秋保温泉  (松島観光)

  宮城県の仙台空港に降り立ちました、9時半。 じつは、飛ぶときも時間ぎりぎり10分前に空港に着き係りの方に手続きをしてもらい搭乗、次は着陸態勢に入ってから永い事,永い事、窓から見ると波が白波で波がつぶれていました、強風なんです。この後、仙台空港に降り立つ飛行機はありませんでした、ラッキー。五大堂 表示で大きくなります
 レンタカーを借りて、いざ、松島へ。 空港から40分ほどで到着、1回500円の駐車場に預けて、”あー松島や松島や” ”お客様!!桟橋ではカモメにえさを与えないで下さい、糞か掛かりますよ”ーとアナウンス、確かに足元にいっぱい、運が着くのも良いけど,糞が着くのはーー。 遊覧船が桟橋から離れカモメとともに乗り、島なみを1時間、獅子の岩、鶴亀島などなど奇怪な島影を縫うようにあっという間に桟橋に戻ってきました。 湾内地図。
 揚げたてのてんぷらをほう張りながら、  五大堂を見学、お堂の軒下には十二支が彫られていました。 五大堂は伊達正宗が大公秀吉からいただき、京都から移設したもので、縁台から松島湾の景観楽しみながらお抹茶をいただく、なんとも優雅!(お茶とお菓子をいただけます)。  伊達家の将軍門、画像表示で大きくなります菩提寺瑞興寺(市内にもある)を、ボランティアと思いきや有料の市民案内の方に説明をお願いし3人で詳しい説明と駄洒落で笑いながら、うなづきながら園内を30分。 将軍が来られたときに入られる門、藩主が入る門、家臣が入る門の3門から成っている。  廊下は鴬張りになっていて侵入者が踏むとキィーと鳴る、が今は鳴らない残念ながら、この現象は世界的で”廊下現象、 廊下現象 、老化現象”ーーははは(笑い)
 秋保温泉の秀茶園に宿を取りました平屋建て一部2階で満室なのにお客さんと余りすれ違わないほど敷地が広い(温泉街地図)。 温泉の違法表示や詐欺の話題で逆波の立つ業界であるが正規と云うマウスで、昼の露天か賭け流しと温泉口の証明でアピール。 旅行会社の東大阪旅行会から花束のプレゼントと旅館女将からのフルーツのプレゼントをいただき、妻は大満足、私も甲斐が有ったと納得。 露天は庭園形式で内湯も広く露天は4倍以上の大きさ少し熱いところからぬる目まで、移動すると景色が変わる。 料理は山海の味をふんだんに取り入れた純和風会席、宿の指定のお酒は地元の酒、じんべいで出される酒、”一乃蔵 ” お酒で気分が半減するところが多い中、大満足である。
 朝湯に浸かりながら、いい湯だ。 気仙沼は遠いし、お鍋も同じ−あきらめて秋保渓谷の観光(渓谷地図)、こけしと陶器の公園の見学してお腹もええ加減しろと鳴り出したので市内に移動し、青葉城と牛タンの昼食に決定。 歴史の中で徳川に天守閣のある城を造っていると、疑念を抱かれ潰されようとした事件などをCG映画で説明がありました(正宗は野心家で慎重派だったので、本当は造ろうとしていたのでしょうね)。 特別展示の”さざれ石”、国歌に出てくる石を観ました、熊本のせいじょう大学校内にもありました(さざれ石の説明)。三色団子に、ぐんだ餅(インゲン豆を潰して餅にのせて物)を美味しくいただき牛タンを食べに城をくだり町人町へ、牛タンマップから” ”店に決め食べました、大阪で食べるものより厚みとたれがダントツに良い、行列ができる店なので良いのか分からないが、タンを切ったものをバケツに入れて崩れないように押してコンロの隣にひっくり返して中身を出して次々焼いていく、見事というか流れ作業といううか、少々興ざめ、でも美味しかったです。 交通渋滞の中を仙台空港に向かい定刻に帰宅しました、体重が+2Kg。 

英語での案内(一部) 





瑞 巌 寺  宮城県宮城郡松島町松島字町内91番地
瑞岩寺門前 画像表示で大きくなります
  「松島青龍山瑞巌円福禅寺」即ち瑞巌寺は臨済宗妙心寺派の禅寺である。 平安時代の初め天長5年(828)、慈覚大両眼の正宗の像 画像表示で大きくなります師円仁により開祖され、天台宗円福寺と称した。鎌倉時代は大いに栄えたが戦国時代に寺勢は衰え末期には妙心寺に属した。
  江戸時代の始め、仙台62万石の祖となった伊達正宗公が、慶長9年(1604)に工事が始まり、桧、杉、欅(ケアキ)の良材を熊野に求め、京都・根来衆の名工を集め、5年がかりで完成させた現在の本堂は、焼失することなく現在にある。 しかし、芭蕉によって「金壁荘厳光を輝かし」と詠われた障壁画も360年の歳月を経たので劣化が著しく、復元模写事業が行われ、平成7年に完成した。
  境内には、宝物館があり、伊達家由来の貴重な品々が展示されています、伊達正宗が幼少の頃に、疱瘡を病み、その毒の為に右目を失明した、正宗は、生涯にわたり隻眼であることを苦にしていたが、隻眼であるが故に常人に見えないものが見えたと晩年悟り、父輝宗、24歳の時毒殺しようとした実母舞姫(最上氏)に感謝をした、そこに正宗の器の大きさが伺えるのではないでしょうか。
  遺作の詩があります。
  「馬上に少年は過ぎ、世は平らかにして白髪多し、残躰は天の赦したまふところ、楽しまんずんば如何」
    若し頃を戦乱に明け暮れ、豊かさと平安は領土の拡大にありと思いこっれに没頭したが、白髪が混じる頃になると領土の拡大ではなく、心豊かになることを求めなければ、真の豊かさには成らないーーと、詠っています。 その境地に降り立つのは、やはり晩年でしかないのしょうかねー豊かな生活ね−−−。

英語での案内(一部)

ずんだもち  宮城県の有名なお菓子のひとつ
  
  宮城県では古くから、ゆでて柔らかくした枝豆を潰して砂糖を混ぜ餅にからめた「ずんだ餅」が作られて来ました。ゆでたての鮮やか爽やかな緑色と、ふくよかな甘み、粗く潰した枝豆のつぶつぶの感触で懐かしい味にふれて思わず顔がほころびます。

  「ずんだ」の由来は2つの説があります。 1つは豆を打つ、即ち豆打、「ずだ」、「じんだ」がなまって「ずんだ」成った説、2つ目は、伊達正宗が出陣の際に用いた「陣太刀」(じんだとう)で豆を潰して食したことから、「陣太刀」が「ずんだ」と成った説です。宮城県下では、何事も正宗様だから、一般的には、第2説でしょうねーー。


   

牛タン  宮城県下、特に仙台では全国に売れている名物料理です

  牛たん焼は、仙台が発祥の地とされ今や「仙台名物」として代表的な味のひとつに成っています。現在市中には、約60店舗の専門店が在るといわれておりますが、牛タン焼きは「味太郎」の初代、佐野啓四郎さんが昭和23年、仙台市に開店をしたのが始まりといわれております。 牛タンの味、仕込み、食べ方はいろいろあり、うんちくも分かれるところですので、割愛いたし皆さんの舌お任せいたします。 仙台中心部の地図。