第一章(妊娠発覚から妊娠5カ月)
<妊娠発覚>
平成12年のゴールデンウィーク。妊娠している事に全く気づかずに2泊3日の
沖縄旅行に2人で出かけました。強行スケジュールだし、せっかく沖縄まで来たの
だからとたくさん歩き回ったり、走ったりして体はくたくたでした。それなのに
今思えばなんて丈夫な三つ子だったのでしょう。
旅行から戻った2日後の5月8日(月)妊娠している事が判り嬉しくて早速パパの
携帯に電話。仕事中だったせいか小声だし「良かったね」と人事のよう。でも、
もちろん喜んでくれていつもより早く帰ってきてくれてその日は二人でお祝いをしました。
妊娠したら買おうと思っていた念願の「たまごクラブ」も早速購入してしまいました。
予定日は来年1月11日、新世紀に子どもが生まれるなんて嬉しい。
                         (4週4日目)

<1回目の入院、三つ子判明、手術>(84日間)
流産しやすい体質ということから安定するまで入院する事になり、5月12日(金)
パパのお父さん、お母さんに付き添ってもらって病院に行きました。
診察の時初めて自分でも赤ちゃん(黒い丸)を確認する事が出来てほっとしました。
病室は3人部屋でしたが最初誰もいなくて夜一人ぼっちで寝なくてはならないのかと
思うと不安になりました。少したって御主人に付き添われた女の人が入院してきました
。その人はとても話しやすく気さくな人で予定日が近い事もあって仲良くなる事が出来て
その日夜寝る間際までおしゃべりをしました。一人じゃなくって良かった!(5週1日目)
入院中火曜日と金曜日に診察があって、赤ちゃんが順調に育ってくれているか楽しみでもあり
不安にもなる曜日でした。入院してから初めての火曜日の5月16日、先生から
「双子だね〜いやもう一人いるよ、三つ子だ」と言われてびっくり。パパ自身双子なので
産まれてくる子どもも双子だといいなあとは思ってはいたものの三つ子という言葉に
さすがに戸惑ってしまいました。ちゃんと産めるだろうか?育てていけるだろうか?
もういろいろな事が一瞬に頭を駆け巡りました。パパに電話するとさすがに驚いていましたが
不安がる私を思い仕事の途中で会いに来てくれました。一度に3人も授かるなんてめったに
ある事じゃないし幸せな事だと思えるようになるまで実際かなり時間がかかり、この日の夜は
不安のほうが大きくて眠れませんでした。まだ初期の段階なので自然に赤ちゃんが消えていく
ケースも多いから三つ子のままかどうかは分からないと先生から付け加えられ、そう言われると
せっかく宿った命なのだから一人も消えないでと祈っていました。(5週5日目)
6月9日(金)(9週1日目)、この日の診察ではへその緒が見えました。今のところは順調で
つわりも比較的軽いほうだったので全く食事が出来ない事はありませんでした。ただ、
こってりしたものや焼き魚は受け付けず、麺類がすごーく食べたくなりました。
パパのお母さんは毎日のようにお見舞いに来てくれて私のリクエストに答えてくれてそうめんや
おにぎり、サンドイッチなどなどいつも作ってきてくれました。本当においしかったし、
今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
その他に海苔のついた醤油せんべい、キャラメル、懐かしい味のするナポリタンにはまって
よく食べていました。
入院中のスケジュールは6時に起きて検温、顔を洗って8時ころ朝ごはん、その後ホルモン
注射2本とブドウ糖の点滴500mlを1本しながらお昼ね。昼ごはんを食べて昼ドラを
みてお昼ね、そして夕方にもう1本注射をして夕飯を食べて、テレビを見て夜食を食べて
9時に消灯。といっても日中お昼寝ばかりしているので眠れるわけも無くてまたテレビを
しばらく見てから寝るという生活でした。入院生活にも慣れたし、病院で知り合って仲良く
なったお友達も入院してきて心強かったし、お友達もたくさんできて楽しく過ごしてはいても
やっぱり家が恋しくて帰りたくなりました。でも、パパに言わせると3食昼寝つきの生活
は羨ましいらしく1日で良いから代わってくれと言われていました。
