《 進化は、変わるべくして変わる! 》

書評:『ダーウィンを越えて』
今西進化論講義

  今西錦司  吉本隆明 著    朝日出版社

Jimmy

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『ダーウィンを越えて』

 


 私の書評も、いよいよ今回で最後になりました。そこで、最後を締めくくる一冊として選んだのが、今回取り上げる『ダーウィンを越えて−今西進化論講義』です。

 クワガタの個体変異や地域変異について、様々な考え方があるなかで、その根底に流れているダーウィン流の進化理論が、自然科学的に証明されたものでも何でもない、単なる一説に過ぎないことを、この本を通じて認識していただきたく思い、取り上げました。世間一般の常識が、いかに脆弱な土台の上に築かれているものか、知っていただければ幸いです。

 そもそも、ダーウィンの進化理論と言えば、『種の起源』に記されているように、知る人ぞ知る自然淘汰説であり、適者生存説なのですが、それを証明する化石等の証拠は、何一つ得られていないのが現状です。

 『種の起源』によると、進化は種個体、あるいは少数の種個体から始まると考えられており、この特定の種個体のことを、今日のネオ・ダーウィニズムでは突然変異と呼んでいます。
形態にしろ行動にしろ、この突然変異によって発生した個体が他者と比較して、生存するための優位性を持っていること、すなわち適者である場合にのみ競争に勝ち残り、その反面、生存競争に敗れたものは死滅するというのが、ダーウィニズムの本質であると言えます。
しかし、この考え方は、もともとイギリスの経済学者のマルサスが、その著書『人口論』で述べた考え方を援用したことに過ぎず、人間社会の現象を生物社会に取り入れただけと考えられます。

 そもそも、マルサスの人口論(正確には人口の原理と訳す)とは、「人口の増加は等比級数的であるのに対し、食料の生産は等差級数的にしか伸びないから、一部の人間の貧乏・飢餓は一種の自然現象として不可避である」と言うものであって、適者生存、自然淘汰(自然選択)を社会理論として唱えたものですが、資本主義が勃興し始めていた当時のヨーロッパには、この考え方は非常に都合が良く、ここちよく思えたに違いないありません。そして、その流れは現代まで連綿と続いているのです。

 「進化は歴史であって検証できない」と、イギリスの哲学者ポッパーが早くから唱えているにも関わらず、ダーウィンの進化理論がすでに検証済みのように認知されていることは悲しいことです。誰しも学生時代、生物の時間にダーウィンの進化論を学んだことがあると思いますが、教科書に書かれていることがすべて正しいとは限りません。むしろ、そのことを疑ってかかることが真の教育だと思うのですが、今日の偏差値教育社会では、夢物語でしょう。


 さて、すでにご存じの方も多いかと思いますが、今西錦司氏は日本の社会人類学、生態学の草分けで、サルの研究を通じた霊長類の研究の指導者でもあり、有名な登山家としても知られています。

 今西氏の進化理論は、『棲み分け理論』と呼ばれるように、「進化とは、種社会の棲み分けの密度化であり、個体から始まるのではなく、種社会を構成している種個体の全体が、変わるべきときがきたら、皆一斉に変わるのである」と言う表現に要約できるかと思います。

 正確さを欠くかもしれませんが、「ある種から新しい種が生まれても、従来種は駆逐されることなく、新しい種と共存してゆくものであり、その発生事態も突然変異などによる偶発的なものでなく、環境の変化などによって、時期が来たら複数の個体が、あたかも化学反応のように、同時多発的に変化してゆく現象が進化である」と、言い換えることができそうです。

 ダーウィンの進化理論が競争原理に基づいているのと比較して、今西氏のそれは共存原理に基づいていると解釈することが可能ですし、特徴だとも言えます。どちらが正しいかは、最初にも述べたように、検証することができないので、決めつけることは出来ませんが、それぞれ違った進化理論として認めて行くのが、現状では妥当なのかと思いました。

 私が今西進化論を知るきっかけは、学生時代にクラブで山登りをしていた時に、先輩から有名な登山家として名前を聞いたのが最初だったのですが、氏の著作を読んで行くうちに、その独創的な理論に魅力を感じるようになりました。
氏は、賀茂川に棲息するヒラタカゲロウの生態を観察するうちに、この理論を生み出すヒントを掴んだようですが、私もクワガタを採集しに行く度に、同一地域にいろんな種類のクワガタや、その他の昆虫が共存している事実を見る限り、進化とは棲み分けの密度化であると言う氏の考え方を、個人的に支持しています。
それに、我々の見る生物的自然が競争の場でなくて、種社会の平和共存する場であるという考え方に、否応なしに共鳴してしまうのも、性格から来るのかも知れません。

 競争が好きで、勝ち負けを最優先する人々には、受け入れ難い考え方だと思いますが、クワ馬鹿最後の投稿として紹介させていただきました。

最後まで読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。 さようなら!



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