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カンボジア スリムアップ国際空港に到着、時差は2時間遅れ、6時間の飛行時間でした。 機内サービスは、離陸後1時間で飲み物のサービス、ガバジュース、ビール、ワイン、紅茶、緑茶、水、ウィスキー。 小一時間後に夕食をかねた機内食で、魚かチキンですが、紙の折り詰め弁当の様な物でした、分かっていましたが、仕方ないですね、ANAやJALの機内食は出ないですね。 物価が違いすぎますからね。 入国審査所に在るカンボジアの代表的な象が迎えてくれます。 国民性か、ゆっくりです全員が入国するのに1時間、韓国? 中国?の飛行機も着いてガヤガヤと成ってきて、何でこんなに混む!!!なんて言う顔で見廻してた。
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ホテルは、SOKHA ちょっとしたリゾートホテルで、建物はコの字型に成っていて中央には横幅25メートルは有るプールが在る。 日本人スタッフは横田さんという旅行会社からの派遣員? 50は越しているであろうが、小柄でスレンダーな成熟お姉さまです。 エントランスは広くドアーボーイは宮廷の衣裳でお迎えしてくれます。 朝食は洋風と和食と土地の料理(鳥を蒸したもの、川魚のムニエル、イタリアのパスタのような麺のラーメン??(お出汁は表現すると塩味)。
日本人も多く滞在していて、’ボートピープル’の企画に参加の人が80−100人程度、2−8人ほどのグループ、一人旅??の女性が6人ほど男性が2人、でも、プールで泳いでいる人、カウンターバーで軽く飲んでいる人の中に日本人は一人も見なかったのが、いまだに駆け足観光をしているんだアーー。で、水着を買いに売店へすごーく古いパンツでLまで、LL、LLLは置いてませんでしたが、外人さんの超肥満のおじさんおばさんは水着を持参しているんだ!! そんなの聞いてないよーー。
中国、韓国?の人も結構見かけたが、日本人と同じようにバタバタ観光に出かけていきました、同じような肩掛けバッグを架けて。
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初日は観光で、アンコールワット遺跡群のアンコール・トム:
トムは、王様が政務を摂った所で中央に国王の顔と阿弥陀菩薩の顔の壁面の塔が在りました。南大門:ほぼ正方形の建物の南に位置し2番目の大事な門です、門の入り口には長さ??mの橋が架かっていて当時はワニがたっぷり居たそうです。橋の両岸には善い神さんは左側で悪い神さんは右側双方がとても大きな大蛇を綱代わりにして引っ張り合ってます。このような構図は壁画のあちこちで見ることになりました。
象のテラス: 神の使いであった象を王宮の入り口に配置して神が王を守っている表現にしてある。
しかし、大きくて現物は迫力がありますね、写真や刊行物の写真とは比べ物になりませんね、すごーーい!!!
遺跡の周りにあるお手洗いは基本的に公共施設で無料ですが、女性のほうで紙やお絞りをさり気無く渡されるのは勝手に彼女らがしてますが使えば$1が要ります、 $1は、現地の市場価格で4000リエル、町のジュースが20リエル、メチャクチャ高いのが分かります。$1貰えば普通に1週間食べられるそうです、ただし、現地の人達ですが。
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昼食は、カンボジアの標準なココナツカレー、魚のカレーとよく分からない炊き合わせのスープ?。 アンコールビール(日本の大瓶)が$3、スプライト$1.5 思うほど辛くなく甘党の私でも普通に食べれました。 東南アジア独特? お昼休憩の時間になり2時間半ホテルでおやすみ。 15時に再び集合して今度こそアンコールワット寺院に向かいました。
アンコールワット寺院を築いたのは、18台の王スールヤヴァルマン2世のクメール人が、外壁5.4km四方、幅190mのワニ、毒蛇入り堀、3重の大回廊、5つの塔堂が聳え立ち、寺院全体の構成は宇宙観を表現して、その世界の中心の須弥山(スメール山)の高さ65mの中央塔堂が建っています。 衰退した寺院を1860年フランスの植民地の支配の頃に、植物学者のアリ・ムオにより発見され姿を現すことになるが、内戦の為にポルポトが陣地と使ったりした為に、一部が破壊された。 |




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タプロムは、発見当時の様子を残すように、回りの雑草や遺跡を破壊してしまいそうな物を取り除いて、出来る限り現状のままに管理されています。 入り口に大きな顔の門があります、日本人向けには観世音菩薩と王様の顔ですと、説明がありました。 途中に6−8名の音楽隊が居まして観光音楽と思い気や募金という名の徴収でした、勝手にしているらしく寄付はしませんでした。何で日本の曲を弾くの?? 一部整備をしていましたが、よく観る大木が建物をそのまま抱え込むようになった物がそれです。 大木は、ガジュマロが殆どで、熱帯では成長の早い木です。 写真撮影では、素人の私ではその雄大さ凄さが表現できませんが、高い木は30M。
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トンレサップ湖の遊覧見学は、乾季と雨季とはその様子が全く違うとのことでした、乾季ですので、水が無く雨季の畔から乗船場まで10km程バスで走りました。 タイの船と同じで自動車のエンジンをなが――いシャフトでスクリュ―に維いでいました。 赤茶けた水で泥水ですが、カンボジア人とベトナムからの難民が水上生活をしている、料理、洗濯、散髪、排便すべて同じところの水上で、私には決して馴染めませんし、くだるでしょうね。 魚は、ほとんどがなまずで、煮炊きして料理として出されてますが、ようたべれません!!。 琵琶湖の何倍もあり水平線が確認できる淡水湖です、ベトナムの国境と接してます。 |
 

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ワン・エリア: ホテルから片道が約2時間バスに揺られ見学に行きましたが、申し訳ないが感動が今ひとつ無かった、なぜか? 今日までの遺跡も、今、見ている物も同じにしか見えない、説明も同じで古く文化的価値が有るのは解るが。
歴史の壁が以外は、ほとんど女性の壁画で、「神秘」「美」は昔も今も変らないようです。神的存在が遥か上に居て、穀物、人間、花を生かしている、その神的存在が「王」である。
英国の植民地時代に、探検家がアンコールワットの寺院を発見し、英国の資金で生茂った木々を刈り取ったのがメインのアンコールで、カンボジアの統治を止めてからは、ポルポトの占領地域のなり、荒陵がまた始まった、日本政府、大学などの援助でその全容がわかってきたが、姿をそのままに残すのも、歴史資産。
当時はワニに毒蛇がワンサカいてた堀に水連?の花が咲きました、つぼみも如何です。
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アンコールワット遺跡の北へ1km先に、山の頂にある寺院からの夕陽とその光で織り成すアンコールワットの遺跡群が生えてとても素敵でした、バルーンから見たらもっとでしょね。
日本から離れる事、数千kmの、しかも、この山頂で、京都から来られたご院さんが揚げる「般若信教」を聞くとは思わず感動のあまりパチリ、名刺を頂きました、たぶんご利益があるでしょう!! このお寺はヒンズー教で、男根とおとその、シンボルがあちこちに在りましたが、面白かったのは、韓国の若い女性が何もしかずに股間に男根をあてがいブラブラさしていたのが、笑ってしまいました、知らない事は良いのか悪いのか?
昔のカンボジアのスメール人が踊った農耕の感謝や王に見せた舞踊を食事を頂きながら楽しみました、蟻塚の蟻を取る舞踊などは、表情が豊かで楽しめました。
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