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場所・・・ 利根郡月夜野町後閑(関越道 月夜野インタ-下車) 利根、赤谷両川の合流点の北側は、この付近における唯一の利根川渡河点であるため、この城や対岸の名胡桃・小川両城が要点の押さえとして築かれた。 天正7年、北条勢は小川・名胡桃を攻めて成功せず沼田に退いたが、明徳寺城は矢部、渡辺らの諸将に厳重に守らせてあった。天正8年正月21日、真田昌幸は海野幸貞を先駆とし総勢七百騎、夜闇に乗じひそかに利根川を渡り、不意に明徳寺城に攻めかかった。 昌幸自ら大薙刀を振るって戦い、遊撃した矢部豊後守以下を破って城を奪い、伊藤備中守、出浦上総介を残して名胡桃へ引き上げた。この城は、昌幸の沼田城攻略の橋頭堡となったのである。
訪問記 現在城址は、民間の所有である。城域は非常に広く、空堀や二重土塁は大変よく残っている。関越道のすぐ脇にある、真田昌幸が自ら槍を振るって攻め取ったという場所に立てて、大変感慨深かった。又是非攻めたい城である。 地主の奥さんの話では、明徳寺には、檀家がないそうだ。
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