第四章 三つ子誕生
<出産当日>
11月23日(木)(33週1日目)相変わらず、導尿の痛みとお腹の張りで朝から苦しくて辛くて
たまりませんでした。血尿が出ていて痛くて痛くてどうしようもなく我慢強い私でも我慢が出来ず
ナースコールをしました。祝日の為看護婦さんが少ないので忙しいらしくなかなか来てはくれませ
んでした。やっと来てくれてほっとしたのもつかの間先生に聞いてきますと言うとまたなかなか戻
っては来てくれません。痛くて痛くて苦しんでいるところにパパがお見舞いにやってきました。
パパの顔を見たとたんほっとしたのと同時に涙があふれて止まりませんでした。泣きながら痛みを
訴えるとパパが看護婦さんに聞きに行ってくれました。しばらくして先生が部屋にやってきました。
血尿もまだ続いているし導尿の管の痛みが辛いので抜いて欲しいとお願いしました。先生が内診す
ると子宮口が2cm開いているというのです。エッー!!どうして、子宮口を縛る手術もしてある
のに?導尿の痛みだと思っていたのは陣痛だったのです。それを聞くと不安でパニックになりまし
た。急きょ、NICUのある大学病院に転院する事になり全く知らない病院で出産する事になると
思うとますます不安が募っていきました。
初めての救急車。しばらくするとピーポーピーポーと救急車の来る音がして停まりました。私のお
迎え?すると部屋に救急隊員の方が2人きてストレッチャーに乗せてくれました。と言ってもとて
も大変。大きなお腹だし、点滴、導尿の管もついているのでなかなかすんなりは行きません。狭い
ストレッチャーは安定が悪くガタガタ揺れるので怖かった。病院の外へ出ると明るく天気も良かっ
た事が印象的でした。救急車に乗せられ、パパも乗り込もうとすると旦那さんはご自分の車で来て
下さいと言われ離れ離れ。キャーますます怖いよー。一人にしないでー。と思いながらも救急車は
音を立てて走り出していきました。パパが救急車に乗せてもらえなかった理由は帰りの足が無いか
らと言う事だったようです。救急車は妊婦の私に気を使いながら走ってくれているようでしたがカ
ーブでは体が引っ張られそうで辛かったです。赤ちゃんがもしここで出てきちゃったらどうしよう
と思うとお腹に力を入れることも出来ず早く着いてー!と祈っていました。(そんな簡単には出てこ
ないのに・・・笑)
病院について救急車を降りて何処をどう通って行ったのか全く分からないのですが処置室らしき所
に着き、今度は診察台に移動。移動するのにも何人もの人手を借りてようやく到着。
診察の結果、やはり子宮口が2cm開いているので帝王切開で出産しましょうと言う事になりまし
た。慌しく、そしてテキパキと看護婦さんや先生が血液検査、心電図検査、レントゲン、剃毛、血
圧等々(たぶんあまりはっきり覚えていない)行いました。
ようやくパパと連絡で駆けつけてくれた父が到着しました。そばにいて欲しいのに手術の為の説明
と同意書の署名のため別室に行ってしまいました。また助産婦さんと二人っきりに。私が不安がっ
ているのが分かるらしくずっと大丈夫ですからね。赤ちゃんは元気ですよ。お水は飲めないけどう
がいしてみる?等々優しい言葉をかけてくれました。なかなか戻ってこないパパを探しにも行っ
てくれました。でも見つからずそのうちに手術室に行きますよと言われ動き出してしまいました。
そう言われると怖さがピークに達してきました。運ばれる途中、やっとパパと父が来てくれました。
最後に一言「がんばって」とパパが言ってくれました。後から聞いたところによると、呼びにきま
すから控え室で待っていてくださいと言われて2人で待っていたそうですが、なかなか呼びに来て
くれないのでもしやと思って出てきたら調度、私が運ばれて行く所でギリギリ間に合ったそうです。
ストレッチャーで運ばれていく私に声を掛け付き添って手術室まで見送ったパパは「まるでドラマ
のようだったよ」と後日言っていました。
手術室に入ると10人位は人がいるように感じました。手術室に入る前にメガネを外されていたの
で視力が0.02の私には何も見えなかったのです。ここまで来るともう逃げられないという心境
に達したけれどやはり怖くて怖くてたまりませんでした。全身麻酔なのだろうと思っていたけど、
一応確認の為に近くにいる人に聞いてみると局所麻酔ですといわれてしまいますます怖くて逃げ出
したくなりました。そして「お願いですから全身麻酔にしてください」と言っていました。後から
考えるとすごーく恥ずかしい。でも、先生(たぶん)は「体が弱っているので全身麻酔では危険な
んですと説明してくれました。それでも心の準備も出来ていなくて、ずっと「怖いです〜怖いです」
と言ってしまった様な?先生が「全身麻酔にはしてあげられないけど赤ちゃんを取り出したら眠く
