にはなんでもあるが、希望だけがないと言います。そうかもしれませんなあ。しかし、在世の濁流に身を任せてしまったのです。妻子を養う人生を選んでしまったのですから、先のことを考えなくてはならないでしょう。

先述しましたが、30歳後半あたりから体力ががくんと落ちてきます。私なんぞも、それは実感しました。しかし、自覚せずに放置する。暴飲暴食とオーバーワークです。

これが、40歳代後半から体に病気というかたちで現れてくる。どうするか。運動するしかないのですな。それと、腹八分目。

三浦朱門さんの場合は、ランニングを40歳代半ばあたりから始めたそうです。私の知人で、現在50歳の男がおりますが、これがウォーキングマニアなんですな。毎日2時間は歩いているのです。歩くとインスピレーションがわくとか何とか言ってます。こんな男でもできるのかいなと私も始めたらあらら。はまってしまいました。今や会社から自宅まで歩いております。ウォーキングも20分ぐらい歩いた頃から効果が出るらしいですな。私の実感でも、このあたりから気持ちがよくなります。サラリーマンはゴルフが好きです。しかし、月1回がせいぜいでしょ。こんなものでは、運動にはなりませんな。それと、運動していると自然と食べる量は減ってきます。暴飲暴食はある種のストレスから来るからかもしれません。運動しているとストレス解消になりますからね。

食事については、非常に大事です。私の同僚で腹が大変出ている人がいますが、原因はオーバーワークと深夜の食事です。これが一番よくないですな。分かっているけど止められない。そうかもしれませんが、なんとか是正したいものです。それに、この頃は肥満の人は出世できませんよ。自己管理のできない人間との烙印を押されますからね。

頭がはげるのは自己管理できないけれど、肥満は自己管理できますからね。出世したい人、寝たきり老人になりたくない人は腹八分目を勧めます。それと、深夜の食事の禁止ですな。

次に経済基盤の確立ですな。年金の本とか定年関係の本などをあれこれ読むと、定年後のゆとりある生活をするためには、1億円の預貯金が必要とあります。これは現行の年金制度を前提としていますから、お若い方はもっと預貯金が必要てすね。こんな事は遠い先の事だと悠長に構える若い人が多いですけどね。一生ブータローでいいなんて言う高校生が多いらしいけど、何を考えているのでしょうか。人生なんとかなると思っているのでしょうか。

家のローンを払い終わって、1億円の預貯金を持って定年を迎える。こういう経済基盤がないとゆとりある老後生活はできませんよ。年金制度は年とともに悪化していますから、1億円でも危ないかもしれません。

そうすると、40歳あたりでそろそろそのあたりを視野に入れて生活設計を始めないと間に合いませんよ。家のローンを退職金で払ったら何にも残らないなんてなローン計画をたてる人の頭を疑いますな。そんな計画しかたてられないのなら、持ち家は諦めたらよいのです。なんで、持ち家にこだわるのでしょうか。私は奈良の田舎に住んでいますから、中学校の友人なんかは、農家の出身が多いのです。こんな男は奈良市役所とか農協とかに勤めるのですわ。給料は大企業のようなわけにいかないが、家は先祖伝来のものがあるし、米やら野菜なんぞも自作ですから、お金がそんなに出ていかないのですわ。内実は豊かなんですね。こう考えると家にかかる出費がいかに大きいかわかりますなあ。なんせ、都会だと6千万、7千万円なんてなお金を出さないと一軒家なんて買えませんもんね。40歳にもなれば、会社の将来性やら自分の会社での位置も分かってきますから家を買うかどうかも含めた経済計画をたてることが可能だと思いますけどね。

「いゃー、私は転勤の連続なんで家の事なんて」と言う方も多いでしょう。こういう方はとりあえず、持ち家は諦めたらどうでしょうか。何度も言いますが、持ち家にこだわる必要はないですよ。私の周りでも、70歳過ぎて持ち家売って、駅近くのマンションに引っ越しした方を何人も知ってます。駅から遠くて買い物は車でなければ無理なんてな一戸建ての持ち家は、老後はしんどいですよ。私は、仕事柄あちこちのお宅に伺いこんな愚痴をよく聞かされています。

私なんぞは、残された時間は少ないですから大変ですけど、やっぱり40歳の半ばにあれこれと検討しておりましたな。親との同居生活が10年ほどありましたが、先の事を考えて必死に貯金しましたな。おかけで、家のローンは大変楽になりました。

