あ と が き

 

 私がこの本の初版『償われぬ青春』を書き上げたのは、一九九二年四月二八日で、私が六九歳の年である。この時、終戦から既に四七年の歳月が経っていた。この間、私が過ごしてきた戦後生活の諸々の面で、折にふれ一日たりとも忘れることがなかったのは、やはりシベリア抑留生活の実体験であった。

 それは飢えと寒さと重労働の「シベリア三重苦」の中で過ごしたことが、私の心に刺となって残り、四季の移り変わりは勿論、事あるごとに思いにじみ出てくるのであった。その体験のある一面では、その後の人生で心の糧となったともいえよう。したがって、この著の中で、シベリア三重苦のみを決して誇張しようとは思わない。

 私が年少時から青春期にかけ生きた時代背景と、その時代のなかで軍政に恰も翻弄されながら生きてきたことを記しておきたかったのである。敗戦直後、俘虜として無抵抗のまま騙され続けてシベリア連行されたときの兵士の心境に、帰国後、新聞雑誌に掲載されていた記事の中で、関東軍兵士・軍属と在満胞人の棄民説を重ね合わせると、これがたとえ風説であったとしても誠に許し難いことである。

 また、一九九七年最高裁が、シベリア抑留訴訟の上告を棄却した。判決は、「大戦下では国民のすべてが多かれ少なかれ、生命、身体財産の犠牲を余儀なくされた。これらは国民が等しく受忍しなければならなかった」と、 国は自らの責任を回避して他人事のように言い抜けている。これでは、辛苦に耐えきれず、むなしくシベリアの土と化した六万余にのぼる抑留兵士の御霊が浮かばれないし、未だ生存中の抑留者には戦後は終わっていない。

 再版に当たり『流転の旅路』と改題した。当時を追憶するには、余りにも年月が経ち過ぎ、そのうえ、私自身の心境にも風化がみられ、体験の実態描写には掘り起こしが浅く程遠いものとなった。

 

                               二〇〇〇年八月十五日 自宅にて擱筆