上野国北部

上野国中部

上野国南部

上野国東部

上野国西部

他の国

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場所・・・ 藤岡市西平井(関越自動車道、藤岡インターから約10km)

 平井城は多野、藤岡地方の中心城郭である。この城は、永享から天文の頃まで凡そ百二十年間に渉り、関東西半の実験を握っていた管領山の内上杉の牙城であった。山の内上杉は顕定から憲政まで平井に在城した。 天文二十年初秋、上杉憲政は小田原の北条氏康に攻められ、平井城を放棄し、近臣五十余人を引き連れ、長尾景虎を頼って越後へ落ちていった。天文二十一年、景虎は剃髪して謙信と号し、四月、平井城奪還の兵を進め奪還した。翌二十二年にも謙信は馬を立て、武州村岡河原千葉年胤を撃破した。以後連年、謙信は平井城に越山してし関東の裁定につとめたが、永禄二年、城は落ち、本拠を厩橋城に移した。この時をもって平井の城は廃墟と化し、復興することはなかった

 

本丸跡

上杉一族の碑

 

分霊堂

 

上杉家家系図

 

整備平面図

 

永享の乱と平井城

 

発掘の写真

 

平井城周辺案内図

 

訪問記

 案内板はいくつもあり、城の事はよく理解できるようになっている。整備もよくされている。一角には、牛舎があり、、また二の丸、三の丸などには民家があり、当時の面影はあまり見られない。「平井城上杉管領絵巻」は平成12年までは、この近くで行われていたが、平成13年から、サ-ビスエリア「ららん藤岡」でひらかれている。