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                          「優しさへの代償」
                        
                             Mix Karama
                         
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 今日はやけに激しい雨が降っている。ドアにあたる雨音が激しさを物語っている。
それにしても冬の雨は冷たくて痛い。肌にさすような雨は心の隙間をついてくるよう
に感じられた。鋭く急所を射抜くように・・・。

 しばらくすると雨が止んだ。そのうちにと、私はスーパーに買い物に出かけた。マ
ンションの階段を下りて玄関口まで来たとき、見かけない一人の女性とすれ違った。
その時は、あまり気も止めず通りすぎたのだが・・。その人は髪の長い女性だった。
そしてネックの服をきて、すらりとした足には黒いブーツが履かれていた。綺麗な女
性であったが、何か寂しそうな雰囲気を醸し出していた。

 スーパーに着くとドアに貼っているチラシが目についた。「この寒さには鍋が一番
!」そう書いてあった。私もそれに惹かれてか大根とか椎茸とか、鍋をするための材
料を買うことにした。「今日は水炊きにしよう・・」そんな独り言を言いながらレジ
に向かった・・。

 マンションについて自分の部屋まで来たとき、お隣のドアの前に先ほどすれ違った
女性がいた。私に気づいたのかその場を足早に立ち去っていった・・・。立ち去った
そのドアには何かメモのようなものが挟まれていた・・・。「友達のところにでも来
たんだろう・・。」そう思ってドアを開け中に入った。入ってしばらくすると、また
雨が降り始めた・・・。

 夕方近くになったが、まだ雨は止みそうにない。私はFMを聞きながら、夕食を作
り始めた。私が鍋に火をつけていると、隣のチャイムが鳴っていた・・・。さらに女
性の声が聞こえる。
「もう・・ホントにいないの由子!相談にのってもらおうと思ってたのに!」
 どうやら、さっき見かけた女性のようであった。あれから何回か足を運んで、つい
に痺れを切らしたのだろう。

 少し耳をすまして聞いていた私であったが、声がしなくなったので気を取り直して
夕食を作ることにした。料理は簡単なものだ。具を入れ鍋の蓋をしめるだけだ。しば
らくすると鍋が煮え始め、いい香りがし始めた。私は一人分のご飯を用意をすると食
事をすることにした。TVを見ながらの一人での食事・・なれているはずだが季節の
せいか寂しい思いがした。食べながらふと棚を見ると、「私達結婚しました!」のハ
ガキがたまってきたことに気づいた・・・。
「俺もそんなに年をとったのか・・」 

 思いにふける自分に年を感じた。故郷の空が懐かしく感じるとはこのような思いな
のだろうか?そんなことまでも考え始めると食事が喉を通らなくなってきた。友達の
結婚式に出たときは、「これで俺の役目が終わったのかな?」なんて寂しい思いもし
た。何か寂しさと切なさが入り交じった感覚を思い出していた。

 私は食事の後片付けをしながら、いろいろと思い出していた。別れたあいつは元気
でやっているのだろうか?高校の時、好きだったあいつは・・。また一緒に青春を過
ごした田舎の連中は今頃なにをしているのだろう?彼女でもできたのか・・・。TV
を消して私はCDを聞き始めた・・・。さだまさしのバラード「おもいで泥棒」。そ
れを聞きながら私はうつらうつらし始め、少しの間眠りについた。その眠りを妨げた
のはドアの方でした物音だった。

 ドアを開け外を覗いてみると、お隣のドアの前で誰か蹲っていた。どうやらまだ友
達の帰りを待っていたようだ。
 私は思いきって声をかけることにした・・・。
「どうしました?そんな所にいると風邪を引きますよ。まだ雨だって止んでないんだ
し・・。」
 彼女は私の顔をみてから、くしゅん!と、くしゃみをした・・・。そして私にこう
言った。
「いいんです。このままで考えたいことあるし・・一人にしておいてください。親切
を仇で返すような言い方で失礼ですけど・・。私どうしても由子と話したいんです。
相談したいことがあって・・」
それ以上は彼女は喋らなかった。何かあったのだろう。思い詰めた瞳には涙が光って
いた。

「じゃぁこうしましょう。その友達が帰ってくる間、私とお茶のお供をしていただけ
ませんか?この寂しい男のお慈悲をお聞きくださいまし・・。」
私の口から珍しく冗談混じりの言葉がこぼれた。彼女の口元が少し緩んだ。
「・・わかったわ・・朝起きたら外で倒れていたら、あなたも目覚めがわるいでしょ
うから・・。あなたのご厚意を有り難くお受け致しますわ・・。」

