道後温泉U (平成20年11月15−16日)
  社団法人 全国産業廃棄物連合会 青年部全国大会が、松山市道後で開催されました。
JALプロペラ機

 妻にとっては3度目の道後温泉、今回は”ふなや”に泊まりました、皇族御用達が売り口上です。特別室という事で、ベッドルーム、18畳のリビング、控え室が2間、12畳の居間、6畳の縁台、お手洗いが2箇所、部屋風呂は8畳ほど、なんとまー大きいことで、使い切れません、接待は、この部屋だけの仲居が1人就いてました。 とても残念なのはこの後です、料理は特に贅沢で素材を撰んだものでなく、なんとなく少し高い目の部屋食のようだし、館内のお風呂は温泉の湯質は同じ感じがしましたが、お風呂に趣向がない、露天も後から取って付けた様、更衣室も湯に入る人数からすると狭くお互いが触れてしまいそう。 渡り廊下も”ただ夜の男風呂の露天の渡り廊下”で老舗のゆったり歴史ある旅館を演出をしてもいいようですが、、。 フロントの対応は良も可も不可もない、ただ言えることは、一夜の客で「団体さんの扱い」と「特別室の人の扱い」とでは、おのずと扱いが違うように思うのですが、顔を覚えておいての扱いがあると思うのですが、我がままなのでしょうか、お鼻が高いのでしょうか? 期待をしてはいけないことなのでしょうか?? 
 唯一つ、私も、妻もホント納得したよい企画で、来た甲斐があったのが、「昔、美人だった人の昔話!!」 フロント前のボックス席でのお話ですが、納得する内容でしたのに、なぜ他特別室和室の人は聞かないのだろうか??  こんな善い企画なのに、時間が重なるような企画を持ってくるものだから、おねーさん方の気持ちを考えるとやるせない、話なんかしてやらないと、思うのが、大きな音のピアノ演奏! 途中からにじり寄らないと聞こえない、なんと配慮の無い老舗旅館でしょう。観光と温泉に浸かるだけを目的の客あしらいの「ふなや」でした。 
宮内庁さん、道後の宿泊のリストから、「ふなや」を外したほうが良いです。特別室洋室
松山城上空から

翌日、本日も晴天なり。
 早朝、6時に道後温泉会館に入浴に行きサッパリした所で、朝食を頂きました。

びっくりした事があります、道後温泉会館です。道後温泉館20年11月
 
 前回に来た時は、会館の前を道路が走って居て、車の合間を縫って記念写真を撮っていたのに、道路整備をしてるのは知っていましたが、全く迂回をさせているのにびっくり、流石、有名観光地、力を持ったお人が多数居てはるんですね。中の施設は変りありません、相変わらず女性のお風呂は髪の毛が散乱していた、湯船、洗い場の排水溝の近く、脱衣場の床、洗面台、小まめな掃除をしてほしいと言ってました。落ちるのだから仕方ないではありません、入浴料の中には清掃費も入っているでしょ!! 文化財を守るためにもお願い致します、誰でも汚いお風呂に入りたくありませんからね。

伊佐爾波神社、坊ちゃん機関車、松山城

 前回に参拝させてもらった神社「伊佐爾波坊ちゃん機関車と(いさには)神社」松平定長が将軍にお褒めをいただいた成功の褒美に寛文7年に典型的な八幡造りの神殿で建てた社へ朱印帖を持って参拝しました。その後、松山市内見学をJTBさんのサービス券で巡回観光、私は着物に着替えて、坊ちゃん機関車に乗って松山市駅(私鉄)へ向かい記念写真、巡回バスでロープウェイ乗り場へ、天守閣に入らず本丸庭園で甘酒に、お饂飩をいただきましたが、お椀形の山にあるお城なのに結構沢山の井戸があり、本当に使えていたのかなぁ??首をかしげながら今度はリフトで下山、結構いい景色でした。ロープウェイ乗り場で歴史物の見学をしてバスを待ち次の護国神社と一草庵へ向かいました。

護国神社、一草庵循環マドンナバス
 一草庵の店主気取り護国神社ではお宮参りと七五三参りの参拝者が多数おられて綺麗な着物の花が咲いていました。入り口の大阪たこ焼きと綿菓子を買わずに、隣の一草庵(詩人の種田 山頭火(さんとうか)が晩年過した場所、ごめんなさい、私は全く知りません))へ向かいましたが、たどりつかず、分からない、聞いてもはっきりしなかった、それもそのはず、入り口や近くの雑木林を整理中で建物自体もそれらしくなかった。 亭主を真似て箒でお掃除しました。巡回バスに乗って来迎寺、ロシア人墓地のすぐ横の体育館で剣道のいちだい競技大会が開催されていました。 柳生十兵衛、示現流の使い手、小野派一刀流、無我流など有るのかな??

萬翠荘(まんすいそう)、愚陀佛庵(ぐだぶつあん)
 ロシア人墓地でトイレと時間調整をして、庚申庵(こうしんあん)小林一茶と久しかった栗田樗堂(くりたちょど)が松尾芭蕉の幻住庵を真似た草庵、でも、私は知らない。 大街道で降りて萬翠荘へ緩やかな少し高い木立に囲まれた坂道をゆったりと歩いていると急に開けた中庭に出る、設計者の意図が見えるようです。白い壁と洋風のカトリック系、大正ロマンを感じる建物でした、神戸の異人館郡と同じように床は樫木でコツコツという音が聞こえてきそうです、草履なので音がしない、館内の絵画などの展示物を見学していると、お琴の音が聞こえてくるではないか、音のする方向へ苔毟った小路とうっそうとした木々が密集している飛び石を上るとそこに茶室のような庵がひっそりと佇んでいた、愚陀佛庵である。 夏目漱石と正岡子規が52日間同居した庵で市内から移築したものである。どちらが居候だったか知らないが粋な建物である。 4−11月の土日祝は、茶席が設けられている、ゆったりした時間をお抹茶で過しました。 大街道から市電で松山市駅まで行き、お土産を買ってタクシーで松山空港へプロペラ機で帰阪しました。



萬翠荘愚陀佛庵茶室愚陀佛庵