伊豆下田温泉
  平成16年6月、 山中湖畔にあるリゾートトラストのハイメディックでの検診を終えて妻と伊豆半島の観光旅行に行きました。 天気予報は明日から雨時々曇りの予報、しかし、私たちには雨具は必要なしがここ40年の経験値である。 三島の駅前でレンタカーを借りてまずは柿田川湧水へ、滾々と沸きいずる富士の恵みを眺めみて、わが身の貴、穢れ流さん。 妻の十八番、天城峠、旧道を15分、自動車で果物を販売しているおじさんにシャッターをお願いし主の白と記念写真、曰く、いつの頃からか白は旦那さんの帰りを毎日ここで待っている、10年前にこの世を去ったのを知らずに。−−−。 日本で1番早く咲くと報道されている’河津の桜並木を観られ、見つけた、偶然に、ここかー’わかった今度は来れるようにがんばるぞーと一声。少々迷ったが城が崎のつり橋に到着、映画の撮影にもよく使われるところで、白色で小さい灯台(門脇灯台)とその脇から岬をつなぐつり橋が絵になります。福井の越前岬にある東尋坊の小型版ですね、民話が書いてありましたが城が崎のいわれでなかったので割愛します。しかし、飛び込み自殺で壱名を授かっているそうです、覗き込んでみると飛んでみたくなります、引き込まれるという感じ。。まだまだ、この世でしたいことが沢山あるので後ほどに。 理解に苦しむ道路標識がありました、’一方通行の入り口の標識ですが、但し書きが”普通車 軽車両を除く”。。 単純に考えると、自転車、二輪車、大型車はだめということのようだけど、単純に”大型進入禁止”で良いと思う、二輪の人も私も迷いました入って良いのかどうかを。 閉まっている多数のお店を眺めながら下田へ、到着後、お抹茶と水菓子を頂きお部屋に、ごく普通の和室でしたが仲居さんがとても気さくで落ち着けましたしいろいろ教えていただきました。 ただ、フロントとか玄関周りの人の対応が今ひとつで、私も玄関に入っても出迎えが、5−6分反応なくベルを鳴らさないと出てこないのは客商売の基本がなったいないと思う、”悪いがつぶれても当たり前”である、次はこの旅館にはこない。 泉質は弱塩質で低粘質の透明の湯でした、1階のロビーのすぐ下が露天風呂で写真撮るのに出て行って上を見たら目と目が合って見られてしまった。 翌朝は9時出航で、熱海経由大島行きです、仲居さんの計らいで伊東港まで送っていただきました、こんな細やかなサービスをされているのになぜ昨日はーー出来なかったのでしょうかわかりません。 大島に行きたかった理由は、両親が3度大島に訪れて、三原山の噴火口であんこの衣装を着て馬に跨り記念写真、妻と記念の写真が希望だったが、平成 年の一条の噴火で観光客が激減、馬は死んでしまうしで、見るところ、見せるところが無くなり衰退の一途でした。 島内を貸切で15時半まで¥15000でお願いしたタクシーの運転手さんが事細かく案内をしてくれました、結構自分勝手でしたが、私たちの旅ではこんなのが好きです。馬鹿話をしながら、町内の方々とちょっとした井戸端会議なんかして。 この地層のうねりは140−150万年前ほどになったもので、地層研究の材料になりいろいろ発見されたのは良いが拡張工事が20年遅れています。こんなところにも廃熱を使った島内格安共同温泉がありました隣の焼却場のボイラー熱を使っているとの事だけど、いまは、いろいろ施設のある有料温泉にお客を取られて、閉館同然だそうです、もったいない。 良かった事が静岡県にあります、それは、明治のときに当時は伊東市三原村だったそうで、当時も赤字なので合併はいやだと東京都に赤字とともに渡したそうですこの時点で、伊豆諸島硫黄島まで東京都に編入。 椿油を栽培収穫しているのは高田さんの家だけで本物は真黄色でドロドロしている、東京都から補助を頂いて保存に努めているとの事で、オリーブ油が売れて椿油が売れないのはなぜ? 宣伝をしていないし、発注が多くなりすぎても対応できないためかな。 話は変わりますが、一条噴火の時の噴火口の列ですが、当時の風の吹き方で手前の桜などが枯れないで、噴火口から風下は今でもこんな植物(名前を聞いても知らんふり、知らないのだろうね)がほとんどで、木々は土が表面にないため今でも生えないとの事だ、納得はする、植物学者さん合ってます。 いっぱいいろんなんことを雑学として知識にして、羽田に飛びました、今回JALさんの特別な計らいで、別のバスで2人だけ乗ってトランジェット、JAL便で伊丹に飛びました、有難うございました。また、東大阪のJTBさん有難う無理を言いました、航空券が取れなければすべてキャンセル、料金を支払わない2週間前までにまとめるように。