 私は自分の狭いマンションの一室に彼女を招き入れた。
「随分すっきりしているのね。お隣とは大違い。」
彼女の口からそういった言葉が出た。
「そうなんですか?私はあまりお隣と面識がないもんでして・・。」
私はそういう言葉しか続けることが出来なかった。
「あら?ナンパしたのに度胸がないのね?いきなり押し倒される覚悟で入ったんだけ
ど?」
彼女は冗談ともつかないようなことを言った。どうなってもいいという感じなのだろ
うか?よほど辛いことがあったのだろう。私はそう思うことにした。
「じゃぁ先にシャワー浴びます?」
私も冗談で対抗してみた・・が、以外にも彼女はこの申し出を受け入れてしまった。
面食らったのは私の方であった。まだ女性経験に乏しい私には到底受けいられる度胸
など持ち合わせていなかった。

 彼女はさっそうとバスルームに入るとシャワーを浴び始めた・・・。私は少しの間
呆然としていたが、あわてて着替えの用意をすることにした。私はそれをバスルーム
の横においておこうと思い、彼女に声をかけようとした。するとシャワーの音に混じ
り、彼女の泣いている声が耳に入ってきた。私は胸を締め付けられるような気がした
。少しでも欲を出した私が気恥ずかしかった。自分が嫌いになった。醜い動物のよう
な感じがした。
「ここのおいておくね・・。」私はそういってその場を離れた。

 私は彼女が出てくる間に、ホットミルクを作って待つことにした。バスルームから
出てきた彼女の目は少し赤かった。私はそれに気づかないように振る舞った。先ほど
の冗談を続けているように・・。
私は彼女にホットミルクを差し出しながら訪ねた。
「あなたのお名前をお聞かせくださいませんか?」
「あら?その前にあなたが名乗るのが筋じゃなくて?」
少し微笑みながら彼女はそう答えた。
「私は、真一と申します。では、あなたは?」
「え・・私は・・美樹と申します・・・。」
 彼女は少し躊躇いながらそう答えてくれた。私はその名前が本当かどうか確認をあ
えてしなかった。たぶん彼女は正直に答えてくれたと思いたかったからである。
 タオル地のガウンを着た彼女は、マグカップを両手に持ちながらゆっくりと飲んで
いた。髪はタオルと一緒に頭の上で巻いていた。女性のうなじがこんなにも眩しく見
えるとは思わなかった。抱きしめたいという衝動にかられたが、さっき泣いていたそ
のことが頭を離れずそういう気にさせてくれなかった。

 少しの間、沈黙の時が生まれた。そのせいか、外の雨音がよく聞こえた。
「まだ、止みそうにないですね。」私の方から話を切りだした。
「・・ええ、また激しくなってきたみたい・・。」
「あの・・こんなこと聞くの失礼と思うんですが・・」そう私が言うと、
「失礼です。」彼女はそう一言言った。

 私は二の句を告げなくなりどうしようか悩んでいると、今度は彼女の方から話し始
めた。
「ほんと、私って自分の性格嫌になるの。こんなに親切にしてもらっているのに、ま
だアリガトウの一言も言ってないなんて。あなたって優しいのね。見ず知らずのこん
な私を部屋に入れてくれるなんて・・。でもホントは目的が別にあるなんて・・こと
はなさそうねあなたの場合・・。」
「私だって狼になることはありますよ。」
「それは”ある”じゃなくて”なりたい”じゃなくて?おおかみさん。」

「そうかもしれないね。欲望に身を委ねたことなんてないものね。」
 私は何時になく素直になっているようだった。彼女も例外ではなかった。

「私の悩みを聞いて頂けますか?おおかみさん。」
 彼女の言葉は冗談混じりだったが、その瞳には偽りはなかった。
「わかりましたお嬢さん。あなたの話を聞いてからがぶりと食べてあげましょう。」
 私はそう言って、空になったマグカップを彼女から受け取った。

