第五章 出産2日目〜ママ退院まで
<11月24日(金)出産2日目>
朝になっても出血が止まらず先生がお腹を押すとプシューと血が噴出すのが分かりました。
原因が分からずもう一度お腹を開いてみようかと話していました。
診察室へ運ばれ、診察を受けると子宮口の動脈が切れていてそこから出血していました。
その場で縫合されものすごく痛かった。個室には戻らずたぶんナースステーション近くの処置室に
運ばれました。さらに輸血1200mlをしましたが意識は朦朧として1日夢を見ているような気
分でぼーっとしたまま時間が過ぎていきました。
出産時私の体は栄養失調、低蛋白、貧血、肝機能も駄目、腎臓も弱っていたそうです。今日こそは
わが子に会えると思っていたのにとてもそんな状態では無かったようです。
赤ちゃんの様子がとても気になったけどどうする事も出来ませんでした。
夜になると傷と後陣痛が辛く座薬を入れてもらいました。お陰で2時間眠る事が出来ました。

<11月25日(土)出産3日目>
私の点滴は4本に減り、まだふらふらするけどだいぶ楽になりました。
この日は、パパのお兄さんご夫婦、私のおばがお見舞いに来てくれました。
わざわざ遠くから着て下さって赤ちゃんもいなくて申し訳なくなりました。
腎臓、肝臓、貧血は少し改善されたものの低蛋白、むくみがひどくて顔のリンパ腺がはれてしまい
パンパンになってしまいました。
今日初めてビデオで動く映像を見ることが出来ました。当日は急だった為、準備してきていなかっ
たのでビデオの映像は無くって残念でしたが偶然パパがデジカメを持っていたので撮ることが出来
てホント良かった。
ビデオに映る我が子は痩せて見えるけど小さくは感じなかった。毛深い。未熟児特有で後頭部がせ
り出ていました。3人とも黄疸のため光線療法をしていました。目にはサングラスの絵のついたア
イマスクを付けていてかわいい。Y太郎は週数の割には大きい方だと言われていて管から3時間お
きに3ccづつ母乳も飲んでいた。パパが初めてY太郎の手、ほっぺに触っている。羨ましかった。
ますます早く会いたくなりました。
その日の夕方、NICUから第一子のことでと呼び出されました。
不安に思いながらも初めて子ども達に会えると思うとドキドキしました。
傷が痛くて起き上がるのにも何分もかかってやっと車椅子に乗せてもらいパパと2人でNICUへ。
入り口の前でブザーを押し、名前を言うとドアが開きました。手を洗い、予防着をきて、帽子をか
ぶり中へ。初めて見る生の我が子。長男は眠っていました。写真を見て想像していたより小さく、
腕も足も細くショックでした。
先生が足に巻かれた包帯をとると足の甲の皮がむけていてまるで火傷の跡のようになっていました。
点滴がもれてしまったとの事でした。
こんなに小さな足に点滴の針を刺すなんてものすごく大変なことなのだろうと思いました。小さく
産んでしまった為にこんなに辛い思いをさせていると思うと涙が込み上げてきました。申し訳あり
ませんと言う先生と長男に私の方が申し訳ありませんと心の中で謝りました。触ってみたいけど許
されていなかったので触れる事が出来ませんでした。いつになったら抱っこしてあげられるのだろ
う。
次の保育器は長女でした。見た瞬間小さい。長男よりはるかに小さい。小さすぎて涙が溢れてしま
いました。自分は精一杯頑張ったつもりでいたけどどうしてもっと頑張れなかったのだろう。
悔しくてたまりませんでした。何か言葉を掛けてあげようと思いましたが一言いうと声を出して
泣いてしまいそうだったので必死にこらえました。次女の保育器の前に行っても同じで何も話せま
せんでした。口には管が入っていて腕には点滴を支える包帯が巻かれ、小さな体に心電図の線がた
くさんついていて、普通に産まれたらこんな目に遭わなくてすんだのにと思うととても辛く、3人
に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

<11月26日(日)出産4日目>
むくみがひどくてお腹と肺に水がたまってしまいました。水がたまっているせいで息苦しく感じま
した。なので導尿ははずれたものの部屋の中だけしか歩く事は許されませんでした。とは言っても
傷も痛くてずっとベットの上にいたけど。
午後になって子ども達に面会に連れて行ってもらいました。
昨日は辛かったけど赤ちゃんが頑張っているのだから泣いていられないと思い直し、3人に「お母
さんだよ。がんばって。」と声を掛けることが出来ました。
Y太郎は点滴のように1時間に2ccづつ母乳を飲んでいた。突然、みぞおちが引っ込みどうした
のかと思ったらそれはしゃっくりで体全体でしゃっくりするのでパパと2人驚かされました。
S子はミルクではなくブドウ糖を飲んでいた。調度、おしゃぶりをちゅっちゅしていて可愛らしか
った。R子は3時間おきに3ccづつ母乳を飲んでいました。説明を聞いている途中でブザーが鳴
り驚きました。呼吸が止まっている事を知らせるものでした。看護士さんが体を触ると戻りドキド
キしてしまいました。小さく生まれた子はまだ未熟な為に時々呼吸をさぼってしまうそうです。
今日はずっと見ていたくて離れがたかったのですが3人なので少しずつになってしまうのが残念で
した。
おっぱいマッサージを教えてもらいました。マッサージをすると子宮が収縮して痛かった。
でもそのわりにおっぱいは出てくれなかった。私の体が弱っている為おっぱいまで回らなかったみ
たい。
帝王切開はやはり傷が痛い。起き上がる時お腹に力が入らず腕がプルプルして来る。思うように寝
返りもうてない為お尻が痛くなってクッションを敷いてもらったら少し楽になりました。