そういえば、毎日打ってもらっていた注射はしこりになって痛くて辛かった。初めは腕に
だけしていたけど打つところが無くなっておしりにも打ってもらいました。しっかりもんで
おかないと寝返りするだけで痛くて大変でした。プロラクチンというのみ薬も辛かった。
毎晩寝る前に1錠飲んでいて、その副作用で気持ち悪くなって夜中に吐くことがしばしば
あって苦しかった。
6月16日(金)(10週1日目)、この日の診察でははっきりと人の形になっていて手や
足も確認できました。今のところ3人とも同じ大きさで育っていると言われてほっと
しました。写真@
6月20日(火)(10週5日目)、診察のとき初めて3人一緒の写真が撮れました。
本当に私のお腹に3人いるのだと実感できました。写真A
6月29日(木)、母子手帳が手元に届きました。しかも3冊。1,2,3、と番号も
ついていました。手続きはパパにお願いしました。やはり役所の人にも驚かれたそうです。
母子手帳を手にするとやはり嬉しいものでした。
7月4日(木)4か月検診日。すでに腹囲は77cm。子宮底長12cm。
体重はつわりで2kg減っていたので−1.5kgでした。妊娠が判ってから2ヵ月で
こんなに腹囲が大きくなっているとは驚きました。出産するころはどのくらいになって
いるのだろう?
7月11日(火)(13週5日目)、ビースコープで心臓がドクドクしている様子や背骨も
見えました。今のところ順調で私の体調も良好。写真B(後日掲載予定)
先生から、赤ちゃんの重みで子宮口が開いて早産になる危険性から14週ころになったら
子宮縫縮手術をすると言われていました。7月13日(木)(14週0日目)手術当日が
来ました。前日の夜8時以降は食べ物も水分さえも取ることが出来ず夜食が食べられず
悲しかった。もちろん、当日は何も食べる事が出来ませんでした。手術自体は10分程度
シロッカー法という方法で全身麻酔で行われました。午後1時半、同室の人に頑張ってねと
励まされて、仲の良い友人に付き添ってもらい歩いて看護婦さんの詰め所に行き、
少し眠くなるという注射を肩に打ち、点滴も始まりました。その後、歩いて手術室に
入りました。手術室なんて初めての経験だったのでドキドキして、覚悟は出来ていた
はずなのに逃げだしたい気持ちになりました。
手術台に横になると腕とお腹のあたりをベルトの様なもので固定され、点滴の途中から
麻酔を入れますね〜の言葉を聞いた直後、ザッザーと寒気が起きたと思ったら意識が
なくなっていました。看護婦さんの呼びかけで目が覚めたもののボーっとしていて自分が
返事をしているのかどうかも分かりませんでした。お腹の痛みが辛くてすぐに痛み止めの
注射を打ってもらいました。でもあまり効果はありませんでした。手術の為の発熱と
お腹の張りを抑えるウテメリンという点滴の副作用で動機が激しく、体が暑くて苦しかった。
パパのお母さんが付き添ってくれてずっとうちわで扇いでくれてとても有難かったです。
このウテメリンの点滴は24時間5日間続きました。
パパは仕事の途中で様子を見に来てくれましたが酸素マスクをしてモウロウとしている
私を見て驚いたらしくその日は早退してくれて消灯すぎまで付き添ってくれました。
後から聞いた話ですが私が戻ってきたのは14時15分で手術室に行ってから1時間も
経っていなかったそうです。
でも、とっても長〜い時間のように思えました。お腹の痛みが辛くその晩は眠ることが
出来ませんでした。その後、お腹の痛みは4,5日続きトイレに行くのにも一苦労でした。
8月1日(火)5ヵ月検診日。腹囲は82cm。子宮底長16cm、体重は−1kgでした。
同じ週数の人は見た目ではまだ分からないくらいのお腹なのに私ははるかに大きなお腹に
なっていました。
8月3日(木)(17週0日目)待ちに待った退院の日がやってきました。夏休みだったので
パパが迎えに来てくれました。お腹が大きくて普通の服が着られず、パパのお母さんが
買ってくださったマタニティドレスを着て退院しました。84日間という長い長〜い
入院生活から家に帰る事が出来てとても嬉しかったです。病院の外に出ると、もう季節は
夏に変わっていました。