田島城

 

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場所・・・勢多郡富士見村田島字森山

富士見村田島字森山に田島城がある。赤城南麓の地形上、この城も漆窪城、岡城と同様舌状台地南端を占めているが、比高は3 〜4メ-トルである。南部は宅地になって失われている。本郭の東側は削平されて畑になっている。西側は外側に高さ1メ-トルほどの土居を盛って堀形としたもので堀内は武者屯に用いられていたものであろう。川向こうから見るとやや確認出来る。東堀も同様であったと推定出来るので東堀外には腰曲輪がついていたのであろう。東西100メ-トル、南北70メ-トルのこの城跡には北堀の外にも一郭があったものと思われる。この城跡で最も注意を要するのは、本郭北部の最高所に鍵形の低所が入り込んでいることである。これは一見二重堀のようにみえるが、東ほど深く、西端は深さ零となり本郭の出入路と認められる。ことに馬の出入りには欠くことの出来ない設備であろう。同様のかぎ型壕内道が嶺、膳、大胡の諸城にも見られ、地方的手法と考えられる。上毛古城記に「引田城、長尾大膳太夫」とあるのはこの城のことであろうから、漆窪城の出城であったと推定される。

                                      山崎一著 「群馬の古城」中東毛編より


 

 

 
本丸を東側から望む

手前の道路まで本丸があった様であるが、現在は削りとられて、畑になっていて、本郭は竹が密生して内部が良く見えない程である。南部の宅地にある竹が北上したようである。  50年前頃は、楢の木や杉の木が良く手入れされて,落ち葉を集めて堆肥にしたり、遺構も良く残り、子供達の格好の遊び場であったという。


 
本丸を南側から望む

「富士見村役場跡」の石碑がある。明治22年の市町村施工令によって、ここに役場が建てられたようである。ここも削平されて、宅地となっているので、 削平はかなり前にされたようである。

 


 

 

本丸を南西側から望む

本丸の西側を流れているのは「大川」 という。こちら側は藪や草が良く刈り取られている。川べりや畦道も草がきれいに刈ってあり、気持ちがよかった。それにつけても、本丸の竹の繁殖は誠に残念である。

 


 

 

本丸北側の土塁と堀

竹が密生していて見にくいが、土塁と堀切がかろうじて見える。 堀の深さは1.5メ-トル位か?。山崎一氏は西にいくにつれて堀が浅くなっていると言っているが、逆のように見えた。あるいは、その向こう側の堀か?。


 

 

  北郭

正面向こう側に見えるのはお墓である。その向こう側には比高5メ-トル位の濠があり、小川が流れている。土地もあまり利用されている様には見えない。

 

 


 

訪問記

 「群馬の古城」山崎一著に載っている本丸の写真と現状はあまり変わっていない。 今、全国的に問題となっている竹害の問題をここで見て、なんとも言いようのない気持ちにさせられた.。手間のかかる城址の管理の難しさを痛感した。竹さえ無ければきっとすばらしい城址であろう。                                                                 平成14年3月31日