<11月27日(月)出産5日目>
傷と後陣痛が痛くて眠れなかった。傷は痛いけど一人でなんとか起きられるようにはなった。でも
まだまっすぐには立てない。入院生活が長かった為、足の筋肉も無くなってフラフラする。
貧血があるので造血剤の点滴が増えた。まだ肺に水がたまっていて良くならない。尿もあまり出な
くて人工透析の可能性もあると言われていたので心配。
そういえば出産後の家族説明のとき赤ちゃんは大丈夫なのですが母体が危険ですと言われたパパは
とっさに三つ子がいて再婚できるかなあと考えていたそう。(なぜ?)
今日は赤ちゃんを見に行けなかった、残念。

<11月28日(火)出産6日目>
お腹と背中が痛くて眠れなかった。仰向けで寝ると息苦しい。レントゲンの結果、肺に水が増えて
いました。利尿剤の薬が出され、またしても尿をためる事になってしまいました。
赤ちゃんに会いたいけどまだ一人ではいけないので今日も見に行けなかった。
パパがなかなか赤ちゃんに会いにいけない私の為にデジカメの画像を写真立てに入れて持ってきて
くれました。すごく嬉しくてずっと眺めていました。見ているととても幸せな気持ちになれました。


<11月29日(水)出産7日目>
赤ちゃんの名前を届けてもらいました。
長男には新世紀に希望を持って生きていって欲しいと願いをこめてY太郎、長女には人のお手本と
なるようしっかり生きて行って欲しいという意味でS子、次女には花の様に可憐で優しい女の子に
なって欲しいという意味でR子と決めました。私としては漢字と響きが良く気に入っています。
三人全く関連性が無く唯一長女と次女が偶然「しりとり」になった事くらい。
今日は半分だけ抜糸をしました。三つ子なので普通より長めに切っているので抜糸もたくさんで辛
い。1日くらいはチクチクして痛かった。
さらに子宮収縮の飲み薬が出され、点滴からも入ってくるので痛くて痛くてどうしょうもなくなり
ました。三人分でかなり大きくなっている為なかなか戻らず大変でした。
午後に父が来たのでNICUに連れて行ってもらうことが出来ました。Y太郎は昨日オシッコが出
なくてむくんでいました。R子はよく呼吸をさぼると言われました。3人とも頑張っていると思う
とママも頑張らなくてはという気持ちになりました。

<11月30日(木)出産8日目>
今日は残りの抜糸をしました。肺は少し良くなって来たみたいだけどまだ少し息苦しい。
相変わらずむくみがひどく足の甲がぷくぷくしてゾウさんの様。
パパのお母さんがお見舞いに来てくれてNICUにも連れて行ってくれました。
Y太郎は点滴が取れていました。すごく嬉しかった。口から入っている管も取れるといいのに。
赤ちゃんを見ている間だけはお腹の痛みを忘れる事が出来た。

<12月1日(金)出産9日目>
夜中に2,3回は目が覚めるもののだいぶ眠れるようになって来た。
おっぱいは全然張ってこない。マッサージをすると余計に子宮が収縮してお腹が痛くなった。
今日は2週間ぶりにシャンプーをしてもらいました。ようやくサッパリ出来た。
むくみがひどい為まだ部屋の中しか歩く事はできない。

<12月2日(土)出産10日目>
昨晩、頑張ってしぼったおっぱい(30ccくらい)を持って面会に。ほんの少しでも初乳を飲ま
せた方がいいと言うのであまりに少なくて恥ずかしかったけど持参しました。
3人とも元気いっぱいで特にY太郎が1576gと大きくなっていました。S子が声を掛けたら目
を開けてくれて嬉しかった。この時期、目を開けただけで嬉しくて、手を触って指を握り返してく
れるとそれだけで幸せな気持ちになれました。
三卵性だけどS子とR子は似ているような感じがしました。
私の点滴が一つ減った。でもまだいっぱい。

<12月3日(日)出産11日目>
相変わらず後陣痛でお腹が痛い。まっすぐに立って歩く事が出来ない。このままだったらどうしよ
うと不安になってしまいました。
面会の午後2時、パパと赤ちゃんを見に行きました。3人とも順調で良かった。
看護婦さんからS子のへその緒をもらった。小さな桐の箱が宝のものように思えて嬉しかった。
R子と握手したら目を開けてくれた。みんなかわいい!