 彼女はゆっくりと話し始めた。彼女はある会社のOLで、会社の先輩から交際の申
し出を受けたのだった。彼女は別に嫌でなかったので、その申し出を受けたのであっ
た。しかし、それをよく思わない会社の女性たちが、彼女にいじめを開始したのだっ
た。そのいじめは日々激しくなり、ついにはその男性の前でも行われたのであった。
しかし、この男性は彼女に助け船一つ出さず、ただ見て見ぬ振りをした。彼女はそれ
に対して腹を立て、別れ話を持ち出したが、その男性は「あの時は、俺が悪かった。
この通り謝るから別れないで欲しい。」と言ってきた。彼女としてもその男性のこと
を少なからず想うようになっていたので悩んでいたのだった。そこで大学時代の友人
である由子の所に相談を持ちかけようとしていたのであったが、連絡もせず、突然押
し掛けてきたのでその由子さんが不在であったという訳であった。そこで私の登場と
なったのある。

 話すうちに彼女の目には涙が浮かんでいた。彼女は慌てて涙を拭こうと、頭に巻い
てあったタオルをはずすと涙を拭いた。その時、宙に舞った彼女の濡れた髪はとても
綺麗だった。
 私は何も言わずただ彼女の言葉に耳を傾けていた。こう言った話はよくあることだ
し他人の私がどうこう言ったところでどうなるものでもない。彼女が全て話し終わる
までずっと聞いていた。
「何かそんなに熱心に聞かれると、ばかばかしくなってきたわ。」
 話の腰を折るように突然彼女はそう言った。
「あなたってホントに変な人。少年のような目をしているかと思えば、おじさんみた
いな喋り方するし。何かおもしろいわ。こんなこと初めて・・。私、男性とこんなこ
とで話したことなかったし、こんなこと話したら嫌われると思ったから・・私・・」

「何?その”私”の後に続く言葉は・・??」
 私は彼女の瞳を覗き込むように訪ねた。
「・・・私・・あなたを好きになってしまう・・わ。」
 彼女は目線を私からはずしてそう答えた。その時、彼女の頬は少し赤らんでいるよ
うに見えた。私はまるでトレンディードラマでも見ている気分になった。彼女はたぶ
ん冗談でいったのだろう。部屋の中を見れば一発で彼女のいない冴えない男というの
がわかるだろうし、ベットの下にあるHな雑誌があることもたぶん見透かされている
のだろう。

「その言葉はその男性に使うべきじゃないの・・?」
 私は少し冷めた言葉で彼女にそう言った。自分のことをからかわれているような感
じがしてつい、そういう風に言ってしまったのである。私は言ってからハッとした。
彼女は今大変傷ついているのだ。それなのに私はそれを分かろうともしてあげられな
かった。彼女を見てみると下を向いたまま、タオルで顔を隠していた。

「ごめんね。俺も馬鹿だ・・・。慰めるつもりが傷つけてしまった。やっぱり俺は君
みたいな人に声をかける権利さえもないんだね。ホントにごめん・・・。役立たずの
出しゃばりを許して欲しい・・・。」

私の言葉が終わらないうちに、彼女が突然私に抱きついてきた・・。
「今だけでいいの。このままにさせて・・・。」
彼女はそっと私に言った・・。
 私は驚きのためにしばらくどうすることも出来なかったが、気が落ちついてくると
彼女の鼓動が聞こえてきた。その鼓動は私に抱きついている胸と胸との間で聞こえて
いた。感覚が鮮明になるにつれて彼女の胸の感触とか暖かさを感じることが出来た。
その暖かさは何となく懐かしく感じ、私はそっと彼女を抱きしめた。

 数時間がたったであろう、ポーンと零時になった音がなった。私はゆっくりと彼女
を離した。
「お隣まだ帰ってこないね。もう電車ないよ?どうする?」
私がそう言うと、彼女は「泊めて頂けますか?」と言った。
 私はその申し出を快く引き受け、寝床の準備をし始めた。彼女をベットに寝さして
私が床で寝ることにした。彼女に私のパジャマを貸してあげることにした。案の定、
大きすぎて不格好だった。でも、これが彼女の可愛らしさをいっそう引き出していた
。彼女に声をかけた男性もまた、この愛らしさに魅せられたのだろう。私も少しその
気持ちが分かるような感じがした。

 電気を消して寝床についたが、一向に眠気が来そうになかった。まあ一つ屋根の下
で男と女がいるのだ。無理もないことだ。私も一人前の男ということだろうか?何か
おかしい感じがした。彼女の方に目を向けると、私に背を向けて寝ていた。いや、本
当に寝ているかは定かではないが。私も彼女に背を向けて寝ることにした。有らぬ期
待を抱かぬ方が身のためなのだ。そう言い聞かして目を瞑った。しばらくして少し眠
気が来たかなと思っていたら、彼女が小声で私に何か言ってきた。

