漆窪城(うるくぼじょう)

 

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場所・・・群馬県勢多郡富士見村漆窪字上城

本城は北から南に向かって突出した舌状台地の末端に、三条の堀切りをもって三つの郭を設けた岡城だが、台地の上場がかなり広いので 堀切の長さは150メ-トルにおよぶ。南東部にある追手虎口は、壕の末端を利用した壕虎口で、そこから壕内道を通って郭面に出る型式は赤城山南麓の諸城に多く見られる一種の慣用法であって、この城は白井城よりむしろ、大胡城を中心とした城群の方への傾向が強い。この形式の虎口をもつ城は山上、膳、大胡、小坂子、嶺、田島等である。前橋風土記に「長尾大膳が居る所なり。」と記されているが、大膳は石倉城主長尾景善の弟で、長尾大膳の養子となって石倉からここに移り、大膳を襲名したのだと上野伝説にある。古城祉の中にはその付近の人々から忘れ去られようとしているものも少なくないが、この城は地方の人々によく知られている。


 

案内石碑


 

三の丸


 

大手道


 

搦め手口


 

 

訪問記

地図を頼っての攻城であったが、幸い農家の人に出会えて城跡を確認出来た。富士見村誌にあるように、各郭の周囲の濠は畑になっていて、すべて無くなっていた。しかし、本丸下と二の丸下の切岸は比高2m位あり、はっきりと残っている。二の丸下には、それより広い削平地があり、各郭の東側と、南側は急である。平成13年5月27日(日)