<12月4日(月)出産12日目>
昨晩は後陣痛とお尻の骨が痛くて眠れなかった。足のむくみは殆どなくなった。
だいぶまっすぐに立てるけど傷が痛むので曲げてしまう。おまけに傷が痛痒くなってきた。
肺の水がだいぶ良くなったので部屋以外の歩行もOKになり、これで車椅子に乗せてもらわなくて
も好きなときに一人で赤ちゃんに会いに行けるようになりました。
利尿剤の飲み薬も終了して点滴も抗生剤が2本だけになって私の方も回復してきた。
午前中に沐浴見学があってはじめて他のママさん達に会いました。4人中3人がNICUに赤ちゃ
んがいる人で話が弾んでしまいました。
実際の赤ちゃんでの見学だったので楽しかった。早く私もやってみたい。
初めて歩いてNICUへ。それ程遠くないのにやっぱり息切れ。Y太郎とR子は保育器の酸素を切
っていました。すごい、進歩!

<12月5日(火)出産13日目>
朝起きるとおっぱいが張って痛かった。腕に点滴がついているとなかなか上手く行かなくて
看護婦さんに手伝ってもらい絞ると楽に。
面会に行くとY太郎が1611g、S子が1162g、R子が1400gになっていました。
Y太郎とR子は生まれた時10gしか違わなかったのにかなり開いてきた。S子は100gも
減っている。なかなか増えないのが心配。
シャワーを許可され19日ぶりにお風呂に入りました。こんなにもお風呂に入らなくても人って
大丈夫なんだ〜と思っちゃいました。何だか体が軽くなったような感じがしました。

<12月6日(水)出産14日目>
日中はお腹の痛みが和らぐのに夜中になると痛くて眠れず、巡回してくる看護婦さんと何度話を
したことか・・・。
まだ歩くと傷がひびいて痛い。お尻の筋肉も無くなったようで寝ていても座っていても骨が痛い。
肺の水の方は良くなったので金曜日にレントゲン、血液検査をしてみて退院の日を決める事になっ
た。家に帰れる事は嬉しかったけど、すぐに赤ちゃんに会いに行けなくなるのは寂しい。

<12月7日(木)出産15日目>
昨日はなかなか寝付けず12時過ぎまで起きていた。
日中、何もせずごろごろしてばかりなので当たり前かも。
おっぱいはほんの少ししか出ないけど頑張って絞って届けている。でも3人分には全然足りない。
おっぱいが出ないなんて母親失格のようで悲しかった。
3人の体重はY太郎、R子が1500g台、S子が1200g台で昨日より少し減ってしまった。

<12月8日(金)出産16日目>
Y太郎とR子のへその緒をもらう。ようやく取れたらしい。
11日にS子とR子が転院する事になりました。NICUがいっぱいになり体調の良い子が移る事
になったそうです。今度行く所は家からも少し離れているので通うのが大変になりそう。いごこち
が良かったのに(私が)残念。Y太郎は足の傷の事があるので少し遅れることになりました。
(Y太郎は1週間遅れの18日に転院となりました)

<12月9日(土)出産17日目>
夜になるとお腹が痛くって眠れず翌日の午前中は眠くなってしまい悪循環。
何時になったら痛みってなくなるのだろう?
午後パパと共にNICUへ。3人とも声を掛けると目を開けてくれた。パパとママが分かるのかな?
かわいい!
面会に行くたびにカメラ、デジカメ、ビデオを持って行き撮影しまくっていたので、この時期の記
録が一番多い。寝てばかりであまり変わり栄えの無い映像ばかりだけれど・・。
でもすごく楽しくて部屋に戻ってから繰り返し見たり、NICUの面会時間には来られないパパに
は見せてあげて毎日こうだったよ〜と話してあげました。

<12月10日(日)出産18日目>
ママ退院の日。当初3週間という診断だったので幾分早く退院出来ました。
でも、赤ちゃんと離れ離れになると思うと寂しくなりました。
午後3人に面会をしてまた来るよとお別れをしました。
R子は声を掛けると目を開け、得意の百面相をしてくれ心が和みました。
看護婦さんに「おかあさん」と声を掛けられてもまだ反応が出来ずボーっとしてしまってばかり。
長いような短いような18日間、献身的に介護をしてくださった先生、看護婦さんありがとうござ
いました。突然行って緊急手術になったのにとても優しくて居心地良い病院でした。

退院後は実家に戻り、5年前に母を病気で無くしているので遠方からおば(母のお姉さん)がわざ
わざ私の為に1週間も面倒を見に来てくれてとてもあり難かったです。本当に有難うございました。