なる麻酔をしてあげるから大丈夫ですよ」と言ってくれました。手術台に乗せられ、麻酔をする時
も怖い怖いばかり言っていたせいか何人もの人が私を押さえつけていました。注射をされた瞬間、
背中にものすごい痛みが走り泣き出したい位でした。その後はお腹のあたりでごそごそという様な
感じがしているものの何をされているのか全く見当もつかずただ無事に赤ちゃんが産まれてくれる
事を祈っていました。予定よりも早い出産になってしまったので心配でたまりませんでした。
「オギャー!」一人目の赤ちゃんの声が響き渡りました。その瞬間涙があふれ出て止まりませんで
した。元気にちゃんと泣いてくれた事が嬉しくて。元気な大きな泣き声にとても感動して怖さは全
く無くなっていました。
そして二人目の赤ちゃんの声が「オギャー!」と聞こえ、そしてお腹の中が少し引っ張られるよう
な感じがして三人目の赤ちゃんの「オギャー!」と言う声が聞こえました。三人とも泣き声はちょ
っとづつ違っていました。でも三人とも元気な声で私には「ママ、生まれて来たよ。頑張って!」
と励まされているように聞こえました。私もやっとママになれたと思うと胸がいっぱいになりまし
た。
あっという間に赤ちゃんの鳴き声がしなくなってしまいちょっと寂しい気分に。産まれたての赤ち
ゃんの顔を見せてくれるものと思っていたのにそのままNICUへ行ってしまったらしい。
やはり五体満足なのか気になって頭の近くにいる先生らしき人に「三人とも元気ですか?」と聞い
てみると、その人は「元気ですよ」と言ってくれました。性別も判っていたものの念のため「あの
〜性別は?」と聞くと「僕のところからは見えなかったよ〜」と答えてくれました。でも何だか
その柔らかい声にほっとして眠くなってしまいました。(きっと麻酔も効いていたのかもしれませ
ん)
その後の事は全く記憶がありません。気がつくと個室のベットにいました。意識があるものの、
ボーっとしていて話そうとしても言葉が見つからない状態でした。頑張ってよく見てみると、
周りにはパパ、パパの両親、実家の父、私の兄夫婦が立っていました。みんな心配そうな顔をして
私を見ていました。パパが「ご苦労様、頑張ったね。」と声を掛けてくれました。そして早速デジカ
メの画像を見せてくれました。一足先に子ども達に面会してきたときのものでした。手にデジカメ
を持とうとするけれど腕が上がらずしかも点滴の線が絡まりそうなくらい両腕についていました。
そこでパパに持ってもらったまま見せてもらいました。
「これが長男でこれが長女、これが次女かな?」取った本人もすでに見分けがつかない様子。デジ
カメの小さな画面で見る初めてのわが子は口から管が入り、手や足に点滴やらいっぱい線がついて
いました。腕に巻かれた包帯が痛々しくて可哀想で申し訳けなく思えました。何も話せずにいる私
に「みんな元気だって。次女なんて点滴のついた腕振り回していたよ」と教えてくれました。
早く自分の目で赤ちゃんを見てみたい。早く抱っこしてみたい。
第一子1442g、第二子1282g、第三子1432gと3人共に極低出生体重児(と言うらし
い)でした。NICUに2,3ヵ月入院する予定。小さいけどみんな元気で本当に良かった。
後で聞いた話によると手術室に入ったのが16時05分。第一子、第二子16時49分、第三子
16時50分誕生であっという間に三人が取り上げられていました。
パパと会えたのが19時。空白の2時間、私は何をしていたのだろう??
今思うと全身麻酔ではなく局所麻酔で良かった。子ども達のうぶ声が聞けて感動出来たから。
(でも本当に怖かった)
その後、パパが残って付き添ってくれました。
時間で看護婦さんが私の様子を見に来るたびに廊下にでなくてはならず安眠出来ない様子。
明日仕事だから帰って寝ていいよと言っても大丈夫と言って傍にいてくれました。
心強かったけど申し訳なくって明け方の4時半になってようやく家に戻っていきました。
私の方はじわじわと傷の痛みと後陣痛で辛くなっていました。出産時の出血2700mlと多く
1200ml輸血しました。
後日、産まれたときの様子をパパに聞いてみると。慌しく保育器が目の前を通過して行ったので
パパになったという様な実感は湧かなかったらしい。デジカメを撮るのに必死だったし。保育器が
2つしか出てこなくて何かあったのではと焦ったが1台目に長男が2台目に長女と次女が2人一緒
に入っていたそうで安心したと言っていました。
数時間後NICUで子ども達に面会した時は、あまりに小さくて体も細く痛々しかったそう。
頭では我が子と解っていても突然の事だったし、抱く事も出来なかったので実感は無かったそうで
す。壊れそうで触る事も出来なかったそうです。