理想を言えば、50歳半ばあたりまでには家のローンを完済し、貯金と退職金で1億円という経済計画を達成できればいいのですが。シルバーの方とお話ししていると昔は定年が55歳でしたから、55歳を前提の計画をたてておられた方が結構おられます。現在なら60歳ですな。その後の役員生活もあるではないかって?。40歳にもなって自分が役員になれるかどうか分からないなんてな御仁は間違いなく窓際族ですな。自分を客観視できない人ですわ。可能性があると思う人でも計画は60歳にすべきですな。それで計画たててもとても老後がしんどいてな結論が出たなら、再就職も検討しなくてはなりません。ホワイトカラーで事務職の人なんぞは、何にも特技がありませんから、再就職は厳しいと覚悟された方がよろしいですな。かくいう私も、今からどうするか自問自答しております。

再就職する場合は、前の職場での自分の肩書きにこだわっているとダメですなあ。いろいろと聞くと、新入社員の時の気持ちであたると道が開けるとのことです。60歳から再就職しても、給料は多くは望めませんな。まあ、高卒の新卒の給料ぐらい貰えたらよしとすべきではないでしょうか。それがいやなら、早くから特技を磨いておくことですね。


7.趣味の勧め

さて、老後の経済基盤もしっかりできたとしましょう。無事定年を迎えたわけですね。

ところが、定年後鬱病になる人が多いのです。悠々指摘のはずなんですがね。こういう鬱病を定年病ともいうらしいです。実は、こういう人は現役中は会社依存症という病気に罹病していたのですな。無趣味で家庭を顧みず、ただひたすらに会社が居場所だったのです。その会社から定年という強制退去を命じられたのですが、はっと気が付けば居場所がなかったのですな。

会社って、居心地のよい所なんですよ。経費で飲み食いはできるし、遊びだって声をかければ誰かがつきあってくれる。仕事も適当に緊張感がありますな。日本は何だかんだといっても年功序列ですから、若い者もこっちの言うことを聞いてくれますしね。こんな居心地のよい場所に長年生息していたのですから、外に放り出されても適応が大変なんてすわ。

定年後は、とにかく大変なんですね。なにが大変なのか。まず、第一は社会から捨てられたという喪失感です。名刺がなくなるのですな。日本は、肩書社会ですから名刺がなくなるのは大変寂しいことです。ここらあたりは自営業の人は強いですね。逆に言えば、名刺で仕事をしていなかったのかもしれません。

第2は、居場所であるはずの家庭に居場所がなかったことの発見ですね。実は家庭は奥さんの居場所であったのです。現役中に奥さんや子供とコミュニケーションがあればまだ救いがあるのですけどね。すべて奥さん任せの人は、手遅れですね。毎日が日曜日で稼ぎもない老人の三度の食事なんて奥さんからみたら苦痛以外のなにものでもないでしょうね。私のおつき合いしているシルバーの方は、現在74歳の方ですけど、主夫をされています。奥さんが介護で体をこわされたこともありますが、こうなってくるとこの方は家庭でも頼りにされるわけで家庭が居場所になるわけですね。ちなみに、私は料理教室に通うか悩んでおります。そんな所に通わなくても自分でレシピを見て作れって嫁に言われるのですけどね。

第三は、一番の問題なんですけど、生き甲斐の問題なんですわ。することがないのですね。毎日毎日が日曜日になるわけです。現役中は日曜日にすることがなかった人ほど定年後は大変らしいです。

皆さんのお父さんはいかがでしょうか。生き生きとやっとりますと言うお父さんは、実は現役中から会社の外に居場所があった人なんですわ。私は仕事柄、地域のお宅を伺え機会が多いですが、定年後することがなくてという方が多いですな。そこで、定年後に趣味でも探そうという方が多いのです。いや、もう一度再就職だと悶々されるのですね。そうしているうちに、数年が経過してしまうケースが多いのです。野末陳平さんに言わすともったいないというわけです。それに、定年後に趣味を探すのも遅いとおっしゃってます。

どの世界にも序列というものがありますな。趣味の世界でもそうなんですわ。例えばクワ馬鹿の世界なんて、若い方が多いですから60歳過ぎのおっさんが参加したと言われても、ちょっと迎えるに躊躇するし、参加する側も若い者に偉そうに言われたくないでしょうしね。私の経験から言うと、クワ馬鹿の世界は古い世界ですけど、昔は細々した世界だったのですね。広がってきたのはインターネットの効用ですね。ネットの力が大きいのです。

