中村城

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場所・・・群馬県前橋市粕川町中寺皆戸

戦国時代の平城の跡とみられる。北に約100メ-トル、西に約20メ-トル、東に約45メ-トルの囲濠がのこっていて、今は少し水をたたえているのみである。尚北側の東よりに、高さ3、4メ-トルの土塁跡がのこっている。この城の歴史を物語る文献は見られないが、伝承によれば、これは「中村右馬之丞」の居城で、元亀・天正年代のもので、武田勝頼の東上州進攻の際、膳城・山上城等と共に滅亡されて、廃城となったものとされている。東北100メ-トル余のところにある「姫塚」は落城の時、城主の娘が奮戦して、最期を遂げた所と伝えられ、伝承の所に碑を建て、今尚土地の人々に供養されている。隣接の大字膳・その南の新里村大字小林にある中村姓の家は城主中村右馬之丞の子孫といわれている。歴史学者の中村孝也氏もその一族である。「姫塚」にある碑には次のように書かれている。"天正七年六月、膳城が武田勢に攻められ落城した時、中村城と運命を共にした城主中村右馬之丞の姫は薙刀を振るって奮戦したが、力尽きてここで討死した。明治百年六月この碑を建てる。須藤義雄書"

 


 

北西にある水濠 


 

南西から見た中村城


 

 

北東にある土塁


 

 

北東にある「姫塚」


 

 

訪問記

県道 大胡・桐生線を桐生へ向かっていくと、左側に案内板がある。左に曲がってしばらく行くと、右側の100メ-トル位のところに上の写真にあるような城址らしきものがみえる。現在は松島紀夫さんの所有である。今も「姫塚」を建てて、供養しているとは、当時に思いを馳せるに十分である。今も残っている水濠や土塁を末永く残してもらいたいものである。