西荻窪城

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場所・・・゛群馬県前橋市荻窪町字古城(西荻窪)

本城は西側に「塔の堀」という遠堀を随伴する城址として、注意を要する。現在は本丸の西側と北側の堀も削平され残っていない。西側の竹薮の中に土塁があると、近所の有識者の話であるが、確認出来なかった。しかし、その有識者の話では、実際の城域はかなり広く、今の、荻窪公園のある窪地を挟んで、荻窪城と西荻窪城がほぼ並んであったようにおもえる。但し、年代としては、西荻窪城の方がかなり前の年代であろうと言っている。本城の資料は全くなく、文化財の保存という認識の無かった時代にほとんど焼却等によって処分されたようである。しかし、地名として、城にかかわるものが多くある。

 


 

 

塔の堀

今でも深い堀が残っていて、虎口のあった所から南西にのみのこっていて、
水は流れていない。虎口の北東側は、建物があり、残っていない。この堀は、上泉城(大胡城の支城)が武田信玄によって、滅ぼされた時、上泉伊勢守の家臣の太田金衛門が四百五十石をあてがわれて、元禄時代にこの地に来た。その為に、この塔の堀の地番は上泉地番となっている。ここに城を築いたのは、後世では城の為に水を引いたが、当時は水を守る為に城を築いたのである。

 


 

本丸

「群馬県古城塁址の研究」にある北側の堀は削平されて、住宅になっている。西側の堀は土塁のみ残っているようにおもえる。竹薮は大分残っているが、遺構らしきものは確認できない。


 

 

西側の土塁

西側の土塁とおもわれる。上は畑になつていて、下は荒地のままである。約30年前に行なわれた土地改良でほとんどの遺構が失われた。

 



 

    塔の堀

この堀の先は虎口で、土橋があった所である。30年前の頃は、まだ細い道で、土地改良によって新しい道が出来、土橋と虎口の北側の堀も、住宅が出来て、失われた。


 

訪問記

以前にも探したが見つからず、今回は、丁度、近所のおばあちゃんに会うことが出来て、近所の様子がわかり、有識者の話を聞くことができた。この城は、荻窪城より歴史は古く、資料は住居の新築の時に焼却されてしまったらしい。塔の堀は、敵の侵入を防ぐことの目的とともに、水利の確保が重要視されていた。平成13年5月3日