私はクワガタ飼育や採集歴は短いのですが、ネットの世界にはわりと早い段階から参加していたのです。今は、クワガタのHPはそれこそ無数にありますけど、私が参加した頃は、ほんとに少なかったのです。 ですから私なんぞも、いつのまにやら古参になっていたのですね。おかげで、この原稿を早く見たいと催促していたたげるような存在になりました。今年は、北海道に旅行したのですが、わざわざ宿泊先までクワ仲間が会いに来てくれました。ありがたいことですね。こうなってくると、趣味は人生の死活問題ですね。


8.人脈

これは趣味の問題と大いに関連するのです。趣味って仲間が必要ですね。趣味って遊びだから遊び友達がいるわけですね。私の経験から言って、友達は遊び友達が一番長くつきあいしています。会社の人脈なんて、退職したら切れますね。私の近親者で会社の役員をいた人が何人かいますが、退職後は見事に会社のつき合いはなくなりますなあ。 この落差は、恐ろしいものですよ。まず、中元、お歳暮、年賀状がなくなりますなあ。 それから、交流もなくなります。現役中に死んだ親の葬儀と退職後に親が死んだ場合の参集者の数の落差はがっくりきますなあ。要するに会社関係はほとんど来ないからね。

しかし、寂しがっている本人も現役中に退職した先輩の家にでも遊びに行ったのでしょうか。歴史は繰り返しているのでしょうね。それに、会社関係のおつき合いは会社という集合場所があってはじめて成り立っていたわけです。定年後は、年1回ぐらいのOB会ぐらいのつき合いになってくるわけです。この原稿を書いているときに、お仕事を通しておつき合いがある78歳のシルバーの方が来られました。いろいろ話ししていると月に1回麻雀をしているのだそうです。そのメンバーは、一人は79歳、残りは60歳代なんだそうです。楽しみなんだそうです。歳だから午後10時には終了ということで集まるらしい。これも遊び友達ですな。麻雀をしながら嫁や息子の悪口を言っているのかもしれません。

しかし。これも楽しいではありませんか。私なんぞも、クワ仲間と会って採集したり飲み食いしますけど、クワガタばっかり話題になるわけではありませんからね。まあ、まだ現役ですから会社の悪口や悩みなんぞも出てきますな。これはこれで楽しいのです。結局、趣味を通して人と交流することに喜びや楽しみがあるのではないでしょうか。

趣味を持て持てと言われますが、結局は趣味を通した人との交流が人間が生きていくために大事なんでしょうね。そうであれば、会社外の人脈を積極的に開拓していかなくてはなりません。これは待っていても人脈はできませんよ。

私の経験でも、近畿のクワ馬鹿の最初のオフ会に参加する時は、ほんとに躊躇しましたよ。なんせ、こちは歳を食っているからね。ありがたいことに暖かく迎えていただいて今もおつき合いさせていただいております。この時に、こっちが動かなくてはと思いました。待っててはダメだと。 これはネットの交流でもそうでして、フィーリングが合った人のHPを発見するとどんどんとメールするのですわ。返信がない場合が多いのですが、いつのまにやら交流を続けている人も多いのです。そして、オフ会でも参加したらまた交流が深くなりますね。

それと、趣味の世界ですから楽しくいきたいですね。ところが、もめるのよね。聞いてみたらつまらないことでもめている。もうあいつとはつきあわないとかね。いがみ合うのよね。趣味を通した人脈が自分の人生にとっていかに大切な存在だと自覚したらそんなつまらないことでいがみ合うこともないと思うのですけど。

趣味の世界のおつき合いは、世代を越えるおつき合いが素晴らしい。同窓生のつき合いも楽しいかもしれないが、同じ時代の空気を吸った人間のつき合いですから刺激がありません。回顧的になりますな。若い方とつき合うことは生きる勇気を与えてくれます。 反面、先輩とのおつき合いは、生きるための指針を与えてくれます。どちらも必要ではないでしょうか。


9.結び

もう少し、生き甲斐の問題について掘り下げてみたかったのですが、締め切りの問題もあり、お許しをいただければあらためて書いてみたいと思います。仕事、趣味、家庭等々考えてみたいと思っています。

今回は、年代記みたいなものになりました。表題は「おっさんの人生」でしたが、おっさんの人生設計にしてもよかったかもしれません。できれば、30歳代、40歳代の方に読んでいただければ幸いです。

先日も、35歳の部下が結婚等の問題の悩みについて相談に来ました。考えれば、その男、定年まで25年しかありません。結婚して、子供を育て、老後の生活を平穏に過ごしていくにはスタートは遅すぎると言えるかもしれません。結局、平凡な人間にとっては、人生設計は大事なことだったのですね。

 

今回の私の一文が、皆さんにとってなんらかの参考になれば望外の喜びです。掲載していただいた、菅野編集長に感謝申し上げます。


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