一〇 ソ連軍の参戦を知る

 

 八月九日朝七時頃、病室前の廊下沿いの洗面所で洗面中、頭上のスピーカから、臨時ニュースで、ソ連が対日参戦した旨を慌ただしく放送し、既にソ連軍はソ満国境を越え侵攻中であり、国境守備隊と抗戦中であると伝えた。これを聞いた私は全身に戦慄が走った。今の今まで若しやとは思っていたが、それが現実となったのである。病室内も一時騒然となり、独歩患者達はあちこちに集まり、それなりに戦況分析を始めた。どのグループの話でも、現在の国境警備隊の戦力では到底抵抗しきれず、ソ連軍が間島市まで侵攻するには、数日を要しないだろうと結論付けていた。

 実戦経験が無く地理的にも不案内な私は、どうなることか心配で、ただうろうろ歩き回り兵士達の話を聞いていた。その日は午後になってから、患者達も少しは落ちつきを取り戻し、ベットで横になる者が出はじめた。私も今の体ではどうすることも出来ないので、成り行きに任せるしかないと観念をした。しかし原隊では既に臨戦体制に入っただろうか、それにしても、実戦に役立つまでに通信教育が仕上がっているだろうか、又兵器らしいものが殆ど見かけなかったが、どの様な抗戦手段がとられているのだろうかと、色々と考えていた。

 ソ連軍には赤十字の名において、この病院に攻撃を加えないという保証は全くない筈だ、やはり修羅場となることを覚悟すべきだろう。その夜から院内には燈火管制がしかれ、固唾を飲む様な緊張した療養生活が始まったのである。ソ連軍が侵攻開始した三日後に、院内では緊迫した情報が次々と流れ始めた。北満の東寧の守備隊が全滅し、牡丹江もやられたとか。又東満洲の揮春も壊滅し、間島市に向かって侵攻してきているとのことで、ソ連軍が間島に侵入するのは、最早時間の問題であると云う情報であった。しかし病院当局は、この緊迫した状況下にありながら、対応については何らの指示も無く、患者だけが勝手に右応左応していた。病院当局としても既に成す術が無かったのであろう。一四日の朝方、病室から外の気配を見ると、病院周辺にも相当数の兵士が緊迫した臨戦態勢をとり、病院の警備体制に入った。夜に入ってから、院外の気配は一層緊迫感を増していた。院内消灯後耳をすまして気配を伺っていたが、未だ砲声は聞こえてこなかった。