「・・なに・・?」
「・・・ごめんなさい・・眠れなくて・・一緒に寝ていいですか・・・。」
 彼女はそう言って、布団を持ったまま床にベットから降りてきた。私は慌てて起き
ようとしたが、彼女が抱きついてきて、そのまま一緒に横になってしまった。
「・・今日だけでいいんです・・・私の恋人になったつもりで・・私を抱いてくださ
い。偽りの恋でもいい。今日だけ今日だけ私を愛してください・・おおかみさん。」
彼女は涙声でそう言った。

 私はしばらく黙っていた。彼女の瞳をじっと見つめた。彼女もまた私の瞳を見てい
た。その瞳には曇りが一点もなく実に素直な瞳をしていた。
 私は彼女の頬に手を当てると、顔を近づけそっと、口づけをかわした。
「あたなは私の今日の晩御飯だ、あかずきん。望むなら私が食べたあげましょう。」

 彼女は私の腕の中で、心を解放した。私もまた彼女の胸の中で心を解き放った。
二人が重なり、一つの愛を確かめ合った。凄く長い時間が過ぎたような感覚がした。
彼女の中は実に暖かく私を包んでくれた。これが愛なのだろう・・。

 しばらくして、そこには抱き合った二人の男女の姿があった。しっかりと抱き合っ
た二人は長い道のりを一緒に歩んできた恋人のようであった。辛いことも悲しいこと
も一緒に分かち合ったように・・・。そして二人はそのまま、抱き合ったまま眠りに
ついた。

朝になって、鳥の囀りで目を覚ました。私の腕の中にいた天使はいなくなっていた。
「夢なのか?」私はそんな錯覚を覚えた。だが、キッチンの方を見ると、白い服を着
た天使がそこにいた。
「あっ、Tシャツ借りてるね。」彼女はそう言った。
 私のTシャツはやはり大きすぎるようだ。彼女の小さなお尻がTシャツで隠れてい
た。
「嫌だ。そんなに見つめないでよ。下はパンツだけなんだから・・。」
 彼女は頬を赤らめながらそう言った。確かに見事な曲線美が見えている。私は照れ
て彼女から目線を移した。

「昨日のお礼っていったら変だけど、あるもので朝御飯作ってみたの。食べてくれる
?おおかみさん。」
 彼女は微笑みながらそう言った。昨日まででは考えられない笑顔で・・。
「ああ、いただくよ・・・。いい香りだね?料理得意なんだ・・。」
 私はそう言いながら、彼女が元気になってくれたことが嬉しくてたまらなくなって
いる自分に気付いた。

 朝御飯を食べ終わると彼女は帰る準備をし始めた。長い綺麗な髪を束ね、ポニーテ
ールにすると私に言った。
「ホントにありがと。なんか吹っ切れることが出来そう。これもあなたのおかげね、
おおかみさん。」「また、おおかみが必要になったらいつでも言ってくれよ。」
「その時は、朝御飯の材料を持参してくるわ。」
 彼女はそう明るく言って帰って行った。帰り際、私の頬にキスを残して・・。

 一人残された私はしばらくの間、床に寝転がった。彼女と一つになった床の上に。

 あれから、幾日たったであろうか。お隣のチャイムがなっていることに気付いた。
 そして声が聞こえる・・。
「もう由子早く開けてよ。重いんだから・・。」「美樹そんなに買ってきたの?」
「だって安かったんですもの。」「あぁもぉぉ・・・しかたないわね・・。」
 そんな言葉が交わされていた。どうやら、あの時の天使は微笑みを取り戻したよう
だ。愛くるしいあの笑顔を。

 私がそんな感傷に浸っていると、突然チャイムがなった。
「・・はい」私がそう答えてドアを開けると、彼女がいた。
そしてこう言った・・・。
「由子、紹介するね。私が今度好きになった、おおかみさん。それでね、私決めたん
だ。これからは自分に正直になろうと思って。もう後悔したくないから。」
 そう言って彼女は私に抱きついてきた。そして、この前した頬とは違う頬にキスを
した。
                                                                        end.
                                                                  1995/11/23


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