川越夜戦跡 東明寺


東明寺の石碑

天文6年(1537)の戦いで、北条氏綱に川越城を取られた扇谷(おおぎがやつ)上杉朝定は、

再びこれを奪還すべく山内(やまのうち)上杉憲政、古河晴氏と連合して総勢八万余騎をも

って、同14年10月に川越城を包囲した。一方、福島綱成のひきいる城兵は、わずか三千で

たてこもっていたが、翌15年春にはすでに兵糧も尽きて非常な苦戦におちいっていたところ、

北条氏康が八千騎をひきいて援軍としてかけつけ、4月20日の夜陰に乗じて猛攻撃を開始

した。これに呼応して城兵も門を開いて打って出たので、東明寺口を中心に激しい市街戦

となった。多勢をたのんで油断しきっていた上杉、古河の連合軍は、北条方の攻撃に耐えら

れず散々てなって松山口に向かって敗走をはじめ、この乱戦の中で上杉朝定は闘死し、憲政

も上州に落ちのびたと伝えられている。敵に比べて問題にならないくらい少ない兵力で連合軍

を撃滅したこの夜戦は、戦略として有名である。 川越市志多町