=================================================================================

                                「麦わら帽子」

                                  反町 智

=================================================================================

 占い師のアイギナが麦わら帽子をトレードマークにしているのは、村の誰もが知っていた。
 よく当たると評判は高いから、他の村からも彼女に悩みを解決してもらおうと訪れるも
のは多い。老若男女を問わず、彼女を知らない者はまずいない。
 今日も若い男が一人、アイギナを頼ってきた。
 村はずれの森の中、赤煉瓦でできた家の前で、彼は立ち止まる。大きく深呼吸をして、
ドアをノックしようとした時。
「お入りなさい」
 振り返ると、小柄できしゃな娘が麦わら帽子を被って立っている。老婆を想像していた
彼は、声を上げないまでもかなり驚いていた。
「あなたがアイギナさん、ですか」
「そう」
 アイギナはドアを開けて中へ歩いて行く。彼は慌てて後をついて行く。アイギナは黒い
ローブも麦わら帽子も取らずに、静かに腰を下ろす。
「約束があります。これを守れない者は即刻立ち去ってもらいます。よろしいですね?」
 彼は心を落ち着かせ、ただ頷くことにした。
「私は訳あってこんな格好をしています。人前に出るのには一番いい姿なのです。…もし
あなたが麦わら帽子に触れたら、それは命がなくなる時と思いなさい」
「わかりました」
「ではこちらにお座りください。早速始めましょう」
 彼の悩みは比較的やさしいものだった。
「お易い御用。カードで見ましょう」
 彼女が目を細めて先を見ている間、彼は余計な事を考えていた。
 麦わら帽子が彼女のトレードマークなのは周知だが、どうしてそれに触れると命取りに
なるのだろう? 魔力が落ちて占えなくなるから? まさか!
「大丈夫。無闇に好奇心を振り回さなければ、あなたに災難は訪れないでしょう」
 彼はほっとする。
「ありがとうございます。御代は…」
「森のこけももが熟れてきたので、それを一掴みほど」
 彼は満面に笑顔をたたえ、外へ飛び出した。少し先にこけももがたわわに実っているの
が見えて、彼は急いで摘み始めた。
「ありがとう。それだけあれば充分です」
 側までやってきたアイギナは、入れ物を持っていない事に気が付いた。彼はかなりの量
を摘んでいる。
「あら、忘れていたわ。…手渡しでいただこうかしら」
 彼はさっきの余計な事を思い出す。
 もう終わったのだ。渡せば即刻立ち去ればよいし、さり気なくすれば気を悪くする事も
ないだろう。
「これの中に入れましょう」
 彼はにっこり笑って彼女の麦わら帽子を持ち上げる。 次の瞬間、彼は帽子もこけもも
も落としていた。彼女の耳が異様に長く、先が尖っているのに気が付いて。
「さっき言ったのに…好奇心は振り回すなって」
 アイギナは哀しげに唇を噛んで彼を見る。そして麦わら帽子に目をやった。
「どうして約束破るの? 命はないって言ったのに」
「あ…あなたは一体」
「研修中の悪魔。手違いで精神構造を悪魔らしくしてもらえなかった」
 アイギナは一人言のように口の中で呟いた。
「私があんまり堕悪魔だから監視付きで人間界に修行に出されて…どうしようもなかった
の。監視のジェセルを封印仕切れるほど私の魔力は強くなかったんだもの」
 彼は風もないのにひらひらと舞い上がる麦わら帽子を見て、金縛りにあったように動け
なくなる。
「ジェセルは人間に触れられると封印が解けてしまう。私はジェセルには逆らえない」
 やがて麦わら帽子はアイギナの肩にとまった。
「成功しそうだと呼び出されるけど、それ以外でもちゃんと仕事をしているんだろうな」
「あなたを呼び出す度に仕事するようなものね」
 アイギナの伸ばした指先から闇が広がっていく。彼は弾かれたようにアイギナに背を向
けて走り出す。
「助けてくれっ!」
 彼女の作り出した闇はすっぽりと彼を包み込む。アイギナが指を鳴らすと闇は彼を飲み
込んだまま、消えた。
「あなたが悪いのよ」
 爪の先に凝縮した闇をじっと見ながら、アイギナは大きなため息をついた。麦わら帽子
はひらりと動いて、彼女の頭の納まった。
「最初はどうなるかと思ったけど、意外に頑張っているじゃないか」
「…そうね。私も意外に思ってる」
「あと三人で研修から開放されて報酬がもらえるぞ」
 麦わら帽子はゆるゆると動く。
「じゃな。とっとと呼び出される事を祈ってるよ」
 アイギナは軽く頷き、恨めしそうにこけももを眺めた後、とぼとぼと赤煉瓦の家へ戻る。
素焼きの壺を取り出して呪文を唱え蓋を開け、爪先の闇を中に落とした。
「あと、三人も」
 人間だったらここで泣いてしまうんだろうな。悪魔には涙なんて流せないから。
 アイギナはジェセルを封印した時に、もう人間の魂を奪うのはやめようと思っていた。
だが絶対に触れるなと言っても触れる者がいるのだ、今日の男のように。気付かないうち
にノルマに達しようとしている。
 報酬もらう為に方針変えよう。ジェセル封印した時に諦めようと決心したけど、もしか
したらかなえてもらえるかもしれない。
「頑張る。人間にしてもらえるなら、三人くらい」
 アイギナは念入りに蓋に呪文をかけて閉め、大事そうに壺を抱えて窓の外を見た。魔性
の者にとって最高潮の印である満月が、東の空に涼しげに輝いていた。
「ジェセルも早く開放してあげなくちゃね」
 アイギナは目を細めそっと麦わら帽子を撫でてやる。
 麦わら帽子は何も言わず、ただ月の美しい光を受けているだけだった。
 
                                                 <FINALE>


前に戻る